<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>川崎市議会議員 山崎なおふみ 公式ホームページ</title><link href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp"></link><subtitle>川崎市議会議員　山崎なおふみの公式ホームページです。</subtitle><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp</id><author><name>Hayapochi</name></author><updated>2026-08-19T20:55:59+00:00</updated><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights><entry><title><![CDATA[共演]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59147552/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59147552</id><summary><![CDATA[指揮台に見るは久々のその人。｢久々｣と申しても相手ならぬこちら側に機会が無かっただけの話。今は亡きＫセンセイと通いし｢響きの森シリーズ｣では当楽団との共演多く。どこがいいか、って。演奏は言わずもがな。指揮者とは黙して語らず、こそが常識、あとは勝手に、と言われても素人には。解説を入れるは親切心。あぁ、なるほどそういうことか、と。当日の演目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第５番、そう、｢皇帝｣であり。演奏後、万雷の拍手に包まれる中、マイクを手にして訪れる静寂。もはや、年齢も年齢にて正直体調がすぐれぬ、が、それを奮い立たせてくれたのが彼の演奏であり。よくぞ立派に成長を、と。そこに語られるは思い出話、親子以上に年差離れた二人の邂逅。ハンガリー滞在中のマエストロの前で演奏を見せた当時は小学校三年生。演奏を終えて言われた一言が今も忘れられぬ、と演奏者。その一言や、｢鍵盤を見ずに空を向いて弾くように｣と。技術にとらわれすぎるな自らの感性に従え、と言わんばかりの。まさに夢の共演ではなかったか。来年もぜひミューザに、と決意示すマエストロも年齢的に。炎のコバケンこと小林研一郎氏。ということで、今日は芸術の話。目立つ腹のでっぱりに悠然と歩く姿は裸の大将を彷彿とさせるも｢彼ら｣特有の眼光は持ち合わせ。フーテンなる言葉がよく合いそうで。この間の経歴を記さば、県内屈指の進学校を卒業、一浪して美大、その後は、某社のデザイン部門に籍を。脱サラ後に選びし道は画家。個人事業主としての収入を得つつ、ということらしくも、当人のＳＮＳ見れば旅行と食い物の写真が大半を占め。それで生きながらえとるのだからよほどの太客でも抱えとるか、親が相当に裕福なのか。奇縁なれど、んな御仁が当初から私のホームページを。前回からはや四年。経歴も色褪せたゆえ、デザイン含めて更新を、と依頼するに二つ返事で。こちとら移動の労は厭わぬ旨を告げるに、向こうから出向く、と。理由や｢焼肉｣。都度、名店と思しき店を案内するにこれが大そうお気に入りの様子で。ちなみに今年の舞台は八丁畷の金剛苑。ビール片手に語られる近況。御当地の某大学から大型案件を請け負うことになったらしく、北陸行脚が続くとか。ひるがえって私。振り返るひと夏の思い出にめぼしさなく。子が大学生とあらば夫婦で美術館など、どうか、との相手の提案に、間髪入れず、｢行くなら一人｣と。理由訊かれて。忘れもせぬ。新婚前に訪ねし美術館にて、その絵がよかった、と感想を聞けど、当時の私には｢さすがにそれは｣という一枚であり。絵の作者やアンリ･マティス。そう、あの奇抜な。あれが最後だった、と語る私に。何をバカな、彼こそは逸材、かの国において国民的支持を、と画伯はいうけれども、マティス然り、ドビュッシー然り、どうも私には。とくとくと説かれるマティス論。彼が晩年に辿り着きし境地や切り絵、その実物見たさに南仏の礼拝堂まで訪ね云々と。いっそ美大の講師にでも、といつもながらに。それで終わらず、別れた翌朝に昨夜の続きはこれで、と紹介されるはYouTube動画。これがよく出来ていて、マティスもアリかも、って。山田五郎氏の｢オトナの教養講座｣。私もアド街でしか。偲ばれる人柄にその博識ぶり。そう、そちらに夢中になるあまりホームページの更新を忘れていないことを願うばかり。(令和8年8月20日／3014回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-08-19T20:55:59+00:00</published><updated>2026-08-19T23:00:40+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>指揮台に見るは久々のその人。｢久々｣と申しても相手ならぬこちら側に機会が無かっただけの話。今は亡きＫセンセイと通いし｢響きの森シリーズ｣では当楽団との共演多く。どこがいいか、って。演奏は言わずもがな。指揮者とは黙して語らず、こそが常識、あとは勝手に、と言われても素人には。解説を入れるは親切心。あぁ、なるほどそういうことか、と。</p><p>当日の演目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第５番、そう、｢皇帝｣であり。演奏後、万雷の拍手に包まれる中、マイクを手にして訪れる静寂。もはや、年齢も年齢にて正直体調がすぐれぬ、が、それを奮い立たせてくれたのが彼の演奏であり。よくぞ立派に成長を、と。そこに語られるは思い出話、親子以上に年差離れた二人の邂逅。</p><p>ハンガリー滞在中のマエストロの前で演奏を見せた当時は小学校三年生。演奏を終えて言われた一言が今も忘れられぬ、と演奏者。その一言や、｢鍵盤を見ずに空を向いて弾くように｣と。技術にとらわれすぎるな自らの感性に従え、と言わんばかりの。まさに夢の共演ではなかったか。来年もぜひミューザに、と決意示すマエストロも年齢的に。炎のコバケンこと小林研一郎氏。</p><p>ということで、今日は芸術の話。目立つ腹のでっぱりに悠然と歩く姿は裸の大将を彷彿とさせるも｢彼ら｣特有の眼光は持ち合わせ。フーテンなる言葉がよく合いそうで。この間の経歴を記さば、県内屈指の進学校を卒業、一浪して美大、その後は、某社のデザイン部門に籍を。脱サラ後に選びし道は画家。</p><p>個人事業主としての収入を得つつ、ということらしくも、当人のＳＮＳ見れば旅行と食い物の写真が大半を占め。それで生きながらえとるのだからよほどの太客でも抱えとるか、親が相当に裕福なのか。奇縁なれど、んな御仁が当初から私のホームページを。</p><p>前回からはや四年。経歴も色褪せたゆえ、デザイン含めて更新を、と依頼するに二つ返事で。こちとら移動の労は厭わぬ旨を告げるに、向こうから出向く、と。理由や｢焼肉｣。都度、名店と思しき店を案内するにこれが大そうお気に入りの様子で。ちなみに今年の舞台は八丁畷の金剛苑。</p><p>ビール片手に語られる近況。御当地の某大学から大型案件を請け負うことになったらしく、北陸行脚が続くとか。ひるがえって私。振り返るひと夏の思い出にめぼしさなく。子が大学生とあらば夫婦で美術館など、どうか、との相手の提案に、間髪入れず、｢行くなら一人｣と。理由訊かれて。</p><p>忘れもせぬ。新婚前に訪ねし美術館にて、その絵がよかった、と感想を聞けど、当時の私には｢さすがにそれは｣という一枚であり。絵の作者やアンリ･マティス。そう、あの奇抜な。あれが最後だった、と語る私に。何をバカな、彼こそは逸材、かの国において国民的支持を、と画伯はいうけれども、マティス然り、ドビュッシー然り、どうも私には。</p><p>とくとくと説かれるマティス論。彼が晩年に辿り着きし境地や切り絵、その実物見たさに南仏の礼拝堂まで訪ね云々と。いっそ美大の講師にでも、といつもながらに。それで終わらず、別れた翌朝に昨夜の続きはこれで、と紹介されるはYouTube動画。</p><p>これがよく出来ていて、マティスもアリかも、って。山田五郎氏の｢オトナの教養講座｣。私もアド街でしか。偲ばれる人柄にその博識ぶり。</p><p>そう、そちらに夢中になるあまりホームページの更新を忘れていないことを願うばかり。</p><p>(令和8年8月20日／3014回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[怪談]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59130523/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59130523</id><summary><![CDATA[ポアロならばいざ知らず、ニャンコ先生がどうの、と言われても。ついてゆけぬ会話。聞く耳立てるに｢夏目友人帳｣なる漫画らしく。これが妖怪モノにて、夏に怪談って訳じゃないんだろうけど。知るに損なく、早速に読んで感想を告げるに、｢声優陣がスゴい｣と。ってことは本になく。動くアニメはいづれ。ニャンコ先生は知らずとも｢就Ｂ｣なる言葉位は。就労継続支援Ｂ型の略、通称であり。かつては｢授産｣の名がつく専門の施設が担いしも今日にあっては広く門戸を、と。自立こそが理想、その為に欠かせぬは就労なれど、見合わぬ対価は自立には程遠く。が、労働に見出すは金銭的な価値のみならず。彼らの心理に心寄せれば、退屈であるがゆえに｢乱れる｣のであって、たとえ単純でも没頭できる何かがあれば。事実、壁を叩くなどの行為が減ったばかりか、作業への没頭が疲れとなり、夜もぐっすり。そこに得手不得手、早い遅いがある中に仲間への思いやりや連帯感が生まれたりも。誰しもに症状の改善が見込めるはずも｢通所｣の施設とあらば自らの関与は一日のほんのわずか。むしろ家庭内の状況が悪化を招いているケースも少なからず、｢入所｣施設の重要性を説くはその人であり。両親の離婚後に母親と暮らすＯさん。母親とて精神面に不安あり。就Ｂにおいて年下の面倒をよく見ている、と告げるに見せた母親の笑顔。が、んな生活も長くは続かず。児童相談所の介入に下されし判断は一時保護。それが意味するは｢隔離｣であり、外出は原則不可。就Ｂとて例外になく。｢一時保護とはあくまでも時限的な措置。また、再会を｣と諭すは施設長。｢一か月後の夏祭りには必ず戻ってくるからね｣と訴える彼女と指切りをしたものの、その見込み薄きことは明らか。それが彼女の成長に与える影響は小さからず、せめて半日だけでも外出の許可を、と施設長自ら。それとて何ら自らの報酬に結び付くものになく。対するは施設側。万が一あれば責任が問われかねず。組織的な防衛本能が働きがちな中に下した判断。当日の外出は認めぬ、が、後日、施設長が面会時に縁日の品を差入することで折り合いがついた、と。当該の事案が保護に該当するか否か、そこに留めおくに足る理由とは、仮にそうだとしても期限をいかに云々と施設側の苦悶やいかばかりか。そして、満期を迎えるに迫られる判断。戻すに欠かせぬ身の安全、戻すに戻せぬ、いや、本人の将来を考えれば専門の施設のほうが。そこに受け皿あらば。いや、あるにはあるが市内は満員。ならば新たな施設を、と言うは易くも。他を探さば。そこに立ちはだかるは自治体の壁。何ゆえに他市からの受入れを、と相手は言うやもしれぬ。が、利用者の身になってみれば。そんな垣根を越えた連携こそが福祉に欠かせぬ視点。ついで申さば。児相はあくまでも児童の為の施設であって年齢の要件が課されるばかりか、彼らが担うは障害に限らず。専門の施設とて回転ドアこそが理想。実現に人材育成こそ。(令和8年8月15日／3013回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-08-14T20:55:22+00:00</published><updated>2026-08-14T23:40:44+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ポアロならばいざ知らず、ニャンコ先生がどうの、と言われても。ついてゆけぬ会話。聞く耳立てるに｢夏目友人帳｣なる漫画らしく。これが妖怪モノにて、夏に怪談って訳じゃないんだろうけど。知るに損なく、早速に読んで感想を告げるに、｢声優陣がスゴい｣と。ってことは本になく。動くアニメはいづれ。</p><p>ニャンコ先生は知らずとも｢就Ｂ｣なる言葉位は。就労継続支援Ｂ型の略、通称であり。かつては｢授産｣の名がつく専門の施設が担いしも今日にあっては広く門戸を、と。自立こそが理想、その為に欠かせぬは就労なれど、見合わぬ対価は自立には程遠く。が、労働に見出すは金銭的な価値のみならず。</p><p>彼らの心理に心寄せれば、退屈であるがゆえに｢乱れる｣のであって、たとえ単純でも没頭できる何かがあれば。事実、壁を叩くなどの行為が減ったばかりか、作業への没頭が疲れとなり、夜もぐっすり。そこに得手不得手、早い遅いがある中に仲間への思いやりや連帯感が生まれたりも。</p><p>誰しもに症状の改善が見込めるはずも｢通所｣の施設とあらば自らの関与は一日のほんのわずか。むしろ家庭内の状況が悪化を招いているケースも少なからず、｢入所｣施設の重要性を説くはその人であり。</p><p>両親の離婚後に母親と暮らすＯさん。母親とて精神面に不安あり。就Ｂにおいて年下の面倒をよく見ている、と告げるに見せた母親の笑顔。が、んな生活も長くは続かず。児童相談所の介入に下されし判断は一時保護。それが意味するは｢隔離｣であり、外出は原則不可。就Ｂとて例外になく。</p><p>｢一時保護とはあくまでも時限的な措置。また、再会を｣と諭すは施設長。｢一か月後の夏祭りには必ず戻ってくるからね｣と訴える彼女と指切りをしたものの、その見込み薄きことは明らか。それが彼女の成長に与える影響は小さからず、せめて半日だけでも外出の許可を、と施設長自ら。それとて何ら自らの報酬に結び付くものになく。</p><p>対するは施設側。万が一あれば責任が問われかねず。組織的な防衛本能が働きがちな中に下した判断。当日の外出は認めぬ、が、後日、施設長が面会時に縁日の品を差入することで折り合いがついた、と。</p><p>当該の事案が保護に該当するか否か、そこに留めおくに足る理由とは、仮にそうだとしても期限をいかに云々と施設側の苦悶やいかばかりか。そして、満期を迎えるに迫られる判断。戻すに欠かせぬ身の安全、戻すに戻せぬ、いや、本人の将来を考えれば専門の施設のほうが。</p><p>そこに受け皿あらば。いや、あるにはあるが市内は満員。ならば新たな施設を、と言うは易くも。他を探さば。そこに立ちはだかるは自治体の壁。何ゆえに他市からの受入れを、と相手は言うやもしれぬ。が、利用者の身になってみれば。そんな垣根を越えた連携こそが福祉に欠かせぬ視点。</p><p>ついで申さば。児相はあくまでも児童の為の施設であって年齢の要件が課されるばかりか、彼らが担うは障害に限らず。専門の施設とて回転ドアこそが理想。実現に人材育成こそ。</p><p>(令和8年8月15日／3013回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[右下]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59113126/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59113126</id><summary><![CDATA[ポアロといえばその人。事件はトリックに目が奪われがちも動機こそが、と彼女を描きしミュージカルにて。そう、アガサ･クリスティ。例年八月は中止だったはず。真夏の炎天下に、それも対象者は障害者の方々であり、何を好んでグランドゴルフなど。いや、それがどうして、しかも一人ならず。何せ彼らにはそれを上回る｢動機｣があるに違いなく。月イチの障害者スポーツ教室にて満足げに帰路につく彼らを見送った。容認派の父に対して不要論をかざすは。母の説得を終えたゆえ、あとは要する費用を、と娘。確かに｢取得するなら今｣と助言したのは事実。費用以上に時間。それこそが学生の特権であり、社会人以降にそれだけの融通が図れるか。時折のラウンド相手や子と同年齢の学生であり。聞くにゴルフ部の新人が三十名は下らず、それも大半は初心者。ゴルフに欠かせぬは金銭的な余裕。ならば、全員がそういう家庭の生まれか、と言われれば。道具など中古で十分、練習場ならばまだしも本コースとなるに。仮に捻出が出来たにせよ、もたつかば見知らぬ後続組から｢急げ｣の重圧を背に受けながらのプレーではさすがに。不足する金銭を補って余りあるは若さ、体力と情熱。彼らなりに知恵を絞り、学割とはいわぬまでも。閑古鳥の地方にあっては彼らを歓迎する向きあり。首都圏近郊に比べて低廉なプレー代はもとより、コース内に併設されるは格安の宿泊施設。免許とゴルフ、それこそが学生の必修だったりもして。惜しむ金銭。乗り合いの遠征は若者のみならず。高速代を払ってでもそちらのほうが割得と。いや、それこそが賢い選択か。車中の話題となりしはそちら。東名川崎がＥＴＣ専門になるとか。もはや広く定着し、標準化した感のあるＥＴＣなれど、中には諸般の事情で持ち合わせぬ人とて。せめて、救いの１レーンがあっても、とＫ兄。そう、そこに劣らぬ普及を見せるは。この前なんぞ発券機にて商品を選択後、支払い方法にあるはずの｢現金｣なく。まごつくに背後から、｢そちらは現金使えぬ｣と。並ぶ２台の外観や同一。１台を専門にするなら優先すべきはカードならぬ現金にあるまいか。庶民の味方のはずの駅そばにあってかくの如き状況。百均のレジなんぞ、もはや。レジ袋の有無を聞かれるはまだしも、やれポイントがどうだ、とか。ようやく支払い方法の画面となりしも、並ぶボタンから｢現金｣探すにひと苦労。ようやく見つけるは右下であり。まずは｢現金｣か｢それ以外｣か、なる二者択一があって、その後は勝手に、というのが真の利用者目線にあるまいか、と憤慨してみても。ならば、いっそそちらもセルフで。が、やはり、あの炎天下に汗だくで訴える姿への同情こそが金額を押し上げるのであって。そこに立ち止まって財布から小銭を取り出し、子供に持たせ。縮まりし距離に目の高さを合わせ、｢ありがとう｣と一言。顔ほころばせる子供たち。それに生まれし感情こそが。駅頭にて熊本地震への救援募金を終えた。(令和8年8月10日／3012回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-08-09T20:55:56+00:00</published><updated>2026-08-09T23:35:05+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ポアロといえばその人。事件はトリックに目が奪われがちも動機こそが、と彼女を描きしミュージカルにて。そう、アガサ･クリスティ。</p><p>例年八月は中止だったはず。真夏の炎天下に、それも対象者は障害者の方々であり、何を好んでグランドゴルフなど。いや、それがどうして、しかも一人ならず。何せ彼らにはそれを上回る｢動機｣があるに違いなく。月イチの障害者スポーツ教室にて満足げに帰路につく彼らを見送った。</p><p>容認派の父に対して不要論をかざすは。母の説得を終えたゆえ、あとは要する費用を、と娘。確かに｢取得するなら今｣と助言したのは事実。費用以上に時間。それこそが学生の特権であり、社会人以降にそれだけの融通が図れるか。</p><p>時折のラウンド相手や子と同年齢の学生であり。聞くにゴルフ部の新人が三十名は下らず、それも大半は初心者。ゴルフに欠かせぬは金銭的な余裕。ならば、全員がそういう家庭の生まれか、と言われれば。道具など中古で十分、練習場ならばまだしも本コースとなるに。</p><p>仮に捻出が出来たにせよ、もたつかば見知らぬ後続組から｢急げ｣の重圧を背に受けながらのプレーではさすがに。不足する金銭を補って余りあるは若さ、体力と情熱。彼らなりに知恵を絞り、学割とはいわぬまでも。</p><p>閑古鳥の地方にあっては彼らを歓迎する向きあり。首都圏近郊に比べて低廉なプレー代はもとより、コース内に併設されるは格安の宿泊施設。免許とゴルフ、それこそが学生の必修だったりもして。</p><p>惜しむ金銭。乗り合いの遠征は若者のみならず。高速代を払ってでもそちらのほうが割得と。いや、それこそが賢い選択か。車中の話題となりしはそちら。東名川崎がＥＴＣ専門になるとか。もはや広く定着し、標準化した感のあるＥＴＣなれど、中には諸般の事情で持ち合わせぬ人とて。せめて、救いの１レーンがあっても、とＫ兄。</p><p>そう、そこに劣らぬ普及を見せるは。この前なんぞ発券機にて商品を選択後、支払い方法にあるはずの｢現金｣なく。まごつくに背後から、｢そちらは現金使えぬ｣と。並ぶ２台の外観や同一。１台を専門にするなら優先すべきはカードならぬ現金にあるまいか。庶民の味方のはずの駅そばにあってかくの如き状況。百均のレジなんぞ、もはや。</p><p>レジ袋の有無を聞かれるはまだしも、やれポイントがどうだ、とか。ようやく支払い方法の画面となりしも、並ぶボタンから｢現金｣探すにひと苦労。ようやく見つけるは右下であり。まずは｢現金｣か｢それ以外｣か、なる二者択一があって、その後は勝手に、というのが真の利用者目線にあるまいか、と憤慨してみても。</p><p>ならば、いっそそちらもセルフで。が、やはり、あの炎天下に汗だくで訴える姿への同情こそが金額を押し上げるのであって。そこに立ち止まって財布から小銭を取り出し、子供に持たせ。縮まりし距離に目の高さを合わせ、｢ありがとう｣と一言。顔ほころばせる子供たち。それに生まれし感情こそが。</p><p>駅頭にて熊本地震への救援募金を終えた。</p><p>(令和8年8月10日／3012回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[帰省]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59094942/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59094942</id><summary><![CDATA[地元歩くに人目を気にせず。ましてや仕事を｢装う｣なんぞ。ランとて隠さぬ、ありふれた格好にて走るし、道で支援者に会わば二言三言。｢また、ランか｣と言われようともそれこそが健全。大半がスーツにて私服の持ち合わせなく、朝のそれが意味するは。盆も近きゆえ郷里の墓参りを。が、んな時に限って。リュックを肩に駅に向かわば向こうから軽快なママチャリ。もしや。｢先輩、おつかれさまです｣と元気よく声かけていただくは一向に構わぬ。こちとて、｢県議こそ朝の駅頭おつかれ｣とつつがなき会話となるはずが。その後に一言、｢今日もゴルフですか｣。それも駅前の往来多き中にあって。｢も｣とは何事。浴びる周囲の視線。いや、仮に図星とて否定はせぬ、が。身なり、徒歩、リュックのいづれをとってもそうは見えんでしょうに。もしや、こやつ私の落選を、なんて。いつぞやに記した、高台に夕日眺めし葉山の邸宅はあくまでも別荘。本宅は都内の一等地だそうで。センセイや医大ゴルフ部の出身にて週イチのゴルフが娯楽の一つ。ぜひ一度、と、その日の都合を聞かれるに１５時からサマーミューザとあり。ならば、スタート時間を朝イチにするゆえと。ホームコースは県内屈指の名門のはずが、プレー料金は他と変わらぬ、いや、むしろ他よりも。さすがに安すぎはせぬか、と聞くに優待券ほか諸々のあらん限りの手立てを尽くした、とセンセイ。紹介者が介したとはいえ会うは二度目。そこまでもてなして下さるはよほどの善人か、はたまた。今の世もまだまだ捨てたものにあらず。が、それで、終わらぬ。夜に予定されるはホームパーティー。奥様が自慢の本格インドカレーをふるまって下さるらしく。センセイはプレー後の午後から自ら診察に立たれると聞くも、それ以上に奥様なんぞ秘書兼助手、キャディに料理人と一人二役どころか。で、夜もぜひ、との誘いに、｢体力の限界です｣と丁重に。浴衣が大勢を占める中にその恰好は場違いというか。目立ってなんぼのこの世界。それこそがアピールであり、議員って大変、と印象与えるには好都合。スーツで汗だく、なんて。盆踊りに欠かせぬは浴衣ならぬ酒。が、およそそんな日は重なるもので片手で足りぬ目的地。｢また、呑めぬのか｣との小言しばしば。最近はそれが社交辞令というよりも本気に見えたりもして。乗るなら飲むな、飲むならば。そう、ランがあるじゃないか。ランバカゆえに身を以て知る危険性。ラン後の飲酒以上に、飲酒後のランなど。ましてや、ただでさえ酒癖よからず、失態は数知れず。途中、道に倒れようものなら。が、酒呑まばどこへやら。気づいた時には、次の会場に間に合わぬではないか。が、やはり、んな時に限って。轟く雷鳴に突然の豪雨。断念するにいい口実になり得るも、客は退けども役員は退かず。呼ばれた以上は何としてでも。間に合いし花火は片平町会。ずぶぬれのまま挨拶を終え。あと一つ。そこに見かけしは代議士の秘書Ｙ君。これこそが天の救い。次の会場まで車で頼む、と行先を告げるに。そこは今さっき、順路が逆です、と役人以上につれない｢答弁｣を示され。走りに走ってゴールとなりし岡上小。ふるまわれし麦酒は格別。各所のもてなしに感謝。(令和8年8月5日／3011回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-08-04T20:55:47+00:00</published><updated>2026-08-05T11:48:13+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>地元歩くに人目を気にせず。ましてや仕事を｢装う｣なんぞ。ランとて隠さぬ、ありふれた格好にて走るし、道で支援者に会わば二言三言。｢また、ランか｣と言われようともそれこそが健全。</p><p>大半がスーツにて私服の持ち合わせなく、朝のそれが意味するは。盆も近きゆえ郷里の墓参りを。が、んな時に限って。リュックを肩に駅に向かわば向こうから軽快なママチャリ。もしや。</p><p>｢先輩、おつかれさまです｣と元気よく声かけていただくは一向に構わぬ。こちとて、｢県議こそ朝の駅頭おつかれ｣とつつがなき会話となるはずが。その後に一言、｢今日もゴルフですか｣。それも駅前の往来多き中にあって。｢も｣とは何事。浴びる周囲の視線。いや、仮に図星とて否定はせぬ、が。身なり、徒歩、リュックのいづれをとってもそうは見えんでしょうに。もしや、こやつ私の落選を、なんて。</p><p>いつぞやに記した、高台に夕日眺めし葉山の邸宅はあくまでも別荘。本宅は都内の一等地だそうで。センセイや医大ゴルフ部の出身にて週イチのゴルフが娯楽の一つ。ぜひ一度、と、その日の都合を聞かれるに１５時からサマーミューザとあり。ならば、スタート時間を朝イチにするゆえと。</p><p>ホームコースは県内屈指の名門のはずが、プレー料金は他と変わらぬ、いや、むしろ他よりも。さすがに安すぎはせぬか、と聞くに優待券ほか諸々のあらん限りの手立てを尽くした、とセンセイ。紹介者が介したとはいえ会うは二度目。そこまでもてなして下さるはよほどの善人か、はたまた。今の世もまだまだ捨てたものにあらず。</p><p>が、それで、終わらぬ。夜に予定されるはホームパーティー。奥様が自慢の本格インドカレーをふるまって下さるらしく。センセイはプレー後の午後から自ら診察に立たれると聞くも、それ以上に奥様なんぞ秘書兼助手、キャディに料理人と一人二役どころか。で、夜もぜひ、との誘いに、｢体力の限界です｣と丁重に。</p><p>浴衣が大勢を占める中にその恰好は場違いというか。目立ってなんぼのこの世界。それこそがアピールであり、議員って大変、と印象与えるには好都合。スーツで汗だく、なんて。盆踊りに欠かせぬは浴衣ならぬ酒。が、およそそんな日は重なるもので片手で足りぬ目的地。｢また、呑めぬのか｣との小言しばしば。最近はそれが社交辞令というよりも本気に見えたりもして。乗るなら飲むな、飲むならば。そう、ランがあるじゃないか。</p><p>ランバカゆえに身を以て知る危険性。ラン後の飲酒以上に、飲酒後のランなど。ましてや、ただでさえ酒癖よからず、失態は数知れず。途中、道に倒れようものなら。が、酒呑まばどこへやら。気づいた時には、次の会場に間に合わぬではないか。</p><p>が、やはり、んな時に限って。轟く雷鳴に突然の豪雨。断念するにいい口実になり得るも、客は退けども役員は退かず。呼ばれた以上は何としてでも。間に合いし花火は片平町会。ずぶぬれのまま挨拶を終え。あと一つ。</p><p>そこに見かけしは代議士の秘書Ｙ君。これこそが天の救い。次の会場まで車で頼む、と行先を告げるに。そこは今さっき、順路が逆です、と役人以上につれない｢答弁｣を示され。走りに走ってゴールとなりし岡上小。ふるまわれし麦酒は格別。各所のもてなしに感謝。</p><p>(令和8年8月5日／3011回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[都響]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59074699/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59074699</id><summary><![CDATA[情婦が脱走兵に殺される話なんぞ汚らわしく、当劇場には似つかわぬ、というのが一方。ならば、もう一方は、｢彼に賭けてみようじゃないか｣。が、んな前衛的な作品がウケるのは往々にして。御多分に洩れず彼もまた。生前にその成功を知ることなく。初演は惨敗、以降も酷評続く中にも。逆境に燃える性格は作曲のみならず。初演まもなくの五月、セーヌ河など寒くて泳げぬ、との友人の軽口にその場で飛び込み、体調崩して病没、とプログラムの解説に。東フィルの定期演奏会にて歌劇｢カルメン｣を。今や押しも押されもせぬ不動の地位を築くに彼の功績を抜きに語れず。原作者やメリメなれど、｢カルメン｣といえば作曲家ジョルジュ･ビゼーであり。閑話休題。日々の仕事に欠かせぬは予算書ならぬ職員録。いや、逆を申さば、それさえあれば。が、五百頁にも及ぶ冊子は持ち歩くに不便。この御時世にあってスマホに収納できぬものか、と促し続けた結果。今年度からペーパーレス化が図られると聞いて。いや、確かにあの時は職員録をそのままにＰＤＦ化すればいいだけの話、何を躊躇する必要があろうか、と迫ったはずで。事実、そのままが実現。字の拡大縮小は可能であるし、分厚い冊子の持ち運びはなくなった、されど。何と申しても当該課に辿り着くに五百頁のスライドを何度も往復。紙の冊子であれば局ごとに色分けされたインデックスがあり。従来の紙媒体を使い慣らしとるはずの市議にしてこんな状況なのだから一般人とあらば。そう、昨年度までは一般にも販売されていた職員録が廃止となり。それでも見たくばどこぞの庁舎の一角にて閲覧が可能とされるも。知りたくば足を運べ、とは時代に逆行。それでいてあんな使い勝手の悪いものを見せられた日には役所への鬱憤が募らぬはずなく。かたや、モノはデータである以上、メール添付にて送れもするから。ならばザルではないか。そのへんが｢ちぐはぐ｣というか。そんな動きは本市に限らず。相次ぐ廃止の理由とされるはそちら。氏名が公表されることで可能性が生ずる、ということらしく。いや、確かに従来の職員録の冒頭にも目的外使用への配慮を求める記載あり、あくまでも業務用につき、と。守るべきは内なる社員との言い分は分からんでもないが、ならば、職員の氏名を伏すに支障はきたさぬか、と言われれば。ただでさえ、異動のたびに知らぬ存ぜぬ、口約束が反故にされた、なんて。名乗るがゆえに生ずるは責任であり。名前を知られるに不都合、と相手との距離置くはかえって。そのへんを察してか、ペーパーレスの名を借りて、なんて。そうそう、本市のサマーミューザも開幕。クラシックに心を静め。都響によるシューマンの交響曲第四番がよかった。(令和8年7月30日／3010回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-29T20:55:22+00:00</published><updated>2026-07-29T23:23:44+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>情婦が脱走兵に殺される話なんぞ汚らわしく、当劇場には似つかわぬ、というのが一方。ならば、もう一方は、｢彼に賭けてみようじゃないか｣。が、んな前衛的な作品がウケるのは往々にして。御多分に洩れず彼もまた。生前にその成功を知ることなく。</p><p>初演は惨敗、以降も酷評続く中にも。逆境に燃える性格は作曲のみならず。初演まもなくの五月、セーヌ河など寒くて泳げぬ、との友人の軽口にその場で飛び込み、体調崩して病没、とプログラムの解説に。東フィルの定期演奏会にて歌劇｢カルメン｣を。</p><p>今や押しも押されもせぬ不動の地位を築くに彼の功績を抜きに語れず。原作者やメリメなれど、｢カルメン｣といえば作曲家ジョルジュ･ビゼーであり。</p><p>閑話休題。日々の仕事に欠かせぬは予算書ならぬ職員録。いや、逆を申さば、それさえあれば。が、五百頁にも及ぶ冊子は持ち歩くに不便。この御時世にあってスマホに収納できぬものか、と促し続けた結果。今年度からペーパーレス化が図られると聞いて。</p><p>いや、確かにあの時は職員録をそのままにＰＤＦ化すればいいだけの話、何を躊躇する必要があろうか、と迫ったはずで。事実、そのままが実現。字の拡大縮小は可能であるし、分厚い冊子の持ち運びはなくなった、されど。</p><p>何と申しても当該課に辿り着くに五百頁のスライドを何度も往復。紙の冊子であれば局ごとに色分けされたインデックスがあり。従来の紙媒体を使い慣らしとるはずの市議にしてこんな状況なのだから一般人とあらば。</p><p>そう、昨年度までは一般にも販売されていた職員録が廃止となり。それでも見たくばどこぞの庁舎の一角にて閲覧が可能とされるも。知りたくば足を運べ、とは時代に逆行。それでいてあんな使い勝手の悪いものを見せられた日には役所への鬱憤が募らぬはずなく。かたや、モノはデータである以上、メール添付にて送れもするから。ならばザルではないか。そのへんが｢ちぐはぐ｣というか。</p><p>そんな動きは本市に限らず。相次ぐ廃止の理由とされるはそちら。氏名が公表されることで可能性が生ずる、ということらしく。いや、確かに従来の職員録の冒頭にも目的外使用への配慮を求める記載あり、あくまでも業務用につき、と。</p><p>守るべきは内なる社員との言い分は分からんでもないが、ならば、職員の氏名を伏すに支障はきたさぬか、と言われれば。ただでさえ、異動のたびに知らぬ存ぜぬ、口約束が反故にされた、なんて。名乗るがゆえに生ずるは責任であり。名前を知られるに不都合、と相手との距離置くはかえって。そのへんを察してか、ペーパーレスの名を借りて、なんて。</p><p>そうそう、本市のサマーミューザも開幕。クラシックに心を静め。都響によるシューマンの交響曲第四番がよかった。</p><p>(令和8年7月30日／3010回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[町議]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59062324/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59062324</id><summary><![CDATA[支援者から届きしダンボール箱の中や本の山。いづれもそのジャンルであり。飽きさせぬ展開に驚愕の結末等々、読むに全体のレベルの高さが窺い知れて。新宿鮫しかり、警察小説の中でも同一主人公によるシリーズもの少なからず。鳴沢了を主人公とするは堂場瞬一氏の作品。その第一作｢雪虫｣の舞台や新潟。海に沈む夕日の中でも｢上越｣こそが、と文中に。言わずと知れた私の郷里。旅先にて夕日を目にすること数あれど確かに。いや、まだ知らぬ土地、玄界灘なんてどうか。御親戚がそちらの町議会議員。んな話を聞かせていただいたのは数年前。視察か何かの折に立ち寄りを、と。が、残念ながら御当地には何もない、いや、本当に何も、と支援者。いや、どんな小さな村とて、どんな小さな自治体の議員とて必ず学ぶべきものあり。｢ついで｣とは僭越。それこそが十分に目的となるものであり、聞かば行くべし、と。手土産を片手に役所を訪ねて知らされる事実。先生は既に過去の人、と申しても故人ならぬ現役を退かれた身となっておられ。ふむ、どうしたものか、と逡巡しとると、こちら側で御自宅にお届けしますよ、と職員。すまぬが、そうしてくれぬか、と丁寧に。先生の名を告げるに相手が顔をほころばせるは慕われていた証左。当日の夜に支援者から御礼のメール。翌日の予定を聞かれて焼物の勉強でも、と返答するに、ならば、彼の友人の窯元がおすすめ。荒々しい刷毛目のアジのある作品と。そう、｢アジある｣とは便利な表現であり。いかなる作品とて陶芸家が精魂込めて作ったものに違いない。が、そこに優劣、いや、モノの価格となると。これこそが優れた名品と聞いても、美観は人それぞれ。見てみよ、この何ともいえぬ色合いに絶妙なヒビの入りなどは当人にしか、などと聞かされてもどことなく押しつけがましさ、というか。されど、否定するも相手に失礼と知ってか、確かに｢アジある｣作品、と返しておかば。彼こそが、なんて立派な肩書を告げられても、そこに客観的な指標がない以上、その価値を説くに営業力が勝った可能性とて。隠居後の趣味に陶芸とはどことなく高尚に見えたりもして。とりわけ、窯で焼く一手間。物事が全て上手くいくが理想と知れど、それでは退屈。上手くいきそうでいかぬところ。そのマゾヒズム的な刺激こそが人を道に誘い込む悪魔の誘惑。とするに、陶芸に劣らぬはやはり。何と申してもゴルフはウソをつかぬ。｢アジのある｣なんてのは通用せず。いかに自らを自慢げに語れども、突きつけられるスコアこそが誰しもに頷かせる残酷な現実であり。そう、彼もまたハマりし一人。フィッツジェラルドの｢冬の夢｣を読み終えて。そうそう、酒に夢中で玄界灘の夕日を見そびれてしまい。いや、あれこそ美観だから。(令和8年7月26日／3009回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-25T20:55:56+00:00</published><updated>2026-07-25T23:26:52+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>支援者から届きしダンボール箱の中や本の山。いづれもそのジャンルであり。飽きさせぬ展開に驚愕の結末等々、読むに全体のレベルの高さが窺い知れて。新宿鮫しかり、警察小説の中でも同一主人公によるシリーズもの少なからず。</p><p>鳴沢了を主人公とするは堂場瞬一氏の作品。その第一作｢雪虫｣の舞台や新潟。海に沈む夕日の中でも｢上越｣こそが、と文中に。言わずと知れた私の郷里。旅先にて夕日を目にすること数あれど確かに。いや、まだ知らぬ土地、玄界灘なんてどうか。</p><p>御親戚がそちらの町議会議員。んな話を聞かせていただいたのは数年前。視察か何かの折に立ち寄りを、と。が、残念ながら御当地には何もない、いや、本当に何も、と支援者。いや、どんな小さな村とて、どんな小さな自治体の議員とて必ず学ぶべきものあり。｢ついで｣とは僭越。それこそが十分に目的となるものであり、聞かば行くべし、と。</p><p>手土産を片手に役所を訪ねて知らされる事実。先生は既に過去の人、と申しても故人ならぬ現役を退かれた身となっておられ。ふむ、どうしたものか、と逡巡しとると、こちら側で御自宅にお届けしますよ、と職員。すまぬが、そうしてくれぬか、と丁寧に。先生の名を告げるに相手が顔をほころばせるは慕われていた証左。</p><p>当日の夜に支援者から御礼のメール。翌日の予定を聞かれて焼物の勉強でも、と返答するに、ならば、彼の友人の窯元がおすすめ。荒々しい刷毛目のアジのある作品と。そう、｢アジある｣とは便利な表現であり。いかなる作品とて陶芸家が精魂込めて作ったものに違いない。が、そこに優劣、いや、モノの価格となると。これこそが優れた名品と聞いても、美観は人それぞれ。</p><p>見てみよ、この何ともいえぬ色合いに絶妙なヒビの入りなどは当人にしか、などと聞かされてもどことなく押しつけがましさ、というか。されど、否定するも相手に失礼と知ってか、確かに｢アジある｣作品、と返しておかば。彼こそが、なんて立派な肩書を告げられても、そこに客観的な指標がない以上、その価値を説くに営業力が勝った可能性とて。</p><p>隠居後の趣味に陶芸とはどことなく高尚に見えたりもして。とりわけ、窯で焼く一手間。物事が全て上手くいくが理想と知れど、それでは退屈。上手くいきそうでいかぬところ。そのマゾヒズム的な刺激こそが人を道に誘い込む悪魔の誘惑。とするに、陶芸に劣らぬはやはり。</p><p>何と申してもゴルフはウソをつかぬ。｢アジのある｣なんてのは通用せず。いかに自らを自慢げに語れども、突きつけられるスコアこそが誰しもに頷かせる残酷な現実であり。そう、彼もまたハマりし一人。フィッツジェラルドの｢冬の夢｣を読み終えて。</p><p>そうそう、酒に夢中で玄界灘の夕日を見そびれてしまい。いや、あれこそ美観だから。</p><p>(令和8年7月26日／3009回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[狛江]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59041040/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59041040</id><summary><![CDATA[年に一度の同級会。と申しても年齢は同一ならず。時同じくして政令市の議長を仰せつかりし同期の桜。退任後とて年に一度位は、と。この夏が広島市ならば来夏は、そう、本市だそうで。ちと気が早すぎはせぬか。未だ広島市も終わっておらぬというに。夏と言えば焼肉。そして、焼肉といえば、本市。花博＆焼肉で決まり、とか。市内に名店は数あれどもそれこそが聖地とばかりセメント通り推す声は少なからず。が、あの通りの向こうにこそ名店あり。んな名店を一緒に、とＩ市議の誘いに応じた後日、トイレにて隣り合わせし同期のＯ市議に、何故に私を誘わなんだ、と言われても。そこに借りはないけれども貴殿に免じて特別に、ともう一回。夏は焼肉のみならず。冷房の効いた部屋で一日を過ごす位ならば、外で汗だく、火照った身体を水風呂で。あの開放感に湯上りの爽快感は家の風呂では。ましてや今年は２０２６、千年に一度のオフロの年だそうで。目下、愛好家の支援者とともに銭湯めぐりに余念なく。経営難といわれし銭湯もリノベーションにてまちの活性化に一役。狛江などは狛江湯はじめ駅前はレトロな雰囲気に仕上がっとるし、調布の鶴の湯なんぞは朝湯が好評、流れるＢＧＭは昭和の懐メロであり。今や焼肉に銭湯は夏の季語と申しても。そう、こちらは正真正銘、夏の季語。店の名いわば卒業生ならば誰しもが。小学校の前にて文具店を営みつつ、子供たちを見守り続けてきたＹさんも今や米寿。天真爛漫な性格は子供たちのみならず万人に好かれ。そんなＹさんからの相談。庭先にハチの巣、それもスズメバチ。奥様が庭木の手入れの際に気づいたのだそうで。巣や小さからず。自らならばまだしも通学途中の子らに万が一あらば。そう、昨年、いや、一昨年にやはり近所にて同様の騒動あり。校長に相談するに自らが現地を見にやってきて。通学路上にて重大事、私どもで何とかするゆえ、と。数日後、依頼を受けた業者が駆除して事なきを得たはず。ならば今回も。新たな校長曰く、それは当方の関与するものではない、とにべもなく。が、そこでへこたれぬがＹさん。ならば、と市販の殺虫剤を片手に。相手は随分と弱った、まさに虫の息、今日明日にでもとどめの一撃を、と興奮冷めやらぬＹさん。挑むは勝手も、ハチに刺されて成仏、直前に市議に相談、なんて記事にならぬとも限らず。下り階段は最後の一段、ハチは死に際の一刺しこそが。役所に打診するゆえ早まらぬよう、と伝え。事の経緯を告げるに少しばかりの時間を、と課長。翌日には所長から。やはり前回と同様、危険ゆえ当方にて始末するよう指示を下した、先方には課長から連絡をしているはず、と。それは朗報、Ｙさんもさぞ喜ぶに違いない。と訪ねし週末。朗らかに出迎えて下さるは奥様。確かにあれから時を置かずして連絡はあった。が、せっかちな主人が待ちきれず。ケガなく敵を殲滅した、と。(令和8年7月20日／3008回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-19T20:55:20+00:00</published><updated>2026-07-20T10:27:31+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>年に一度の同級会。と申しても年齢は同一ならず。時同じくして政令市の議長を仰せつかりし同期の桜。退任後とて年に一度位は、と。この夏が広島市ならば来夏は、そう、本市だそうで。ちと気が早すぎはせぬか。未だ広島市も終わっておらぬというに。夏と言えば焼肉。そして、焼肉といえば、本市。花博＆焼肉で決まり、とか。</p><p>市内に名店は数あれどもそれこそが聖地とばかりセメント通り推す声は少なからず。が、あの通りの向こうにこそ名店あり。んな名店を一緒に、とＩ市議の誘いに応じた後日、トイレにて隣り合わせし同期のＯ市議に、何故に私を誘わなんだ、と言われても。そこに借りはないけれども貴殿に免じて特別に、ともう一回。</p><p>夏は焼肉のみならず。冷房の効いた部屋で一日を過ごす位ならば、外で汗だく、火照った身体を水風呂で。あの開放感に湯上りの爽快感は家の風呂では。ましてや今年は２０２６、千年に一度のオフロの年だそうで。目下、愛好家の支援者とともに銭湯めぐりに余念なく。</p><p>経営難といわれし銭湯もリノベーションにてまちの活性化に一役。狛江などは狛江湯はじめ駅前はレトロな雰囲気に仕上がっとるし、調布の鶴の湯なんぞは朝湯が好評、流れるＢＧＭは昭和の懐メロであり。今や焼肉に銭湯は夏の季語と申しても。</p><p>そう、こちらは正真正銘、夏の季語。店の名いわば卒業生ならば誰しもが。小学校の前にて文具店を営みつつ、子供たちを見守り続けてきたＹさんも今や米寿。天真爛漫な性格は子供たちのみならず万人に好かれ。そんなＹさんからの相談。庭先にハチの巣、それもスズメバチ。奥様が庭木の手入れの際に気づいたのだそうで。巣や小さからず。自らならばまだしも通学途中の子らに万が一あらば。</p><p>そう、昨年、いや、一昨年にやはり近所にて同様の騒動あり。校長に相談するに自らが現地を見にやってきて。通学路上にて重大事、私どもで何とかするゆえ、と。数日後、依頼を受けた業者が駆除して事なきを得たはず。ならば今回も。新たな校長曰く、それは当方の関与するものではない、とにべもなく。</p><p>が、そこでへこたれぬがＹさん。ならば、と市販の殺虫剤を片手に。相手は随分と弱った、まさに虫の息、今日明日にでもとどめの一撃を、と興奮冷めやらぬＹさん。挑むは勝手も、ハチに刺されて成仏、直前に市議に相談、なんて記事にならぬとも限らず。下り階段は最後の一段、ハチは死に際の一刺しこそが。役所に打診するゆえ早まらぬよう、と伝え。</p><p>事の経緯を告げるに少しばかりの時間を、と課長。翌日には所長から。やはり前回と同様、危険ゆえ当方にて始末するよう指示を下した、先方には課長から連絡をしているはず、と。それは朗報、Ｙさんもさぞ喜ぶに違いない。と訪ねし週末。</p><p>朗らかに出迎えて下さるは奥様。確かにあれから時を置かずして連絡はあった。が、せっかちな主人が待ちきれず。ケガなく敵を殲滅した、と。</p><p>(令和8年7月20日／3008回)</p>
		</div>
	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[破顔]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59025000/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59025000</id><summary><![CDATA[世の中に間の悪い人、いや、間の悪い｢時｣はあるもので。レース途中の着信や地元の県議。｢会合に姿が見えぬが、今どちらに｣。そのままを告げるに、｢今回は特段に咎めぬ｣と。主従関係があるものでもなし、私がどこにいようと私の勝手。少なくとも貴殿に許しを請う理由なんぞ。いや、そこには伏線があって。数日前に行われた党市連の大会。党の役職は全て辞した身とあらば扱いは一般に同じ。出欠はあくまでも任意、委任状にて済まさんとするに県議から。んな身勝手が許されるか、執行部側にあらざれども出席は義務、とばかりに。それとて彼なりの気遣いに違いなく。それで顔が立ったか否か、恭順示しことへのお返しとのことらしく。会合からは姿くらませども支援者は怠りなく。末期がんを患いし彼にこの一冊を、と使い走りを頼まれて訪ねしＹさん宅。道路に面した庭に広げられるは。収穫から一か月、ぼちぼち加工品が出回り始める頃であり、中でも人気はそちら。定年後の趣味というか、腕自慢多く、わが自慢の一品を、と提供されること少なからず。今や減塩、ハチミツ入りが高級品として市販に出回る中にあって梅干しとはかくあるべし、やはりあの口をすぼめるような塩加減こそが。食べてみるか、と促される前にこちらの手が伸びて。種はそのまま庭に。みやげに数粒をいただくも来年はありつけるかどうか。老若男女を問わず愉しめるがそちら。全盛期に比べれば隔世の感は否めず。不肖私が区協会の会長にて普及図らんとするも時代の波に抗えず。が、そんな逆境下にあっても顔見せるは真の愛好家の証。巧拙は二の次、悲喜こもごも、白熱の一戦がそこに。そう、ボウリング。３ゲーム合計を競いし規則なれど、終了に時差。それも少なからぬ差が付くに。やはりマイボウル組が早く、差はストライクの数の違いか、とave215のＫさんに聞かば、それ以上、あの余韻に浸りしガッツポーズ、自己陶酔の長さに比例する、と。あの喜怒哀楽はゴルフのパットに劣らず。その興奮こそがリハビリにも、なんて。あの倒れそうで倒れぬ最後のピン。落胆のまま、レーンに背を向けて戻らんとするに上がる歓声。もしや、と振り向きて見せる破顔、恍惚の表情。それが最後の１ピンとあらば。そう、私と同じレーンとなりしＴさんは少年野球の元審判長。当人の腕前は私もよく知るところであり。その一投を背後で見守るに全ピンが倒れてのストライク。が、振り向きざまに、今のはノーカウント、とゼスチャーを見せる本人。いや、確かに最後に一呼吸おいて倒れし７番ピンに違和感はあった。が、倒れた事実には相違なく。ましてや、そこで得る１ピン、ストライクゆえスコアでも１０以上は違うはずも。そこに窺い知る当人なりの美学、というか人柄。そんな人物に指導される子供たちは幸せではないか、と。(令和8年7月15日／3007回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-14T20:55:37+00:00</published><updated>2026-07-14T20:55:38+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>世の中に間の悪い人、いや、間の悪い｢時｣はあるもので。レース途中の着信や地元の県議。｢会合に姿が見えぬが、今どちらに｣。そのままを告げるに、｢今回は特段に咎めぬ｣と。主従関係があるものでもなし、私がどこにいようと私の勝手。少なくとも貴殿に許しを請う理由なんぞ。いや、そこには伏線があって。</p><p>数日前に行われた党市連の大会。党の役職は全て辞した身とあらば扱いは一般に同じ。出欠はあくまでも任意、委任状にて済まさんとするに県議から。んな身勝手が許されるか、執行部側にあらざれども出席は義務、とばかりに。それとて彼なりの気遣いに違いなく。それで顔が立ったか否か、恭順示しことへのお返しとのことらしく。</p><p>会合からは姿くらませども支援者は怠りなく。末期がんを患いし彼にこの一冊を、と使い走りを頼まれて訪ねしＹさん宅。道路に面した庭に広げられるは。収穫から一か月、ぼちぼち加工品が出回り始める頃であり、中でも人気はそちら。</p><p>定年後の趣味というか、腕自慢多く、わが自慢の一品を、と提供されること少なからず。今や減塩、ハチミツ入りが高級品として市販に出回る中にあって梅干しとはかくあるべし、やはりあの口をすぼめるような塩加減こそが。食べてみるか、と促される前にこちらの手が伸びて。種はそのまま庭に。みやげに数粒をいただくも来年はありつけるかどうか。</p><p>老若男女を問わず愉しめるがそちら。全盛期に比べれば隔世の感は否めず。不肖私が区協会の会長にて普及図らんとするも時代の波に抗えず。が、そんな逆境下にあっても顔見せるは真の愛好家の証。巧拙は二の次、悲喜こもごも、白熱の一戦がそこに。そう、ボウリング。</p><p>３ゲーム合計を競いし規則なれど、終了に時差。それも少なからぬ差が付くに。やはりマイボウル組が早く、差はストライクの数の違いか、とave215のＫさんに聞かば、それ以上、あの余韻に浸りしガッツポーズ、自己陶酔の長さに比例する、と。</p><p>あの喜怒哀楽はゴルフのパットに劣らず。その興奮こそがリハビリにも、なんて。あの倒れそうで倒れぬ最後のピン。落胆のまま、レーンに背を向けて戻らんとするに上がる歓声。もしや、と振り向きて見せる破顔、恍惚の表情。それが最後の１ピンとあらば。</p><p>そう、私と同じレーンとなりしＴさんは少年野球の元審判長。当人の腕前は私もよく知るところであり。その一投を背後で見守るに全ピンが倒れてのストライク。が、振り向きざまに、今のはノーカウント、とゼスチャーを見せる本人。</p><p>いや、確かに最後に一呼吸おいて倒れし７番ピンに違和感はあった。が、倒れた事実には相違なく。ましてや、そこで得る１ピン、ストライクゆえスコアでも１０以上は違うはずも。そこに窺い知る当人なりの美学、というか人柄。そんな人物に指導される子供たちは幸せではないか、と。</p><p>(令和8年7月15日／3007回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[十年]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59011171/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/59011171</id><summary><![CDATA[ロングの部90km累積標高5,285mは生きて帰れず。ミドル38km同2,571mならば。久々のトレイルの舞台は中央アルプス。フルマラソンでは味わえぬ充足感を得るに目指すはウルトラマラソンかトレイルか。いづれにせよ、もはやこの年齢にもなれば順位タイムなど二の次。まずはスタート地点に立てたことへの感謝。次なるはバテずにゴールまで。願わくば制限時間以内に。距離こそあれども道は平坦にて歩み止まらぬばかりか、エイドあらずとコンビニあり。ゆるく長くのウルトラに対してトレイルに問われるは瞬発力。何せ足場が平坦にあらず、常にバランスをとる為に。前後左右のみならず上下とて。重力に抗って押し上げる、逆に、身を任せて加速する体重にブレーキをかける動作にどれほどのエネルギーを要するか。オジサンには不向きな種目と知るも自然の中に身を置くに学ぶこと少なからず。深き山中にあって生存に欠かせぬは一枚の毛布であり、一杯の水。一万円札なんぞ紙屑に同じ。さて、本題。その肩書に抱く印象や人それぞれ。実直かつ温厚な社福の理事長から相談が寄せられ。有する特養にて空調が風前の灯火。居住者が高齢者とあらば死活問題になりかねず、ましてや、規模が規模なだけに修繕に要する費用は億を下らず。せめて、制度に定められし半額だけでも、と市に伺い立てるに。支給まで最低でも五年、と。理由や予算枠ならず。支給の条件や十年に一度。当該施設や数年前に水回りにて実績あるゆえ満期後に。何せ要綱に｢そう書いてある｣以上、逸脱は出来ぬ、というのが役所の言い分だそうで。それはあくまでも特段の措置であり、軽微な修繕ならば勿論自腹。大規模とて数年前と同じ箇所ならば、さもありなん、と諦めつきそうなものなれど、水回りと空調は全くの別物。ばかりか、齢重ねるに故障増えるはヒトの営みに同じ。五十年前の施設と十年前に作った施設を同列に論ずるは。問われる十年一度の意味。いや、無制限、青天井とあらばここぞとばかりにヘンな力学が働かないとも限らず。公金を投入する以上は当事者の自己負担や上限はあって然るべき。申請の乱発への懸念、予算の都合から制約を課さんとした役所側の事情は分からんでもない。が、十年に一度、と申しても、その一度きりしかないとあらば、｢どうせなら｣なんて心理が働かぬとも限らず。逆に、公金を投入いただく以上は必要最低限に、との施設側の善意が裏目に出かねぬ制度設計。それこそが寿命といわれる寸前まで、いや、寿命尽きるに｢よくぞそこまで｣と過去に遡及して助成するが理想と知るべし。要綱に照らして可否、待ち年数を告げるだけならば当人にあらずとも。施設側の切実な悩みに寄り添い、運用後、実態に即して見直しを図っていくことこそ役人の本分にあるまいか。担当との面談を終えし理事長。難色を示されるも多少の｢含み｣ありそう、と聞いて。(令和8年7月10日／3006回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-09T20:55:57+00:00</published><updated>2026-07-09T23:16:27+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ロングの部90km累積標高5,285mは生きて帰れず。ミドル38km同2,571mならば。</p><p>久々のトレイルの舞台は中央アルプス。フルマラソンでは味わえぬ充足感を得るに目指すはウルトラマラソンかトレイルか。いづれにせよ、もはやこの年齢にもなれば順位タイムなど二の次。まずはスタート地点に立てたことへの感謝。次なるはバテずにゴールまで。願わくば制限時間以内に。</p><p>距離こそあれども道は平坦にて歩み止まらぬばかりか、エイドあらずとコンビニあり。ゆるく長くのウルトラに対してトレイルに問われるは瞬発力。何せ足場が平坦にあらず、常にバランスをとる為に。前後左右のみならず上下とて。</p><p>重力に抗って押し上げる、逆に、身を任せて加速する体重にブレーキをかける動作にどれほどのエネルギーを要するか。オジサンには不向きな種目と知るも自然の中に身を置くに学ぶこと少なからず。深き山中にあって生存に欠かせぬは一枚の毛布であり、一杯の水。一万円札なんぞ紙屑に同じ。</p><p>さて、本題。その肩書に抱く印象や人それぞれ。実直かつ温厚な社福の理事長から相談が寄せられ。有する特養にて空調が風前の灯火。居住者が高齢者とあらば死活問題になりかねず、ましてや、規模が規模なだけに修繕に要する費用は億を下らず。</p><p>せめて、制度に定められし半額だけでも、と市に伺い立てるに。支給まで最低でも五年、と。理由や予算枠ならず。支給の条件や十年に一度。当該施設や数年前に水回りにて実績あるゆえ満期後に。何せ要綱に｢そう書いてある｣以上、逸脱は出来ぬ、というのが役所の言い分だそうで。</p><p>それはあくまでも特段の措置であり、軽微な修繕ならば勿論自腹。大規模とて数年前と同じ箇所ならば、さもありなん、と諦めつきそうなものなれど、水回りと空調は全くの別物。ばかりか、齢重ねるに故障増えるはヒトの営みに同じ。五十年前の施設と十年前に作った施設を同列に論ずるは。問われる十年一度の意味。</p><p>いや、無制限、青天井とあらばここぞとばかりにヘンな力学が働かないとも限らず。公金を投入する以上は当事者の自己負担や上限はあって然るべき。申請の乱発への懸念、予算の都合から制約を課さんとした役所側の事情は分からんでもない。が、十年に一度、と申しても、その一度きりしかないとあらば、｢どうせなら｣なんて心理が働かぬとも限らず。</p><p>逆に、公金を投入いただく以上は必要最低限に、との施設側の善意が裏目に出かねぬ制度設計。それこそが寿命といわれる寸前まで、いや、寿命尽きるに｢よくぞそこまで｣と過去に遡及して助成するが理想と知るべし。</p><p>要綱に照らして可否、待ち年数を告げるだけならば当人にあらずとも。施設側の切実な悩みに寄り添い、運用後、実態に即して見直しを図っていくことこそ役人の本分にあるまいか。</p><p>担当との面談を終えし理事長。難色を示されるも多少の｢含み｣ありそう、と聞いて。</p><p>(令和8年7月10日／3006回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[寝顔]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58990856/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58990856</id><summary><![CDATA[形だけなら手本の通り、とは勝手な思い込み。自ら見えぬは寝顔のみならず。他人が撮りし動画に知る現実。己のスイングって、こんなにカッコ悪いんだ。ゴルフに学ぶは謙虚さ。自ら思うほどに大したことなく。聞くに堪えぬ、見るに忍びぬ、語るに落ちる、の三拍子と知れど、世に物好きもいるとみえて。質問後に某所にて居合わせし御仁や市の退職者なれど私に向かって一言、｢今回も媚びてたな｣。媚びは否定せぬ、が、｢も｣は余計か。自らの拙い質問を聞いてもらわんとの謙虚さあって然るべきも現実や、わが質問こそ他に勝る、なる自惚れ。内容以上に人柄あらわれ。同期のＨセンセイなんぞ好例。その機知というかユーモアこそが当人をより魅力的な存在に。よもや、テレビ局の回し者なんてことは。質問のマクラとなりしは朝の連ドラ、夜の大河であり。ともに共通するは｢兄弟｣。どちらもが主役。市議と役人は兄弟が如き間柄ゆえ色よき答弁を、と始まりし質問。職場にあって今や彼らなくしては仕事が回らぬ。多様な生活様式に好んで選択する向きもあるやもしれぬ、が、その割安感は雇用主側にとっても都合がよかったりもするもので、好まざるとそうせざるを得なき方々とて。とするに正規と同等とはいかぬまでもせめて。会計年度任用職員の処遇改善を求めるは大事な視点であり、私とて大いにエールをおくるものなれど、対する答弁や｢国の動向を注視しつつ云々｣と。兄弟とは思えぬ薄情な答弁と再考を求めずとも、そこへの気遣い見せる人柄にこそ人は集まり。そう、消費税は下がれども上がるはそちら。ましてや来春とあらば雌雄決する一戦が待ち受けるだけに、自ら墓穴を掘らずとも、なんて。党利党略、私利私欲、それぞれの思惑が錯綜する中に幕開けの劇場。媚び専門の市議の命運やいかに。口火切るはやはり同期のＩセンセイ。在位二十年ともなれば個性も際立ち。舌鋒鋭く突く矛盾。多摩川と鶴見川に挟まれし本市の水道の歴史や百年。高きから低きに流れるが自然の摂理。相模湖から自然の地形を生かした流下にて広く全市においしい水を。が、そこに押し寄せるは高度経済成長期。今日でいわば半導体。工業の発展に欠かせぬは水。足りぬは本市のみならず。県の旗振りに新たな水源の開発を、と出資を決めるは昭和４４年。本市は二つの水源を有すれども異なる水源とあらば調達コストとて。それがどうして倍どころか。さもありなん、水源を求めるは県西の酒匂川。後発の宿命、取水や川下とされ、下流から救い上げれども配水先は低地にあらず。水を高きに送るに人の手、というか、膨大なエネルギーを要し。共同出資や運命をともに。企業体の存続に求められるは各自治体への契約水量の割り当て。それこそが彼らの命綱であって。が、こちとらより安価な水を独自に調達が可能なのだから、依存するにせよ足りぬ分は、となるのが常識であって、何ら阿る必要など、というのが彼女の言い分。確かに合理的には違いないが。紙面の都合上、続きは次回に、なんて。(令和8年7月5日／3005回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-07-04T20:55:51+00:00</published><updated>2026-07-04T20:55:54+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>形だけなら手本の通り、とは勝手な思い込み。自ら見えぬは寝顔のみならず。他人が撮りし動画に知る現実。己のスイングって、こんなにカッコ悪いんだ。ゴルフに学ぶは謙虚さ。自ら思うほどに大したことなく。</p><p>聞くに堪えぬ、見るに忍びぬ、語るに落ちる、の三拍子と知れど、世に物好きもいるとみえて。質問後に某所にて居合わせし御仁や市の退職者なれど私に向かって一言、｢今回も媚びてたな｣。</p><p>媚びは否定せぬ、が、｢も｣は余計か。自らの拙い質問を聞いてもらわんとの謙虚さあって然るべきも現実や、わが質問こそ他に勝る、なる自惚れ。内容以上に人柄あらわれ。同期のＨセンセイなんぞ好例。その機知というかユーモアこそが当人をより魅力的な存在に。</p><p>よもや、テレビ局の回し者なんてことは。質問のマクラとなりしは朝の連ドラ、夜の大河であり。ともに共通するは｢兄弟｣。どちらもが主役。市議と役人は兄弟が如き間柄ゆえ色よき答弁を、と始まりし質問。</p><p>職場にあって今や彼らなくしては仕事が回らぬ。多様な生活様式に好んで選択する向きもあるやもしれぬ、が、その割安感は雇用主側にとっても都合がよかったりもするもので、好まざるとそうせざるを得なき方々とて。とするに正規と同等とはいかぬまでもせめて。</p><p>会計年度任用職員の処遇改善を求めるは大事な視点であり、私とて大いにエールをおくるものなれど、対する答弁や｢国の動向を注視しつつ云々｣と。兄弟とは思えぬ薄情な答弁と再考を求めずとも、そこへの気遣い見せる人柄にこそ人は集まり。</p><p>そう、消費税は下がれども上がるはそちら。ましてや来春とあらば雌雄決する一戦が待ち受けるだけに、自ら墓穴を掘らずとも、なんて。党利党略、私利私欲、それぞれの思惑が錯綜する中に幕開けの劇場。媚び専門の市議の命運やいかに。口火切るはやはり同期のＩセンセイ。在位二十年ともなれば個性も際立ち。舌鋒鋭く突く矛盾。</p><p>多摩川と鶴見川に挟まれし本市の水道の歴史や百年。高きから低きに流れるが自然の摂理。相模湖から自然の地形を生かした流下にて広く全市においしい水を。が、そこに押し寄せるは高度経済成長期。今日でいわば半導体。工業の発展に欠かせぬは水。</p><p>足りぬは本市のみならず。県の旗振りに新たな水源の開発を、と出資を決めるは昭和４４年。本市は二つの水源を有すれども異なる水源とあらば調達コストとて。それがどうして倍どころか。</p><p>さもありなん、水源を求めるは県西の酒匂川。後発の宿命、取水や川下とされ、下流から救い上げれども配水先は低地にあらず。水を高きに送るに人の手、というか、膨大なエネルギーを要し。共同出資や運命をともに。企業体の存続に求められるは各自治体への契約水量の割り当て。それこそが彼らの命綱であって。</p><p>が、こちとらより安価な水を独自に調達が可能なのだから、依存するにせよ足りぬ分は、となるのが常識であって、何ら阿る必要など、というのが彼女の言い分。確かに合理的には違いないが。</p><p>紙面の都合上、続きは次回に、なんて。</p><p>(令和8年7月5日／3005回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[老恋]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58971259/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58971259</id><summary><![CDATA[仕事帰りのランや中、酒を下とするに、ならば上は。何せ彼らはたったその一日の為に。舞台は玄界灘に面した小さな集落。ちまちまと安物を作っていたのでは、座して滅ぶを待つようなもの。もっと売れる商品を、と血気にはやる彼を諭すは村の古老。銭を追い求めし末路は銭に使われる人生。売値こそ見合わぬやもしれぬが、作物の日々の成長に喜び見出さば金銭など、と。たま･あさお市民劇場の演劇｢老いらくの恋｣に。定例会も後半戦。質問日を前に会派の控室前には役人の列。役人を動かす質問術、どんな質問にも即応、初歩からわかる議会答弁、なんて実用書が本屋に並ぶも、それはあくまでも表向きの話。物事には必ず表裏あり、裏を見ずしてあの厄介なセンセイ方をいなすことなど。学ぶに格好の教材となりうるが｢彼ら｣であり。市議三傑の一人、無所属のＭ君なんぞは役者顔負けの追及を見せれども、原稿なきアドリブに同じことを二度言わば、それこそが肝と知るべし。市に群がる構図は今も昔も。計画のたびに浮上するはそちら。およそ部門において計画を作る、設計図を描く際に欠かせぬは外部コンサルであり。その依存度を巡り、現状は｢丸投げ｣ではないか。ならば、おぬしらの存在意義とは何ぞや。委託が悪いとは言わぬ、が、そこに何を求め、何を得とるのか、とＭ君。いや、当時とて委託はあった。が、本来はそれこそが彼らの仕事であり、外部に委託するなんぞ無能の証、なる負い目の意識が、委ねるにせよ最低限に、との力学が働いていたはずも。悲しいかな今やそれが常識とばかり。ちゃんと事前に質問を通告、過去十年の委託の件数と金額を調べよ、と投げたはずが一向に答弁が届かぬは、つまりはそういうこと、と断罪するも、役人から見れば出さば出したで深掘りの機会を与える訳で、よもや意図的に。そんな値踏みがあったか否か。その後も続く厳しい追及の中に当人が今一度言及するは｢委託が悪いとは言わぬ｣。そこに隠された真意や逆。つまりは、役所の杜撰な体質を糾弾、戒めとるように見えて、内心は狡猾なコンサルこそが悪であり、善良というかバカ正直な役人が話に乗せられて。いや、だからといって役人を庇うつもりもなさそうで。仕事に対する意識が足りぬ、ということを。いや、それとてあくまでも私の勝手な憶測。大学生が期末試験を迎えとるとか。自力の前列に対して監視の目が届かぬ後列では使い放題。その答案を同一視される生徒らに募りし鬱憤。いや、それこそが文明の進化であり、ならば、電卓を使わずに算盤で、知らぬ目的地を目指すにカーナビは悪か、と言われれば。便利には違いない、が、それと依存するせぬは別物であり。便利ゆえ、と藪から棒に依存するは、やがて大きな代償を、なんて。期末試験の点数は同じ、いや、むしろ向こうが上やもしれぬ。が、そこには目に見えぬが努力があり、それは決して裏切らぬもの、と信じる者こそ。あとは勝手に。(令和8年6月30日／3004回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-29T20:55:37+00:00</published><updated>2026-06-29T20:55:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>仕事帰りのランや中、酒を下とするに、ならば上は。何せ彼らはたったその一日の為に。舞台は玄界灘に面した小さな集落。ちまちまと安物を作っていたのでは、座して滅ぶを待つようなもの。もっと売れる商品を、と血気にはやる彼を諭すは村の古老。</p><p>銭を追い求めし末路は銭に使われる人生。売値こそ見合わぬやもしれぬが、作物の日々の成長に喜び見出さば金銭など、と。たま･あさお市民劇場の演劇｢老いらくの恋｣に。</p><p>定例会も後半戦。質問日を前に会派の控室前には役人の列。役人を動かす質問術、どんな質問にも即応、初歩からわかる議会答弁、なんて実用書が本屋に並ぶも、それはあくまでも表向きの話。物事には必ず表裏あり、裏を見ずしてあの厄介なセンセイ方をいなすことなど。</p><p>学ぶに格好の教材となりうるが｢彼ら｣であり。市議三傑の一人、無所属のＭ君なんぞは役者顔負けの追及を見せれども、原稿なきアドリブに同じことを二度言わば、それこそが肝と知るべし。</p><p>市に群がる構図は今も昔も。計画のたびに浮上するはそちら。およそ部門において計画を作る、設計図を描く際に欠かせぬは外部コンサルであり。その依存度を巡り、現状は｢丸投げ｣ではないか。ならば、おぬしらの存在意義とは何ぞや。委託が悪いとは言わぬ、が、そこに何を求め、何を得とるのか、とＭ君。</p><p>いや、当時とて委託はあった。が、本来はそれこそが彼らの仕事であり、外部に委託するなんぞ無能の証、なる負い目の意識が、委ねるにせよ最低限に、との力学が働いていたはずも。悲しいかな今やそれが常識とばかり。</p><p>ちゃんと事前に質問を通告、過去十年の委託の件数と金額を調べよ、と投げたはずが一向に答弁が届かぬは、つまりはそういうこと、と断罪するも、役人から見れば出さば出したで深掘りの機会を与える訳で、よもや意図的に。そんな値踏みがあったか否か。</p><p>その後も続く厳しい追及の中に当人が今一度言及するは｢委託が悪いとは言わぬ｣。そこに隠された真意や逆。つまりは、役所の杜撰な体質を糾弾、戒めとるように見えて、内心は狡猾なコンサルこそが悪であり、善良というかバカ正直な役人が話に乗せられて。</p><p>いや、だからといって役人を庇うつもりもなさそうで。仕事に対する意識が足りぬ、ということを。いや、それとてあくまでも私の勝手な憶測。</p><p>大学生が期末試験を迎えとるとか。自力の前列に対して監視の目が届かぬ後列では使い放題。その答案を同一視される生徒らに募りし鬱憤。いや、それこそが文明の進化であり、ならば、電卓を使わずに算盤で、知らぬ目的地を目指すにカーナビは悪か、と言われれば。</p><p>便利には違いない、が、それと依存するせぬは別物であり。便利ゆえ、と藪から棒に依存するは、やがて大きな代償を、なんて。期末試験の点数は同じ、いや、むしろ向こうが上やもしれぬ。が、そこには目に見えぬが努力があり、それは決して裏切らぬもの、と信じる者こそ。あとは勝手に。</p><p>(令和8年6月30日／3004回)</p>
		</div>
	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[筒石]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58960076/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58960076</id><summary><![CDATA[十歳の当人が戯れに振りし古クラブ。振れども当たらず、微動だにせぬこと五回。性懲りもなく振りし六回目、快音とともに空に吸い込まれ。それこそが人生を変えし転機。｢虫に噛まれた｣とは文豪ハーバート･ウォーレン･ウィンドの述懐にて。始めた経緯こそ聞かなんだけれども都心から移り住むにゴルフこそが関係を繋いでくれた、と語るＫ子さんとのラウンド。御子息や私と同い年と聞かば年齢や推して知るべしも、そのスイングや若く、飛距離とて。一打目とあらば尚更に。その距離を移動するに乗用カートに手招けど、徒歩で結構、と。高齢者は甘やかさぬに限る、と知るも当人曰く、歩くことで身体を整える、芝生の上を歩くに足裏から様々なことを学ぶ、とりわけ、最初のホール、一日の打ち始めは、と聞いて。足裏こそ身体の縮図、とすると靴底は薄く、足指は自由に、やはりワラーチこそ。いや、ゴルフはさすがにシューズを履いて。招かれし食事会にて隣席に知人ピアニスト。ソロにしてあの大ホールを満席にする位だから人気は折り紙付き。いや、技量と人気は別物。何せ容姿イケメンにて。来年はデビュー二十周年を迎える本人の悩みや老化、と申しても指の動きにあらず。肝心な顔の一部にあってそれなりの面積を占めるがゆえにその状況が相手に与える印象や小さからず。こちらの頭髪をまじまじと見ながら聞かれし染髪の有無。見れば分かるでしょうに。髪こそ無事も忍び寄る老化の足音。過日、歯科衛生士による歯のクリーニングにて、虫歯なくも歯の一部に欠損が、と聞いて。はて、硬い煎餅に歯が欠けるほどの老化など。いや、食事にあらずとも食いしばる中にそうなるケースも。が、ランとてのんびりがモットー。いや、睡眠中とて無意識のうちに、と衛生士。とするによもや見えぬストレスが身体を。いや、それは、と返され。閑話休題。会員数の減少に悩むは当団体のみにあらず。全市を見渡すに軒並み減少。区支部の脱退も後を絶たず。人材が枯渇する中、新たな理事長の選出を迫られるに他薦というか自ら名乗り上げしＮさん。勿論、対抗馬なきままに。わが道いくに生まれし｢もつれ｣もどこ吹く風と。不肖私が会長であり、寄せられる不満。皆様には私ばかりか新理事長まで何かと御迷惑をおかけするが、平に御容赦を願う、と。総会を無事に終えて打診受けるはそちらであり。きっと、御礼とばかりメシでも馳走してくれるに違いない、と後日に地元の居酒屋にて。話が私の郷里に及ぶにすすめられし一冊の本。作者の名を聞くに初耳であり。見かけによらず文学青年だったんだな。銭で買えぬが知識と経験。本に目がなく、別な代表作とともに二冊を。それこそが何よりもの収穫。本の名や｢越後つついし親不知｣。(令和8年6月25日／3003回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-24T20:55:51+00:00</published><updated>2026-06-24T23:37:32+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>十歳の当人が戯れに振りし古クラブ。振れども当たらず、微動だにせぬこと五回。性懲りもなく振りし六回目、快音とともに空に吸い込まれ。それこそが人生を変えし転機。｢虫に噛まれた｣とは文豪ハーバート･ウォーレン･ウィンドの述懐にて。</p><p>始めた経緯こそ聞かなんだけれども都心から移り住むにゴルフこそが関係を繋いでくれた、と語るＫ子さんとのラウンド。御子息や私と同い年と聞かば年齢や推して知るべしも、そのスイングや若く、飛距離とて。一打目とあらば尚更に。その距離を移動するに乗用カートに手招けど、徒歩で結構、と。</p><p>高齢者は甘やかさぬに限る、と知るも当人曰く、歩くことで身体を整える、芝生の上を歩くに足裏から様々なことを学ぶ、とりわけ、最初のホール、一日の打ち始めは、と聞いて。足裏こそ身体の縮図、とすると靴底は薄く、足指は自由に、やはりワラーチこそ。いや、ゴルフはさすがにシューズを履いて。</p><p>招かれし食事会にて隣席に知人ピアニスト。ソロにしてあの大ホールを満席にする位だから人気は折り紙付き。いや、技量と人気は別物。何せ容姿イケメンにて。来年はデビュー二十周年を迎える本人の悩みや老化、と申しても指の動きにあらず。肝心な顔の一部にあってそれなりの面積を占めるがゆえにその状況が相手に与える印象や小さからず。こちらの頭髪をまじまじと見ながら聞かれし染髪の有無。見れば分かるでしょうに。</p><p>髪こそ無事も忍び寄る老化の足音。過日、歯科衛生士による歯のクリーニングにて、虫歯なくも歯の一部に欠損が、と聞いて。はて、硬い煎餅に歯が欠けるほどの老化など。いや、食事にあらずとも食いしばる中にそうなるケースも。が、ランとてのんびりがモットー。いや、睡眠中とて無意識のうちに、と衛生士。とするによもや見えぬストレスが身体を。いや、それは、と返され。</p><p>閑話休題。会員数の減少に悩むは当団体のみにあらず。全市を見渡すに軒並み減少。区支部の脱退も後を絶たず。人材が枯渇する中、新たな理事長の選出を迫られるに他薦というか自ら名乗り上げしＮさん。勿論、対抗馬なきままに。わが道いくに生まれし｢もつれ｣もどこ吹く風と。不肖私が会長であり、寄せられる不満。皆様には私ばかりか新理事長まで何かと御迷惑をおかけするが、平に御容赦を願う、と。</p><p>総会を無事に終えて打診受けるはそちらであり。きっと、御礼とばかりメシでも馳走してくれるに違いない、と後日に地元の居酒屋にて。話が私の郷里に及ぶにすすめられし一冊の本。作者の名を聞くに初耳であり。見かけによらず文学青年だったんだな。銭で買えぬが知識と経験。本に目がなく、別な代表作とともに二冊を。それこそが何よりもの収穫。本の名や｢越後つついし親不知｣。</p><p>(令和8年6月25日／3003回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[一丸]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58946108/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58946108</id><summary><![CDATA[熟れし香の梅を摘む手を急がせり、と一句。香に惹かれてか蚊も少なからず、防御を怠りし代償。かゆくてかなわぬ。梅を詠みし三句を投句せんとするも枠二つ。残りし一句や、青梅を仕込みてたぐる奥の瓶。そう、収穫後の青梅をそのまま地元の姉御に届けるに、昨年の残りものアリ、と貰いし一瓶。加工品や様々も同じ酉ヘンにあって健康に欠かせぬは酒ならぬ酢。この手の類は寝かせれば寝かせるほどに。ワインを神の雫などというけれどもまさにこれこそが。かつては各地に酒蔵並みの数を誇りし酢蔵も今や。酢屋三代を描いた一冊｢天涯の海｣に酢と食文化の歴史を。福建省の土産と高級な茶葉をいただいた。かつて、学生時代に回りしあの国々を今一度、と還暦に世界一周を目論む同級生。百万円でアジアを豪遊できた時代に、それだけあれば何とか、との見積額では全く足りぬ、とのボヤき。足りぬは旅費のみならず。一般質問にて久々の通告はそちら。地元の新百合とあざみ野を結ぶその路線であり。市域を越えるにまずは両市の合意を、と協定を結んで以降、ルートに駅位置と下準備を終えて、あとは国の認可を。いや、途中、コロナ禍に需要の目算狂いし局面あれども、あれから五年。さすがに遅すぎはせぬか、と。たかが六キロ、されど六キロの道遠し。たかが五年、と申しても開業の遅れ以上に。相次ぐ金額変更。最近とてどこぞの市庁舎の建設費が当初の倍額と見かけ。それも試算からたった二年。いや、本市とてその手の話に事欠かず、数年前に作りし計画の意味やいかに、なんて。いつか来た道、融通利かぬ役所にあって予算化に最低でも一年。が、一年待つに変動著しく。バブル期の地価高騰に一刻も早く、と生まれし三セクが土地開発公社であり。負の面ばかりが注目浴びるも当時にあってどれだけの節約が図れたか、果たした役割は決して小さからず。公社が如き仕組みなき今日にあってそれだけの変動は何とも。それも道路や建物であれば物価高なる不可抗力によるものにて｢やむなし｣とされるものの、鉄道にあっては投じた費用は運賃収入にて回収せねばならず。算出される需要予測など然して変わらぬ中にあって建設の事業費がそれだけブレれば都度に再考を促され。そのへんが理不尽というか。鉄道を作るにまずは需要の予測に収支を見るは役人。かたや、実現こそ先、需要などは後からついてくるもの、とは議員側の発想であり。んな折、この四月から着任の副市長。出身母体が母体なだけに。穀つぶしなどと言われぬよう働いてもらわねばならぬ。この難局をいかに、というのが質問の趣旨なれど、実利さえ得られれば答弁など気休めにしか。答弁するせぬはそちらの一存で、と告げるに｢やる｣との即答。判断を委ねるにアレコレと理由つけて取り下げを画策するが大方なれど、好んで発言を望むとはその意気やよし。自ら手を施した、とされる答弁を見るに。｢一丸で｣｢しっかりと｣、んな大仰な修辞句が並び、そこにツッコミはせなんだけれども、まずは御手並み拝見、か。(令和8年6月20日／3002回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-19T20:55:38+00:00</published><updated>2026-06-20T08:53:52+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>熟れし香の梅を摘む手を急がせり、と一句。香に惹かれてか蚊も少なからず、防御を怠りし代償。かゆくてかなわぬ。梅を詠みし三句を投句せんとするも枠二つ。残りし一句や、青梅を仕込みてたぐる奥の瓶。そう、収穫後の青梅をそのまま地元の姉御に届けるに、昨年の残りものアリ、と貰いし一瓶。</p><p>加工品や様々も同じ酉ヘンにあって健康に欠かせぬは酒ならぬ酢。この手の類は寝かせれば寝かせるほどに。ワインを神の雫などというけれどもまさにこれこそが。かつては各地に酒蔵並みの数を誇りし酢蔵も今や。酢屋三代を描いた一冊｢天涯の海｣に酢と食文化の歴史を。</p><p>福建省の土産と高級な茶葉をいただいた。かつて、学生時代に回りしあの国々を今一度、と還暦に世界一周を目論む同級生。百万円でアジアを豪遊できた時代に、それだけあれば何とか、との見積額では全く足りぬ、とのボヤき。足りぬは旅費のみならず。</p><p>一般質問にて久々の通告はそちら。地元の新百合とあざみ野を結ぶその路線であり。市域を越えるにまずは両市の合意を、と協定を結んで以降、ルートに駅位置と下準備を終えて、あとは国の認可を。いや、途中、コロナ禍に需要の目算狂いし局面あれども、あれから五年。さすがに遅すぎはせぬか、と。たかが六キロ、されど六キロの道遠し。たかが五年、と申しても開業の遅れ以上に。</p><p>相次ぐ金額変更。最近とてどこぞの市庁舎の建設費が当初の倍額と見かけ。それも試算からたった二年。いや、本市とてその手の話に事欠かず、数年前に作りし計画の意味やいかに、なんて。いつか来た道、融通利かぬ役所にあって予算化に最低でも一年。が、一年待つに変動著しく。バブル期の地価高騰に一刻も早く、と生まれし三セクが土地開発公社であり。</p><p>負の面ばかりが注目浴びるも当時にあってどれだけの節約が図れたか、果たした役割は決して小さからず。公社が如き仕組みなき今日にあってそれだけの変動は何とも。それも道路や建物であれば物価高なる不可抗力によるものにて｢やむなし｣とされるものの、鉄道にあっては投じた費用は運賃収入にて回収せねばならず。</p><p>算出される需要予測など然して変わらぬ中にあって建設の事業費がそれだけブレれば都度に再考を促され。そのへんが理不尽というか。鉄道を作るにまずは需要の予測に収支を見るは役人。かたや、実現こそ先、需要などは後からついてくるもの、とは議員側の発想であり。</p><p>んな折、この四月から着任の副市長。出身母体が母体なだけに。穀つぶしなどと言われぬよう働いてもらわねばならぬ。この難局をいかに、というのが質問の趣旨なれど、実利さえ得られれば答弁など気休めにしか。答弁するせぬはそちらの一存で、と告げるに｢やる｣との即答。</p><p>判断を委ねるにアレコレと理由つけて取り下げを画策するが大方なれど、好んで発言を望むとはその意気やよし。自ら手を施した、とされる答弁を見るに。｢一丸で｣｢しっかりと｣、んな大仰な修辞句が並び、そこにツッコミはせなんだけれども、まずは御手並み拝見、か。</p><p>(令和8年6月20日／3002回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[外車]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58930707/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58930707</id><summary><![CDATA[世に身勝手はヨガ講師に限らず。行きそびれるに今一度、と。元部下は私に限らぬはずも、優等生よりも手のかかりし教え子の方が。私以外にもう一人。早朝スタートに昼休憩を抜かば午後から仕事に、というけれども。こちとら片道二時間、朝の都心を抜けんとするに更に一時間。遅刻は御法度、帰りとて。早過ぎる到着にファミレスとて開店前。コンビニのイートインにてコーヒー片手に質問原稿。んなはずなく。指定されるゴルフ場の名に見るは｢パブリック｣。そう、訳さば｢公営｣であり。安いプレー代こそが庶民の味方、スループレーが原則にてレストランなく。明け方には、との予報に反して降り止まぬ、いや、その気配すらなき雨。スタートまでの時間を持て余すは常連と思しき面々。おぬしらも待ちか。えぇ、バカな上司の出迎えにこうして。雨にもう少しキャンセルが出るかと。いや、この程度の雨で怯むメンバーにあらず。待つ間にホームコースのすばらしさをとくとくと説かれ。聞かば聞くほど｢彼｣には合わぬ気が。何せ年金受給者のオアシス、駐車場に並ぶはそういう車にて。もうぼちぼち。あっ、あれだ、あの外車。ここには似つかわぬ珍しい車じゃの、と常連。安かろう悪かろうは世に多かれどもこれだけのコスパを維持するは少なからぬ税金投入の成果、いや、直営のスタッフの働きぶりに負うところ大か。来月もぜひ、などと心にもない世辞を述べるに上機嫌の相手。帰りを見送った。閑話休題。服装には無頓着、というか、スーツ以外に普段着など持ち合わせておらぬゆえ、かりゆしデーと言われても。あくまでも任意というけれども言われれば言われるほどに。ハレの日位は他に勝らずとも見劣りせぬ服装で、と整えて迎えた当日。顔合わせるは共産党のＭ団長その人であり。人の服装を見るなり一言、｢白パンがいいね｣と。おい、かりゆしの何たるか御存じか、かりゆしってのはシャツだよ、シャツ。パンツをホメるなんぞ自民党をバカにしとるのか、とは言わなんだけれども。いや、色と柄がそんなだけに、あのスーツのズボンに上だけかりゆしってのはどうも野暮ったいというか、着させられている感が。着る以上は謳歌せねばならぬ。が、その為に新たなスラックス買うは意味薄な気が。ゴルフパンツでいっか、なんて。そこまで見抜いての一言だとすると侮れぬセンス、かも。数日前、留守電に残りしＩさんの声。どこぞのポスターが剥がれ落ちそうだ、と。放置するにイメージを損ねかねぬ、との親心。多忙、疲れたは理由にならず、仕事を終えて当日の深夜に現地に赴かば、ちゃんと四隅も。聞き違いか。いや、確かにこの一枚のはず。よもや認知症、とは失礼千万。よくよく見るに右上はガムテープで補強されており。通報のみならず、その後のひと手間に心からの感謝。ちゃんと新品に貼り換えておきましたゆえ。(令和8年6月15日／3001回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-14T20:55:36+00:00</published><updated>2026-06-14T23:23:54+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>世に身勝手はヨガ講師に限らず。行きそびれるに今一度、と。元部下は私に限らぬはずも、優等生よりも手のかかりし教え子の方が。</p><p>私以外にもう一人。早朝スタートに昼休憩を抜かば午後から仕事に、というけれども。こちとら片道二時間、朝の都心を抜けんとするに更に一時間。遅刻は御法度、帰りとて。早過ぎる到着にファミレスとて開店前。コンビニのイートインにてコーヒー片手に質問原稿。んなはずなく。</p><p>指定されるゴルフ場の名に見るは｢パブリック｣。そう、訳さば｢公営｣であり。安いプレー代こそが庶民の味方、スループレーが原則にてレストランなく。明け方には、との予報に反して降り止まぬ、いや、その気配すらなき雨。スタートまでの時間を持て余すは常連と思しき面々。</p><p>おぬしらも待ちか。えぇ、バカな上司の出迎えにこうして。雨にもう少しキャンセルが出るかと。いや、この程度の雨で怯むメンバーにあらず。待つ間にホームコースのすばらしさをとくとくと説かれ。聞かば聞くほど｢彼｣には合わぬ気が。何せ年金受給者のオアシス、駐車場に並ぶはそういう車にて。</p><p>もうぼちぼち。あっ、あれだ、あの外車。ここには似つかわぬ珍しい車じゃの、と常連。安かろう悪かろうは世に多かれどもこれだけのコスパを維持するは少なからぬ税金投入の成果、いや、直営のスタッフの働きぶりに負うところ大か。来月もぜひ、などと心にもない世辞を述べるに上機嫌の相手。帰りを見送った。</p><p>閑話休題。服装には無頓着、というか、スーツ以外に普段着など持ち合わせておらぬゆえ、かりゆしデーと言われても。あくまでも任意というけれども言われれば言われるほどに。ハレの日位は他に勝らずとも見劣りせぬ服装で、と整えて迎えた当日。顔合わせるは共産党のＭ団長その人であり。人の服装を見るなり一言、｢白パンがいいね｣と。</p><p>おい、かりゆしの何たるか御存じか、かりゆしってのはシャツだよ、シャツ。パンツをホメるなんぞ自民党をバカにしとるのか、とは言わなんだけれども。いや、色と柄がそんなだけに、あのスーツのズボンに上だけかりゆしってのはどうも野暮ったいというか、着させられている感が。</p><p>着る以上は謳歌せねばならぬ。が、その為に新たなスラックス買うは意味薄な気が。ゴルフパンツでいっか、なんて。そこまで見抜いての一言だとすると侮れぬセンス、かも。</p><p>数日前、留守電に残りしＩさんの声。どこぞのポスターが剥がれ落ちそうだ、と。放置するにイメージを損ねかねぬ、との親心。多忙、疲れたは理由にならず、仕事を終えて当日の深夜に現地に赴かば、ちゃんと四隅も。</p><p>聞き違いか。いや、確かにこの一枚のはず。よもや認知症、とは失礼千万。よくよく見るに右上はガムテープで補強されており。通報のみならず、その後のひと手間に心からの感謝。</p><p>ちゃんと新品に貼り換えておきましたゆえ。</p><p>(令和8年6月15日／3001回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[捏造]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58915278/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58915278</id><summary><![CDATA[この期に及んで生ぜし疑義。何せ｢捏造｣なる本の発刊のみならず、映画化される位だからその信憑性とて。いや、仮にそうだとしてもその楽曲の価値や寸分たりとも揺らぐものになく。むしろ、それこそが逆に彼の名声をより高めていたりもして。確かに音楽の教科書に登場するあの顔見ればその位のことは言いそうな気がしないでも。はした金など求めず、星を求める生活を、と。星を求めぬまでもその年齢にもなって没頭できることがあるってのは。朝ヨガに一日を始めんと欲すれども休講の文字。理由聞くにオーディションの最終選考がその日。それも出演は既に決定、あとは役柄、と意気込むは私と同齢のインストラクター。ならばやむなし、と夜のクラスに顔出すに見知らぬ面々なれど、ヨガに興味を示すは総じて意識高い系の人にて、その手の話題に事欠かず。レッスン後はチャイを片手に雑談。当日のテーマやターメリックの効能と摂取時における効率性について、であり。途中、西洋医学なんぞ、と発した私の一言に素早く反応を見せるインストラクター。隣の人は現役の医師だから、と。いや、確かに玄関には私のワラーチとは対照的な立派な靴を見かけ。医者も実践する位だからその効能や推して知るべし。健康に関する知識の会得、見知らぬ人たちとの出会いには発見、刺激あり。ということで、今日は休講ならぬ休｢校｣の話。台風の直撃が確実視される中にいち早く休校を決めた近隣自治体に対する本市の対応が保護者から極めて不評だった、と人づてに聞いた。ならば本市の対応とは何ぞや。前夜の休校を決めた他市に対して翌朝の段階で判断というもの。幸か不幸か気象情報に変更あり。不慣れが災いしたやもしれぬ。大雨と土砂災害と発令が別々だったり。それらの一つでも県内のいづれかの市町村に出ていた場合云々と。保護者側からすれば条件に該当するか否かは兎も角も悪天候はほぼ確定であるばかりか、事実、近隣は早めの判断を下しているのだから。迷いは早めに解消すべき、との心理か。とともに知りたいのは、やるかやらぬか、の二者択一の選択であり。複数のうちどれか一つ、なんてのは｢億劫｣。一応、末尾には、仮に休校ならずとも欠席遅刻扱いにはせぬゆえ無理なきよう、との記述はあるものの。そう、固定電話しかなかったあの時代。夜間にどれほどの雪が降ろうとも翌朝は道なき道をかき分けて。それこそが本分であり。行くのが前提、なる古い価値観を有する私に対して、妻は逆。んなもったいぶっておらずにとっとと。家庭内にあってぶつかり合う価値観。というか勝敗は明らかにて、ぶつかりもせなんだけど。入梅。同額のプレー代を払うに雨の日は。直前のキャンセルを巡る対応にも変化。違約金を課していては客が逃げてしまう、と撤廃してみたものの。安易なキャンセルばかりか無断とて。本来はメンバーの一人が現地に出向いてその旨を告げる、それこそがマナーと。双方に安易になり過ぎた。昨今に目立つ臨時休業も便乗というか、利用者目線からどうなんだ、と思ってみたり。(令和8年6月10日／3000回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-09T20:55:37+00:00</published><updated>2026-06-09T22:57:04+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>この期に及んで生ぜし疑義。何せ｢捏造｣なる本の発刊のみならず、映画化される位だからその信憑性とて。いや、仮にそうだとしてもその楽曲の価値や寸分たりとも揺らぐものになく。むしろ、それこそが逆に彼の名声をより高めていたりもして。</p><p>確かに音楽の教科書に登場するあの顔見ればその位のことは言いそうな気がしないでも。はした金など求めず、星を求める生活を、と。星を求めぬまでもその年齢にもなって没頭できることがあるってのは。</p><p>朝ヨガに一日を始めんと欲すれども休講の文字。理由聞くにオーディションの最終選考がその日。それも出演は既に決定、あとは役柄、と意気込むは私と同齢のインストラクター。</p><p>ならばやむなし、と夜のクラスに顔出すに見知らぬ面々なれど、ヨガに興味を示すは総じて意識高い系の人にて、その手の話題に事欠かず。レッスン後はチャイを片手に雑談。当日のテーマやターメリックの効能と摂取時における効率性について、であり。</p><p>途中、西洋医学なんぞ、と発した私の一言に素早く反応を見せるインストラクター。隣の人は現役の医師だから、と。いや、確かに玄関には私のワラーチとは対照的な立派な靴を見かけ。医者も実践する位だからその効能や推して知るべし。健康に関する知識の会得、見知らぬ人たちとの出会いには発見、刺激あり。</p><p>ということで、今日は休講ならぬ休｢校｣の話。台風の直撃が確実視される中にいち早く休校を決めた近隣自治体に対する本市の対応が保護者から極めて不評だった、と人づてに聞いた。ならば本市の対応とは何ぞや。</p><p>前夜の休校を決めた他市に対して翌朝の段階で判断というもの。幸か不幸か気象情報に変更あり。不慣れが災いしたやもしれぬ。大雨と土砂災害と発令が別々だったり。それらの一つでも県内のいづれかの市町村に出ていた場合云々と。</p><p>保護者側からすれば条件に該当するか否かは兎も角も悪天候はほぼ確定であるばかりか、事実、近隣は早めの判断を下しているのだから。迷いは早めに解消すべき、との心理か。とともに知りたいのは、やるかやらぬか、の二者択一の選択であり。複数のうちどれか一つ、なんてのは｢億劫｣。一応、末尾には、仮に休校ならずとも欠席遅刻扱いにはせぬゆえ無理なきよう、との記述はあるものの。</p><p>そう、固定電話しかなかったあの時代。夜間にどれほどの雪が降ろうとも翌朝は道なき道をかき分けて。それこそが本分であり。行くのが前提、なる古い価値観を有する私に対して、妻は逆。んなもったいぶっておらずにとっとと。家庭内にあってぶつかり合う価値観。というか勝敗は明らかにて、ぶつかりもせなんだけど。</p><p>入梅。同額のプレー代を払うに雨の日は。直前のキャンセルを巡る対応にも変化。違約金を課していては客が逃げてしまう、と撤廃してみたものの。安易なキャンセルばかりか無断とて。本来はメンバーの一人が現地に出向いてその旨を告げる、それこそがマナーと。</p><p>双方に安易になり過ぎた。昨今に目立つ臨時休業も便乗というか、利用者目線からどうなんだ、と思ってみたり。</p><p>(令和8年6月10日／3000回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[写譜]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58889528/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58889528</id><summary><![CDATA[気になりし若者の動向。キャンパス内の御三家や｢免許｣｢ジム｣｢麻雀｣だそうで。青春の謳歌こそ学生の特権と知るも卒業に欠かせぬは単位の取得であり。話聞かずともせめてノート位は。書かずと借りる、いや、借りるどころか、今やスマホでパチリ、と。｢写譜して各自練習せよ｣と楽譜を投げ置き、教室を去るはままならぬ体調ゆえ。生まれながらの難病は与えられし試練、生きながらえるならば神に仕えよ、との親の言に従いて孤児院の音楽教師として四十年。｢極貧のまま生涯を終えた｣と最後の字幕に。何故にそれだけの人物が生涯を｢極貧｣であらねばならなかったのか。副題はプリマヴェーラ。そう、それこそが彼の代名詞でもあり。映画｢ヴィヴァルディと私｣。足りぬ人手、と聞いてかけつける、そこには純粋な善意以外の打算とて。いや、確かに原稿は犠牲になったやもしれぬが、恩着せるほどのものでもなく。ただ、手を貸す程度の軽い気分で。つまりは非正規、いや、無償ボランティア、のはずが、要求される水準や正社員並み。隣の木と枝重なるに別な品種を摘んで叱られ、枝にとりこぼして叱られ、脚立から落ちそうになる市議よりも一粒の梅を心配され。かくも不条理なのが世の中というもの。されど、不条理を抱えるはそちらも同じ。収穫を待ってくれぬ梅。散乱する惨状に、ならば拾えばいいではないか、と思うは未熟。実は繊細にしてヒビあらば商品にならず。転がるに品種入り交りて判別に手間を要すはかえって。風雨を恨むはゴルフに限らず。スコアは取り返せるも落ちた梅は枝に戻らず。大自然とて非情にて。そう、職場の歓迎会にて緊張の新人に酌に歩くもグラスに手でふた、と聞くに。酒席とあらば議員に一日の長。目上に酌こそが礼儀と教われども通夜振る舞いとあらば回るに回れぬ。いかんせん、御遺族が提供する酒であり、他人様の酒で酌して回るは無神経、などと評価を落としかねず。さりとて、行かねば行かぬで、彼は酌にも来なんだ、なんて吹聴されたりもして。つまるところ、とっとと帰るが賢明か。んな誰それが酌に来て誰が来なかったなどと、んなことに神経を尖らせて旨い酒が呑めるか。そもそもに酌は相手に近づく手段となり得るはずも、酌こそ礼儀、が優先されるあまり。そう、今や下が上を評価する時代。上には服従、下は奴隷、なんて管理職がいないとも限らず。んなヤツに出世されてはかなわぬ。正当な人事評価を、なんて声に押されて。下からの評価といえば聞こえはいいやもしれぬ。が、下が上を評価するにヘンな力学が働きはせぬか。部下に媚びる上司なんぞ組織としてどうか。やはり、不条理の中に身を置いてこそ育まれるが真の親切心ではないか、なんて。(令和8年6月5日／2999回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-06-04T20:55:48+00:00</published><updated>2026-06-04T22:46:57+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>気になりし若者の動向。キャンパス内の御三家や｢免許｣｢ジム｣｢麻雀｣だそうで。青春の謳歌こそ学生の特権と知るも卒業に欠かせぬは単位の取得であり。話聞かずともせめてノート位は。書かずと借りる、いや、借りるどころか、今やスマホでパチリ、と。</p><p>｢写譜して各自練習せよ｣と楽譜を投げ置き、教室を去るはままならぬ体調ゆえ。生まれながらの難病は与えられし試練、生きながらえるならば神に仕えよ、との親の言に従いて孤児院の音楽教師として四十年。｢極貧のまま生涯を終えた｣と最後の字幕に。</p><p>何故にそれだけの人物が生涯を｢極貧｣であらねばならなかったのか。副題はプリマヴェーラ。そう、それこそが彼の代名詞でもあり。映画｢ヴィヴァルディと私｣。</p><p>足りぬ人手、と聞いてかけつける、そこには純粋な善意以外の打算とて。いや、確かに原稿は犠牲になったやもしれぬが、恩着せるほどのものでもなく。ただ、手を貸す程度の軽い気分で。つまりは非正規、いや、無償ボランティア、のはずが、要求される水準や正社員並み。</p><p>隣の木と枝重なるに別な品種を摘んで叱られ、枝にとりこぼして叱られ、脚立から落ちそうになる市議よりも一粒の梅を心配され。かくも不条理なのが世の中というもの。されど、不条理を抱えるはそちらも同じ。</p><p>収穫を待ってくれぬ梅。散乱する惨状に、ならば拾えばいいではないか、と思うは未熟。実は繊細にしてヒビあらば商品にならず。転がるに品種入り交りて判別に手間を要すはかえって。風雨を恨むはゴルフに限らず。スコアは取り返せるも落ちた梅は枝に戻らず。大自然とて非情にて。</p><p>そう、職場の歓迎会にて緊張の新人に酌に歩くもグラスに手でふた、と聞くに。酒席とあらば議員に一日の長。</p><p>目上に酌こそが礼儀と教われども通夜振る舞いとあらば回るに回れぬ。いかんせん、御遺族が提供する酒であり、他人様の酒で酌して回るは無神経、などと評価を落としかねず。さりとて、行かねば行かぬで、彼は酌にも来なんだ、なんて吹聴されたりもして。つまるところ、とっとと帰るが賢明か。</p><p>んな誰それが酌に来て誰が来なかったなどと、んなことに神経を尖らせて旨い酒が呑めるか。そもそもに酌は相手に近づく手段となり得るはずも、酌こそ礼儀、が優先されるあまり。</p><p>そう、今や下が上を評価する時代。上には服従、下は奴隷、なんて管理職がいないとも限らず。んなヤツに出世されてはかなわぬ。正当な人事評価を、なんて声に押されて。下からの評価といえば聞こえはいいやもしれぬ。が、下が上を評価するにヘンな力学が働きはせぬか。</p><p>部下に媚びる上司なんぞ組織としてどうか。やはり、不条理の中に身を置いてこそ育まれるが真の親切心ではないか、なんて。</p><p>(令和8年6月5日／2999回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[優駿]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58872403/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58872403</id><summary><![CDATA[無所属ならぬ会派の所属にあって課せられるは原稿。仕上がるまでは｢拘束｣とされるも、作文は控室に限らず、昼に限らず。かたや、そちらは昼にしか。抜けるに口実。そう、梅の収穫とでも申しておかば。いや、事実、収穫が最盛期を迎えており、足りぬ人手。いや、これがどうして自然と向き合うは何とも贅沢な時間であり。少なくとも原稿に悩むよりははるかに。これは大きい、やや小ぶりか、あんなところにも、と一粒づつ丁寧に手摘みする中にあって背後から聞こえるは主のつぶやきであり。それがどうして自然を慈しむというよりも。桜伐るバカ、梅伐らぬバカ、とはまさに。成長早きは生命力の証。ゆえに古来より縁起物として。が、１００本もあらば中には思い通りにならぬ木とて。さりとて、大事な木々を前にそんなに不快感をぶつけては。最盛期を迎えるは梅のみならず。優駿の世界とて大舞台が目白押し。樫の女王は牝馬と知るも今年は鞍上も女性であり。騎手に欠かせぬ馬との呼吸。いつぞやのダービーにあっていうことをきかぬ馬。負けた、と思いしその時に、｢しっかりつかまっていろ｣との声を聞いた、と。往年の名馬との日々を綴りし名著復刻、｢ルドルフの背｣(岡部幸雄著)。そう、それはあくまでも心の会話であって馬が話すはずなど。が、八丈島のふれあい牧場の飼育係の女性。彼女は間違いなく牛と話をしていた。いや、動物ならば情は伝わるやもしれぬ。が、植物にあっては。モーツァルトの音楽で云々など。いや、事実、私が収穫を手伝いしその梅畑が県の品評会にて最優秀賞と。ちなみに、以降に名を連ねるは梅林で有名な小田原勢だそうで。植物に人の声など。いや、言葉は優しく。さて、本題。｢当面の間、使用を禁ずる｣との一方的な宣告に困惑の保護者。拝借する立場にあって取り消せとはおこがましいと知るも廃部の危機にて何とかならぬか、と相談寄せられ。体育館とあらば空調の工事と見るが妥当か。されど、相手側には相手側の事情がある訳で。ふむ、とりあえず空調のＫ課長にでも。全く使えぬはさすがに不憫、多少なりとも融通を図れぬものか、と翌朝に。話はわかった、空調と断定するは尚早もとりあえずは私のほうで、と課長。万一、担当が違わば改めて私のほうで、と一言添えて。当日の昼前に依頼主から着信あり。はて、昨夜に言い忘れたことでも。いやいや、これがどうして。つい、さっき保護者代表宛に役所から一報あり、｢通常通りの使用を認める｣と。保護者らの喜びようすさまじく、まさに堅物の役所にあって朝令暮改は市議の実力、とおだてられるも、それはひとえにＫ課長が、とつつましく役所の職員を立て。そう、ちゃんと夕方には課長からも報告あり。聞くに空調とは無関係ながら。｢とりあえず私のほうで｣との姿勢を有する職員は仕事とて。そう、私なんぞは後回しで結構。それこそが｢使える｣職員であり。(令和8年5月30日／2998回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-29T20:55:13+00:00</published><updated>2026-05-29T23:21:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>無所属ならぬ会派の所属にあって課せられるは原稿。仕上がるまでは｢拘束｣とされるも、作文は控室に限らず、昼に限らず。かたや、そちらは昼にしか。</p><p>抜けるに口実。そう、梅の収穫とでも申しておかば。いや、事実、収穫が最盛期を迎えており、足りぬ人手。いや、これがどうして自然と向き合うは何とも贅沢な時間であり。少なくとも原稿に悩むよりははるかに。</p><p>これは大きい、やや小ぶりか、あんなところにも、と一粒づつ丁寧に手摘みする中にあって背後から聞こえるは主のつぶやきであり。それがどうして自然を慈しむというよりも。</p><p>桜伐るバカ、梅伐らぬバカ、とはまさに。成長早きは生命力の証。ゆえに古来より縁起物として。が、１００本もあらば中には思い通りにならぬ木とて。さりとて、大事な木々を前にそんなに不快感をぶつけては。</p><p>最盛期を迎えるは梅のみならず。優駿の世界とて大舞台が目白押し。樫の女王は牝馬と知るも今年は鞍上も女性であり。騎手に欠かせぬ馬との呼吸。いつぞやのダービーにあっていうことをきかぬ馬。負けた、と思いしその時に、｢しっかりつかまっていろ｣との声を聞いた、と。往年の名馬との日々を綴りし名著復刻、｢ルドルフの背｣(岡部幸雄著)。</p><p>そう、それはあくまでも心の会話であって馬が話すはずなど。が、八丈島のふれあい牧場の飼育係の女性。彼女は間違いなく牛と話をしていた。いや、動物ならば情は伝わるやもしれぬ。が、植物にあっては。モーツァルトの音楽で云々など。</p><p>いや、事実、私が収穫を手伝いしその梅畑が県の品評会にて最優秀賞と。ちなみに、以降に名を連ねるは梅林で有名な小田原勢だそうで。植物に人の声など。いや、言葉は優しく。</p><p>さて、本題。｢当面の間、使用を禁ずる｣との一方的な宣告に困惑の保護者。拝借する立場にあって取り消せとはおこがましいと知るも廃部の危機にて何とかならぬか、と相談寄せられ。体育館とあらば空調の工事と見るが妥当か。されど、相手側には相手側の事情がある訳で。</p><p>ふむ、とりあえず空調のＫ課長にでも。全く使えぬはさすがに不憫、多少なりとも融通を図れぬものか、と翌朝に。話はわかった、空調と断定するは尚早もとりあえずは私のほうで、と課長。万一、担当が違わば改めて私のほうで、と一言添えて。</p><p>当日の昼前に依頼主から着信あり。はて、昨夜に言い忘れたことでも。いやいや、これがどうして。つい、さっき保護者代表宛に役所から一報あり、｢通常通りの使用を認める｣と。保護者らの喜びようすさまじく、まさに堅物の役所にあって朝令暮改は市議の実力、とおだてられるも、それはひとえにＫ課長が、とつつましく役所の職員を立て。</p><p>そう、ちゃんと夕方には課長からも報告あり。聞くに空調とは無関係ながら。｢とりあえず私のほうで｣との姿勢を有する職員は仕事とて。そう、私なんぞは後回しで結構。それこそが｢使える｣職員であり。</p><p>(令和8年5月30日／2998回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[美脚]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58856553/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58856553</id><summary><![CDATA[打数を競う種目にあって、広がりし視界に放つ２００ｍも１打ならばグリーン上のたった１ｍとて。同じ棒振りと申しても似て非なる技術の共存こそが醍醐味の一つであり。グリーン上をパターで打つに距離届かねば可能性はゼロ、つまりは手前よりは奥。仮に外せども前打の転がりを見るに返しの際の狙いが見えて。奥こそ理想と知れどもこれがどうして。合わぬ距離感はゴルフのみならず。在籍たった２年にして過ぎし月日は四半世紀。未だ古巣より誘い受けるはつまりはそういうことにて。伝説の営業ならぬ、んな境遇を捨てて転身を図りしバカが、と。いや、当時の稼ぎは否定せぬ。が、それとて運に負うところ大にして。聞かば今は当時以来の好業績とか。ラウンドにて同組となるは初対面の女性。今どきは美白も当時はそれこそが健康の証。日焼けした肌にバッチリ決まったウエアが物語りし本気度。第一打とて男性と同じティーでいいわよ、と本人。年齢を感じさせぬ華麗なスイングに上がる歓声。飛距離は脚力。いい足、とほめた一言に｢アウト｣と後続組。そこで怯まぬが政治家。おい、待て。それをセクハラなどと、そのへんの週刊誌にて騒がれとる｢彼ら｣と同一視されるは甚だ不本意。何せ言われた当人が眉をひそめるとか不快感を示すならばまだしも何ら。手慣れたゴルファーが相手のクラブに目が行くが如くウルトラランナーにあっては｢性別問わず｣自然とそちらに目が向くわけで。そもそもに露出するは当人とて。いや、それこそが妄想。そこに気づかぬが加害者の加害者たるゆえんであり。そのへんの空気感を察して動く周囲の善意は分からんでもないが、どこぞの尋問じゃあるまいに好んで｢クロ｣に誘導せずとも。周囲が勝手に騒ぎ立て、それこそがハラスメントと意識づけられるはゴールポストを動かすようなもの。そのへんの行き過ぎた風潮が逆に混乱を助長せぬか。ならば言わぬが花、不干渉こそが生きる知恵、と。そう、被害者はいつも女性なんてのも腑に落ちぬ。クールビズの一環とハーフパンツを着用するにキモいなどと言われるは当人にとって。そう、被害者然とする人物に限って加害者となることに気づかぬもの。本市とて現地との縁深き｢かりゆし｣の普及図らんと推進される中にも拒むに拒めぬ職員とて。庁内にて催されし即売会にてどこぞの局長がピンキリのピンを｢買わされた｣などと聞かば。久々の出張にて目にするは朝ドラ。分からぬ患者の心に伝わらぬこちらの善意。描かれるは看護婦の苦悩なれど、その日々の葛藤の中にこそ人としての成長が。言葉一つ該当するか否かなんぞ考えとるヒマあればもそっと別に。まぁ昭和の人ゆえ時代錯誤の価値観をお許し下さいませ。そうそう、肝心なスコア。彼女に負けちゃったよ。(令和8年5月25日／2997回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-24T20:55:00+00:00</published><updated>2026-05-29T23:19:10+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>打数を競う種目にあって、広がりし視界に放つ２００ｍも１打ならばグリーン上のたった１ｍとて。同じ棒振りと申しても似て非なる技術の共存こそが醍醐味の一つであり。</p><p>グリーン上をパターで打つに距離届かねば可能性はゼロ、つまりは手前よりは奥。仮に外せども前打の転がりを見るに返しの際の狙いが見えて。奥こそ理想と知れどもこれがどうして。合わぬ距離感はゴルフのみならず。</p><p>在籍たった２年にして過ぎし月日は四半世紀。未だ古巣より誘い受けるはつまりはそういうことにて。伝説の営業ならぬ、んな境遇を捨てて転身を図りしバカが、と。いや、当時の稼ぎは否定せぬ。が、それとて運に負うところ大にして。聞かば今は当時以来の好業績とか。</p><p>ラウンドにて同組となるは初対面の女性。今どきは美白も当時はそれこそが健康の証。日焼けした肌にバッチリ決まったウエアが物語りし本気度。第一打とて男性と同じティーでいいわよ、と本人。年齢を感じさせぬ華麗なスイングに上がる歓声。飛距離は脚力。いい足、とほめた一言に｢アウト｣と後続組。</p><p>そこで怯まぬが政治家。おい、待て。それをセクハラなどと、そのへんの週刊誌にて騒がれとる｢彼ら｣と同一視されるは甚だ不本意。何せ言われた当人が眉をひそめるとか不快感を示すならばまだしも何ら。手慣れたゴルファーが相手のクラブに目が行くが如くウルトラランナーにあっては｢性別問わず｣自然とそちらに目が向くわけで。そもそもに露出するは当人とて。</p><p>いや、それこそが妄想。そこに気づかぬが加害者の加害者たるゆえんであり。そのへんの空気感を察して動く周囲の善意は分からんでもないが、どこぞの尋問じゃあるまいに好んで｢クロ｣に誘導せずとも。周囲が勝手に騒ぎ立て、それこそがハラスメントと意識づけられるはゴールポストを動かすようなもの。そのへんの行き過ぎた風潮が逆に混乱を助長せぬか。ならば言わぬが花、不干渉こそが生きる知恵、と。</p><p>そう、被害者はいつも女性なんてのも腑に落ちぬ。クールビズの一環とハーフパンツを着用するにキモいなどと言われるは当人にとって。そう、被害者然とする人物に限って加害者となることに気づかぬもの。本市とて現地との縁深き｢かりゆし｣の普及図らんと推進される中にも拒むに拒めぬ職員とて。庁内にて催されし即売会にてどこぞの局長がピンキリのピンを｢買わされた｣などと聞かば。</p><p>久々の出張にて目にするは朝ドラ。分からぬ患者の心に伝わらぬこちらの善意。描かれるは看護婦の苦悩なれど、その日々の葛藤の中にこそ人としての成長が。言葉一つ該当するか否かなんぞ考えとるヒマあればもそっと別に。まぁ昭和の人ゆえ時代錯誤の価値観をお許し下さいませ。</p><p>そうそう、肝心なスコア。彼女に負けちゃったよ。</p><p>(令和8年5月25日／2997回)</p>
		</div>
	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[鵜匠]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58843827/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58843827</id><summary><![CDATA[彼らの前で一席ぶった手前、今さら辞退とも言えず。挑む以上は醜態を晒さぬよう。夏のトレイルに向けて。山ラン後に立ち寄りし地元農家の直売にて目立つはその色。甘夏一つ、代金を不用心に置かれた空き缶に入れんとするに背後から｢ありがとう｣と。彼が生産者か。厚い外皮だけ剥いてあとはそのまま。やはりラン後に食すは柑橘に限る。選挙まで一年。と申しても市議ならぬ県議。政党の公認さえ得てしまえば、傘下には市議がいる訳で、あとは鵜匠が如く。いやいや、当人の場合、鵜の数が足りぬばかりか、新人とポンコツの現職とあっては自らが鵜となり。動くに制約が課されるもこの頃であり、単独で目立ちすぎてはならぬ、つまりは、のぼり旗にせよポスターにせよ本人以外に少なくとも相手を一人。ということで県議ののぼりに見かけるは私の顔であり。何とも頼もしく、足を向けて寝れぬ。そう、かろうじて籍こそ消されぬまでも政党の役職は全て返上した身にあって疎遠となりし市連のＮ女史。この道長く、こちらの扱いに慣れるばかりかこれがなかなかの毒舌家であり。ある日の着信にこちらの仕事ぶりをほめられ。謙遜してみせたものの、はて、どこで見られたものかな、と問わば。地元にてポスター看板の撤去に精を出す姿がＳＮＳ上に、と。いや、確かにあった。が、そもそもの経緯は県議からの依頼。当該地の所有者から移動の申出があったそうで、業者に見積を求めるに数万円と。んな程度のことならば何も業者に頼まずと、と告げるに手伝いを請われ。ノコギリ片手に廃材の運搬まで。以降、味を占めてか、どこぞの看板が倒れそうだ、とか、県議の下請け業者が如く。そう、こないだなんぞ、どこぞの高台に寂れたポスターあり、何とかならぬか、と現地に連れられ。やはりどこからかハシゴを拝借して出直した方が。いやいや、この位ならば何とか。手前のカーブミラーの支柱に足かけて、木登りの要領で、と実践してみせるに目がテンの県議。｢呑む｣｢打つ｣｢買う｣、否、｢走る｣｢泳ぐ｣｢登る｣位のことが出来んでどうする、職に困らば。別な仕事を、と県議。そう、その動画を公開するにきっと有権者の共感を得られるはず、などと意味不明の賛辞に惑わされ。撮影用にもう一度、と。おい、市議を何だと心得る。んな他人の動画の撮影に余念なき不謹慎な県議の元に支援者から相談が寄せられたとか。サービス向上に欠かせぬは利用者の声なれど面と向かって言いにくい時とて。その為の。市立のとある施設にあって、意見箱が置かれるは何とも結構、が、その場所や入口受付の前だそうで。些か配慮があっても、と。(令和8年5月20日／2996回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-20T20:55:30+00:00</published><updated>2026-05-21T00:05:03+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>彼らの前で一席ぶった手前、今さら辞退とも言えず。挑む以上は醜態を晒さぬよう。夏のトレイルに向けて。山ラン後に立ち寄りし地元農家の直売にて目立つはその色。甘夏一つ、代金を不用心に置かれた空き缶に入れんとするに背後から｢ありがとう｣と。彼が生産者か。厚い外皮だけ剥いてあとはそのまま。やはりラン後に食すは柑橘に限る。</p><p>選挙まで一年。と申しても市議ならぬ県議。政党の公認さえ得てしまえば、傘下には市議がいる訳で、あとは鵜匠が如く。いやいや、当人の場合、鵜の数が足りぬばかりか、新人とポンコツの現職とあっては自らが鵜となり。</p><p>動くに制約が課されるもこの頃であり、単独で目立ちすぎてはならぬ、つまりは、のぼり旗にせよポスターにせよ本人以外に少なくとも相手を一人。ということで県議ののぼりに見かけるは私の顔であり。何とも頼もしく、足を向けて寝れぬ。</p><p>そう、かろうじて籍こそ消されぬまでも政党の役職は全て返上した身にあって疎遠となりし市連のＮ女史。この道長く、こちらの扱いに慣れるばかりかこれがなかなかの毒舌家であり。ある日の着信にこちらの仕事ぶりをほめられ。謙遜してみせたものの、はて、どこで見られたものかな、と問わば。</p><p>地元にてポスター看板の撤去に精を出す姿がＳＮＳ上に、と。いや、確かにあった。が、そもそもの経緯は県議からの依頼。当該地の所有者から移動の申出があったそうで、業者に見積を求めるに数万円と。んな程度のことならば何も業者に頼まずと、と告げるに手伝いを請われ。ノコギリ片手に廃材の運搬まで。</p><p>以降、味を占めてか、どこぞの看板が倒れそうだ、とか、県議の下請け業者が如く。そう、こないだなんぞ、どこぞの高台に寂れたポスターあり、何とかならぬか、と現地に連れられ。やはりどこからかハシゴを拝借して出直した方が。いやいや、この位ならば何とか。手前のカーブミラーの支柱に足かけて、木登りの要領で、と実践してみせるに目がテンの県議。</p><p>｢呑む｣｢打つ｣｢買う｣、否、｢走る｣｢泳ぐ｣｢登る｣位のことが出来んでどうする、職に困らば。別な仕事を、と県議。そう、その動画を公開するにきっと有権者の共感を得られるはず、などと意味不明の賛辞に惑わされ。撮影用にもう一度、と。おい、市議を何だと心得る。んな他人の動画の撮影に余念なき不謹慎な県議の元に支援者から相談が寄せられたとか。</p><p>サービス向上に欠かせぬは利用者の声なれど面と向かって言いにくい時とて。その為の。市立のとある施設にあって、意見箱が置かれるは何とも結構、が、その場所や入口受付の前だそうで。些か配慮があっても、と。</p><p>(令和8年5月20日／2996回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[学区]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58821725/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58821725</id><summary><![CDATA[災害時の避難所となる小中学校にて整備が進む下水直結型のトイレ。が、肝心なその先の下水管の耐震性やいかに。本来ならば役所が目配りするところなれど当人の善意が勝り。そんなＹさんが次に狙うは｢学区｣。そう、防災訓練等において目にすること多き基準なれども学校側の事情にて変更が行われる中に混乱を招かぬか。つまるところ、縦割りの弊害というか連携不足が災害時に、ということらしく。抜かりなきよう注意払うに際限なく。ボーイスカウトの総会にて求められし挨拶。まぶしき新緑、山が呼んでいる、というか、山にでも行くか、と子らを誘うに拒絶示すは妻。理由はクマと。そりゃ人と違って理性ないのだから助け請うても許してくれぬ。遭わぬに限るも遭わぬ保証なく。であるからこそ山行くにあれこれと知恵を絞る訳で。山に行かぬ、も一つの選択肢やもしれぬが、諸君におかれては動じずに云々。今や答えはＡＩが出してくれるかもしれぬが、大事なことは自然の中に身を置くこと、頭を使うこと、そんな話を保護者らに。報道に駆られる不安やクマのみにあらず、且つ、んな時は得てして負に作用すること大半であり。そう、最近、目にすること多きは生徒が巻き込まれる事故。運転手本人の過失は言わずもがな。求められる会見に問われる学校側の責任。聞かれれば非は認めざるを得ず。されど、というのが。上は知らぬ存ぜぬ、下が勝手に、とは組織にありがちな釈明なれど、ならばバス会社との契約が整っていれば事故は無かったか、といわれれば、そこに絶対はなく。様々な要因が絡みし悲劇。が、混乱の現場は彼らにとっては格好のネタ。それこそが彼らの見せ場であり。食い違う両者の証言に真相やいかに、なんてのは視聴者側の心理を巧みに利用したものなれど、世につまびらかにせぬほうが都合がいいこととて。そう、部活動の顧問なんぞ無報酬の善意以外の何物でもないはずであり、そこまで責任を負わされるに意欲とて。そもそもに部活動は任意、少なくともそこには保護者を含む本人の意思もあったはずで。預けるは相手への信頼。そこには目に見えぬ絆と信頼が。バスによる遠征とて出費を抑えたい保護者側の意向はなかったのか、と言われれば。そこを全て顧問に負い被せるは果たして。当人とて大事な教え子を失いし悲しみに消えぬ贖罪の念。部活動の顧問を受ける位だから責任感は人一倍。そこに想いを馳せるに。当事者以上に騒ぐ外野、非を詫びよとの大合唱に、以後、二度となきよう、と繰り返される口上。たびに進むは規制の強化と厳重な管理体制であり。ならばいっそ部活動など。余計なことはせぬに限るとの風潮が広まるに困るはいつの世も弱者であり。廃れゆく部活動。衰退のツケは子供たちにマイナスと思うは私だけか。そう、御節介とは失礼ながら冒頭のＹさんのような御仁には益々活躍してもらわねば、なんて。(令和8年5月15日／2995回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-14T20:55:09+00:00</published><updated>2026-05-14T20:55:13+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>災害時の避難所となる小中学校にて整備が進む下水直結型のトイレ。が、肝心なその先の下水管の耐震性やいかに。本来ならば役所が目配りするところなれど当人の善意が勝り。</p><p>そんなＹさんが次に狙うは｢学区｣。そう、防災訓練等において目にすること多き基準なれども学校側の事情にて変更が行われる中に混乱を招かぬか。つまるところ、縦割りの弊害というか連携不足が災害時に、ということらしく。抜かりなきよう注意払うに際限なく。</p><p>ボーイスカウトの総会にて求められし挨拶。まぶしき新緑、山が呼んでいる、というか、山にでも行くか、と子らを誘うに拒絶示すは妻。理由はクマと。そりゃ人と違って理性ないのだから助け請うても許してくれぬ。遭わぬに限るも遭わぬ保証なく。であるからこそ山行くにあれこれと知恵を絞る訳で。</p><p>山に行かぬ、も一つの選択肢やもしれぬが、諸君におかれては動じずに云々。今や答えはＡＩが出してくれるかもしれぬが、大事なことは自然の中に身を置くこと、頭を使うこと、そんな話を保護者らに。報道に駆られる不安やクマのみにあらず、且つ、んな時は得てして負に作用すること大半であり。</p><p>そう、最近、目にすること多きは生徒が巻き込まれる事故。運転手本人の過失は言わずもがな。求められる会見に問われる学校側の責任。聞かれれば非は認めざるを得ず。されど、というのが。</p><p>上は知らぬ存ぜぬ、下が勝手に、とは組織にありがちな釈明なれど、ならばバス会社との契約が整っていれば事故は無かったか、といわれれば、そこに絶対はなく。様々な要因が絡みし悲劇。が、混乱の現場は彼らにとっては格好のネタ。それこそが彼らの見せ場であり。食い違う両者の証言に真相やいかに、なんてのは視聴者側の心理を巧みに利用したものなれど、世につまびらかにせぬほうが都合がいいこととて。</p><p>そう、部活動の顧問なんぞ無報酬の善意以外の何物でもないはずであり、そこまで責任を負わされるに意欲とて。そもそもに部活動は任意、少なくともそこには保護者を含む本人の意思もあったはずで。預けるは相手への信頼。そこには目に見えぬ絆と信頼が。</p><p>バスによる遠征とて出費を抑えたい保護者側の意向はなかったのか、と言われれば。そこを全て顧問に負い被せるは果たして。当人とて大事な教え子を失いし悲しみに消えぬ贖罪の念。部活動の顧問を受ける位だから責任感は人一倍。そこに想いを馳せるに。</p><p>当事者以上に騒ぐ外野、非を詫びよとの大合唱に、以後、二度となきよう、と繰り返される口上。たびに進むは規制の強化と厳重な管理体制であり。ならばいっそ部活動など。</p><p>余計なことはせぬに限るとの風潮が広まるに困るはいつの世も弱者であり。廃れゆく部活動。衰退のツケは子供たちにマイナスと思うは私だけか。</p><p>そう、御節介とは失礼ながら冒頭のＹさんのような御仁には益々活躍してもらわねば、なんて。</p><p>(令和8年5月15日／2995回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[別荘]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58810553/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58810553</id><summary><![CDATA[大学生の息子がＧＷに明け暮れるは遊びならぬバイト。｢明け暮れる｣は些か語弊か、何せ本人の意思というよりも雇主側の都合。そう、他の学生が郷里への帰省やら遊びやらの空き埋めるべく、店長から請われるがままに。他人の尻拭いなんぞ、んなおひとよしでどうする、と妻に責め立てられるも。学歴よりも人柄に勝るものなし、何せ親が親ゆえ。割高な上にあの渋滞と混雑、何を好んで遠出など。ランのシューズと本さえあれば。が、んな時に限っての誘いも拒む理由なく。ラウンドに終らずその後まで。どうせ家では｢戦力外｣なのだから、との相棒の運転にて向かう先や。相模湾を一望する高台に購入された中古物件を改装されて生まれ変わるは別荘。全て自ら、と語る家主や開業医。奥様に手料理をふるまっていただき。旨い肉とワインを片手に夫妻の御相手を。抜栓後に部屋内に立ち込める芳醇な香や逸品に違いなく。せめて一口、と欲すれども車の運転あらば。いっそ泊まっていけば、と主人。その天真爛漫な性格に魅了され。話題尽きず、深夜まで。帰り際、夢の別荘は未だ｢未完成｣と聞くに、一飯の恩は高台への資材運びにて返しますゆえ、と。そう、ＧＷに休みなきは息子のみならず。まずは地盤固めを、と駅頭に余念なき新人から加勢の依頼。こちとら別荘にアルテリッカと追われるも開演までの間でよければ、と。思い返すは衆院選。出陣式を事務所ならぬ駅前にて催すは耳目を惹かんが為。必勝祈願と用意されるだるまの大きさに気迫が窺い知れるも候補本人が手に持つは筆ならぬサインペンであり。せめて筆ペン位は。陣営の誰もが咎めず咎められず。んな様子をＳＮＳにて自ら拡散するは墓穴掘るようなもの。が、今にして思わば、それすらも計算内だったのではあるまいか。ポスターとて写真に氏名は言わずもがな。学歴こそが当人にとってのアピールポイントらしくも、それは口コミでじわり伝わるが理想。ましてや校名のみならず｢医卒｣などと太字大文字で記すはかえって。当選一期のＫ県議なんぞも似たものなれど、そちらは｢夜間｣と。そもそもにそのセンスやいかに、と懐疑的に見ていた私。が、勝てば官軍、あれこそが非凡な証左であり。そう、駅頭にて耳打ち。市のインフラ整備において国の補助金の増額が見込めるとか、そこに一肌脱ぐゆえ先生の手柄に、と代議士。ふむ、私の為に、とはありがたいが、心配は無用。むしろ、おぬし自らの手柄、いや、本市の為となるならば手柄を抜きにやるべし、と。当選一期は地盤固め、とは巷間言われることなれど、駅頭のみならず霞が関との折衝まで二役こなすはやはりモノが違うのかも。(令和8年5月10日／2994回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-09T20:55:39+00:00</published><updated>2026-05-10T00:44:06+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>大学生の息子がＧＷに明け暮れるは遊びならぬバイト。｢明け暮れる｣は些か語弊か、何せ本人の意思というよりも雇主側の都合。そう、他の学生が郷里への帰省やら遊びやらの空き埋めるべく、店長から請われるがままに。他人の尻拭いなんぞ、んなおひとよしでどうする、と妻に責め立てられるも。学歴よりも人柄に勝るものなし、何せ親が親ゆえ。</p><p>割高な上にあの渋滞と混雑、何を好んで遠出など。ランのシューズと本さえあれば。が、んな時に限っての誘いも拒む理由なく。ラウンドに終らずその後まで。どうせ家では｢戦力外｣なのだから、との相棒の運転にて向かう先や。相模湾を一望する高台に購入された中古物件を改装されて生まれ変わるは別荘。全て自ら、と語る家主や開業医。</p><p>奥様に手料理をふるまっていただき。旨い肉とワインを片手に夫妻の御相手を。抜栓後に部屋内に立ち込める芳醇な香や逸品に違いなく。せめて一口、と欲すれども車の運転あらば。いっそ泊まっていけば、と主人。その天真爛漫な性格に魅了され。話題尽きず、深夜まで。帰り際、夢の別荘は未だ｢未完成｣と聞くに、一飯の恩は高台への資材運びにて返しますゆえ、と。</p><p>そう、ＧＷに休みなきは息子のみならず。まずは地盤固めを、と駅頭に余念なき新人から加勢の依頼。こちとら別荘にアルテリッカと追われるも開演までの間でよければ、と。</p><p>思い返すは衆院選。出陣式を事務所ならぬ駅前にて催すは耳目を惹かんが為。必勝祈願と用意されるだるまの大きさに気迫が窺い知れるも候補本人が手に持つは筆ならぬサインペンであり。せめて筆ペン位は。陣営の誰もが咎めず咎められず。んな様子をＳＮＳにて自ら拡散するは墓穴掘るようなもの。が、今にして思わば、それすらも計算内だったのではあるまいか。</p><p>ポスターとて写真に氏名は言わずもがな。学歴こそが当人にとってのアピールポイントらしくも、それは口コミでじわり伝わるが理想。ましてや校名のみならず｢医卒｣などと太字大文字で記すはかえって。当選一期のＫ県議なんぞも似たものなれど、そちらは｢夜間｣と。そもそもにそのセンスやいかに、と懐疑的に見ていた私。が、勝てば官軍、あれこそが非凡な証左であり。</p><p>そう、駅頭にて耳打ち。市のインフラ整備において国の補助金の増額が見込めるとか、そこに一肌脱ぐゆえ先生の手柄に、と代議士。ふむ、私の為に、とはありがたいが、心配は無用。むしろ、おぬし自らの手柄、いや、本市の為となるならば手柄を抜きにやるべし、と。</p><p>当選一期は地盤固め、とは巷間言われることなれど、駅頭のみならず霞が関との折衝まで二役こなすはやはりモノが違うのかも。</p><p>(令和8年5月10日／2994回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[名盤]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58794523/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58794523</id><summary><![CDATA[銀座のキャバレー｢白ばら｣の閉店が物語る現実。見知らぬ土地での不安、郷里を一にするもの同士、なんてのは。入会案内を送れども数十名に対して一名の加入があるかないか。会員数は減少、というよりも｢著しい｣減少にて年イチの会報誌を発行するにも会費のみではままならず、善意の寄付にどうにかトントン。がいつまで続くか。伝統有する郷里の母校同窓会の関東支部の話。役員の平均年齢や古希を下らず、悲しいかな最若手が私。目下、三つ年上の先輩が支部長をつとめるも医師から宣告を受けるはあの病であり、今期限りで退任を、との申し出に青ざめる副支部長二人。うち一人が不肖私であり。誰が後釜になろうともあと数年が限界、との見方が大勢占める中にあって、機を見るに敏な支部長、自らの退任のみならず支部の解散も併せて言及するに、｢待った｣かけるは大先輩のＹさん。私は解散に反対だ、解散ありきで物事を進めるは解せぬ。そもそもにオレたちがこの組織の為にどれほどの想いで尽くしてきたか云々と。いや、何もそこは否定するものにあらず、集団よりも個が優先される時代。会員数の減少はこの組織に限らず。いかんせん時代が味方せぬ、それこそが悲しい現実。あくまでも任意の団体にてそこまで無理して存続を図る意義や、と物腰穏やかに説いたつもりが。｢無責任｣との相手の一言に。加熱する両者の応酬に下手に口を挟まば、じっと下を向く他の役員、勿論、私も言わぬが花と。そういう時の役回りは年配者のはずも、らしき気配なく。｢おい、老いぼれ、口を慎め。その年齢にもなって支部長の苦悩が分からんのか｣とは言わなんだけれども、双方の顔が立つよう、泥塗らぬよう宥めに宥め。冷静さを取り戻した両者が非礼を詫びて。閉会後、Ｙさんを見送るに御機嫌にて。何とも呑気な。そう、肝心な結論はもちろん。東京都写真美術館にて催されしユージン･スミス写真展にて目を惹くはその一枚。セロニアス･モンクの横顔。そう、ジャズ奏者であり。作品こそが全て、それ以上でもそれ以下でも、あとは読者が勝手に、と前掲の武論尊著に見るも、その出来事の背景や舞台裏を知らばより。世に見ぬ歌を歌ってみよ、と言われて相手を魅了できるか、即興とはかくも奥深きものにて。これがクラシックならば曲名に主旋律が思い浮かぶもジャズとあらば。即興のジャズか譜面のクラシックか。音楽なる括りは同じなれど似て非なる分野。ピアニストはどちらが上か、なんてのは。全てが即興、ゆえにそこに曲名なく、ただ｢ケルン｣とだけ。ファンならずとも知る伝説のコンサート、ジャズの名盤であり。成功の舞台裏に１８歳の少女あり、とは初耳。アートセンターにて上映中の映画を。映画館はシモキタに限らず。(令和8年5月5日／2993回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-05-04T20:55:31+00:00</published><updated>2026-05-04T22:50:45+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>銀座のキャバレー｢白ばら｣の閉店が物語る現実。見知らぬ土地での不安、郷里を一にするもの同士、なんてのは。</p><p>入会案内を送れども数十名に対して一名の加入があるかないか。会員数は減少、というよりも｢著しい｣減少にて年イチの会報誌を発行するにも会費のみではままならず、善意の寄付にどうにかトントン。がいつまで続くか。伝統有する郷里の母校同窓会の関東支部の話。</p><p>役員の平均年齢や古希を下らず、悲しいかな最若手が私。目下、三つ年上の先輩が支部長をつとめるも医師から宣告を受けるはあの病であり、今期限りで退任を、との申し出に青ざめる副支部長二人。うち一人が不肖私であり。</p><p>誰が後釜になろうともあと数年が限界、との見方が大勢占める中にあって、機を見るに敏な支部長、自らの退任のみならず支部の解散も併せて言及するに、｢待った｣かけるは大先輩のＹさん。私は解散に反対だ、解散ありきで物事を進めるは解せぬ。そもそもにオレたちがこの組織の為にどれほどの想いで尽くしてきたか云々と。</p><p>いや、何もそこは否定するものにあらず、集団よりも個が優先される時代。会員数の減少はこの組織に限らず。いかんせん時代が味方せぬ、それこそが悲しい現実。あくまでも任意の団体にてそこまで無理して存続を図る意義や、と物腰穏やかに説いたつもりが。｢無責任｣との相手の一言に。</p><p>加熱する両者の応酬に下手に口を挟まば、じっと下を向く他の役員、勿論、私も言わぬが花と。そういう時の役回りは年配者のはずも、らしき気配なく。｢おい、老いぼれ、口を慎め。その年齢にもなって支部長の苦悩が分からんのか｣</p><p>とは言わなんだけれども、双方の顔が立つよう、泥塗らぬよう宥めに宥め。冷静さを取り戻した両者が非礼を詫びて。閉会後、Ｙさんを見送るに御機嫌にて。何とも呑気な。そう、肝心な結論はもちろん。</p><p>東京都写真美術館にて催されしユージン･スミス写真展にて目を惹くはその一枚。セロニアス･モンクの横顔。そう、ジャズ奏者であり。作品こそが全て、それ以上でもそれ以下でも、あとは読者が勝手に、と前掲の武論尊著に見るも、その出来事の背景や舞台裏を知らばより。</p><p>世に見ぬ歌を歌ってみよ、と言われて相手を魅了できるか、即興とはかくも奥深きものにて。これがクラシックならば曲名に主旋律が思い浮かぶもジャズとあらば。即興のジャズか譜面のクラシックか。音楽なる括りは同じなれど似て非なる分野。ピアニストはどちらが上か、なんてのは。</p><p>全てが即興、ゆえにそこに曲名なく、ただ｢ケルン｣とだけ。ファンならずとも知る伝説のコンサート、ジャズの名盤であり。成功の舞台裏に１８歳の少女あり、とは初耳。アートセンターにて上映中の映画を。映画館はシモキタに限らず。</p><p>(令和8年5月5日／2993回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[女難]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58780844/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58780844</id><summary><![CDATA[かつて浦和の淀君と畏怖されし御仁が何故に本市に、との謎はさておき、呼び出し受けることしばしば。淀君ともなれば冒頭からドスが利く訳で。久々に人の顔を見るなり一言、｢女難の相が｣と。あれから数年。人を待たせるは性に合わず。胸ポケットに忍ばせし小説を読むに待つを苦にせず。詳細など聞かぬ、ただ、その時間にその場所で、とＫさんに言われるがまま。駅改札にて待つに｢お待たせ｣と声かけられるもＫさんになく。帽子にマスク姿の女性。手がかりは目元位なもの、まじまじと凝視するに、｢私よ、私｣と。認知に数秒を要するに｢遅い｣と言いたげな様子。そもそもにそちらとは無縁な私にとっては帽子にマスクにサングラスなど罪人の道具のはずも、｢今どき｣とあって。そこは譲ったにせよ、｢わ･た･し｣の語調に年齢を忘れておらぬか。なんて言おうものなら。地元にて男女複数人の呑み会に呼んでいただいたというのが。閑話休題。当落を左右するは日々の活動。任期六年の参議院、元大臣といえども欠かさぬ駅頭。さすがに毎日とはいかぬまでもその姿勢こそが。選挙区は全県にて主要駅を数えても二十は下らず。順番に回るに年に一、二回程度。せめて、んな時くらいは、と応ずれども、んな時に限って。暴風雨、それも朝の通勤時間帯のみ。今さら休むとも言えず。傘ささぬ朝の駅頭を終えてそのまま向かうは。敗残兵が如き姿を晒すに同情を寄せて下さるは所長。いえいえ、雨といえども待ってくれぬは現場であり、｢彼ら｣に比べれば朝の一時間など。そこに｢どうぞ｣と提供されるはホットコーヒーであり、これが何とも。そう、区道路公園センターを訪ねるにいつも必ずコーヒーを出して下さる女性の職員がいて。気遣い無用と予め告げれども私の分だけ。｢肝心な上司の分は｣と促すに｢大丈夫です｣と毎回。これがもう何年も前からであり、今ではすっかりそれが愉しみで。違うか。おぼろげな記憶を辿るに。あれはいつぞやの真夏の暑い日。当時の所長が自らのペットボトルを取り出し、手酌にて二人分をグラスに注ぎ。当人の性格を鑑みるによもや直飲みの残りにあるまいか。勿論、笑顔でぐっと飲んだけど。確かそのへんから、の気がしないでもなく。かくいう私も市役所の控室では職員相手にコーヒーを自ら。こちらも年数は長く。当初はたまたま私が飲みたかっただけの話。私だけでは申し訳ないから｢ついで｣に。が、いつしか。客人来たらば｢粗茶なれど｣と茶をふるまうが作法、というか当然のもてなしであり。職員といえども客人には違いなく。どこぞの市議を待っている、というけれども相手の顔見ればおよそ吉凶の判別位は。んな冴えぬ顔して入口に立たれてはこちとて。来るまで中でコーヒーでもどうか、って。たかが一杯が両者の垣根を低くし、好循環を生み出してくれるのであれば。職員と向き合うに交渉力を磨くよりも一杯の珈琲のほうがよほど、なんて。(令和8年4月30日／2992回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-29T20:55:59+00:00</published><updated>2026-05-04T22:47:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>かつて浦和の淀君と畏怖されし御仁が何故に本市に、との謎はさておき、呼び出し受けることしばしば。淀君ともなれば冒頭からドスが利く訳で。久々に人の顔を見るなり一言、｢女難の相が｣と。あれから数年。</p><p>人を待たせるは性に合わず。胸ポケットに忍ばせし小説を読むに待つを苦にせず。詳細など聞かぬ、ただ、その時間にその場所で、とＫさんに言われるがまま。駅改札にて待つに｢お待たせ｣と声かけられるもＫさんになく。帽子にマスク姿の女性。手がかりは目元位なもの、まじまじと凝視するに、｢私よ、私｣と。</p><p>認知に数秒を要するに｢遅い｣と言いたげな様子。そもそもにそちらとは無縁な私にとっては帽子にマスクにサングラスなど罪人の道具のはずも、｢今どき｣とあって。そこは譲ったにせよ、｢わ･た･し｣の語調に年齢を忘れておらぬか。なんて言おうものなら。地元にて男女複数人の呑み会に呼んでいただいたというのが。閑話休題。</p><p>当落を左右するは日々の活動。任期六年の参議院、元大臣といえども欠かさぬ駅頭。さすがに毎日とはいかぬまでもその姿勢こそが。選挙区は全県にて主要駅を数えても二十は下らず。順番に回るに年に一、二回程度。せめて、んな時くらいは、と応ずれども、んな時に限って。暴風雨、それも朝の通勤時間帯のみ。</p><p>今さら休むとも言えず。傘ささぬ朝の駅頭を終えてそのまま向かうは。敗残兵が如き姿を晒すに同情を寄せて下さるは所長。いえいえ、雨といえども待ってくれぬは現場であり、｢彼ら｣に比べれば朝の一時間など。そこに｢どうぞ｣と提供されるはホットコーヒーであり、これが何とも。</p><p>そう、区道路公園センターを訪ねるにいつも必ずコーヒーを出して下さる女性の職員がいて。気遣い無用と予め告げれども私の分だけ。｢肝心な上司の分は｣と促すに｢大丈夫です｣と毎回。これがもう何年も前からであり、今ではすっかりそれが愉しみで。違うか。</p><p>おぼろげな記憶を辿るに。あれはいつぞやの真夏の暑い日。当時の所長が自らのペットボトルを取り出し、手酌にて二人分をグラスに注ぎ。当人の性格を鑑みるによもや直飲みの残りにあるまいか。勿論、笑顔でぐっと飲んだけど。確かそのへんから、の気がしないでもなく。</p><p>かくいう私も市役所の控室では職員相手にコーヒーを自ら。こちらも年数は長く。当初はたまたま私が飲みたかっただけの話。私だけでは申し訳ないから｢ついで｣に。が、いつしか。客人来たらば｢粗茶なれど｣と茶をふるまうが作法、というか当然のもてなしであり。</p><p>職員といえども客人には違いなく。どこぞの市議を待っている、というけれども相手の顔見ればおよそ吉凶の判別位は。んな冴えぬ顔して入口に立たれてはこちとて。来るまで中でコーヒーでもどうか、って。</p><p>たかが一杯が両者の垣根を低くし、好循環を生み出してくれるのであれば。職員と向き合うに交渉力を磨くよりも一杯の珈琲のほうがよほど、なんて。</p><p>(令和8年4月30日／2992回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[産土]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58769088/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58769088</id><summary><![CDATA[兼題は｢蝶｣と｢しやぼん玉｣。俳句は旧仮名にて｢や｣は大文字となり。詠みやすきは前者。蝶一羽ナイスショットを祝ひけり、とはいかぬまでも、立ち寄りし神社にて一句、初宮の稚児を迎へて紋白蝶、と詠むに、晴れた日の産土参り紋白蝶、と手直しをいただいて。ならば、しやぼん玉はどうか。閑静な住宅地の公園に声聞くは親子のみならず、その親、つまりは祖母まで。三世代そろふ公園しやぼん玉、を推敲して、三世代のそろふ砂場やしやぼん玉。三世代を｢みせだい｣と読まば｢の｣が入り。そこに実際はしゃぼん玉などないけれども連想させるは郷愁、昔懐かしき情景であり、子や孫の遊ぶ姿をほのぼのと見守る、そんな様子が今も、しかも近所で。いい地域だナ。そう、せわしなき中にも句を詠む心の余裕を。そもそもにゴルフは内緒で行くもの、言わぬもの。自ら公言するは愚者と知るも、それ以上に多忙を演出せんとする欺瞞こそが大罪であり偽善者の証。いや、多忙とて構わぬ、が、無理をして作った仕事など逆に。ならばゴルフの何が悪い、と開き直ったほうがむしろ。な訳ないナ。予定に追われし一日を終えて、さて、明日は、と手帳を見るに。ゴルフ、とだけ。６時前に迎えに行く、と有権者Ｋ氏のメールあれども、｢前｣が意味するは５分か３０分か。早朝５時に家出るに空明るく。５時半には車中にて会話に花を咲かせるに着信あり。こんな朝早くに、何か急用でも。そう、来月のグランドゴルフ大会の開会式にはぜひ参加願いたい、と会長から。日々寝坊なしといえどもさすがに。その日になくば留守電となるだけに何ともタイミングよく、今日こそは好スコアが。んな甘からず、終わってみれば。あーあ、今日もまた。そう、月イチ活動の障害者スポーツ団体にて名ばかりの会長職を。学校の施設を借用するに利用者調整会議なるものあり。各団体から最低一名の出席が必須とされ。ある日の会議にて出席者の一人から問いかけあり。集う意味ありますか、と。発言後にしばしの沈黙。予約は既にネット経由であるし、学校側からの伝達事項とてメールがあれば。確かにそれこそが合理的やもしれぬ。が、せめて年に一回位は互いに顔を、というのが大方の内心であって、出席の為に会社を早退せねばならぬとの当人の事情は察するも、それは自らの欠席を認めてもらわばいい話、何も会議そのものの意義まで否定せずとも、とＳさんより。声なき多数よりも一人の大声が勝つ時代。８８歳を魅了してやまぬはゴルフなれど、中年を魅了してやまぬはそちら。書店の新刊コーナーに見かけしその一冊を見逃すはずなく。令和の今に通じぬ価値観。通じぬ以上に否定されかねず。発禁扱いになりはせぬか、なんて。あれだけのヒット作が生まれる背景には画のみならず、原作が。当時のエピソードが綴られており、あの名セリフの生まれた経緯から作者の人生観まで。当人のペンネームの由来が気にならなかったかといえば。目下、支援者のすすめにて東野圭吾作品を読んでいるのだけれどもそちらは後回しにして。武論尊著｢悪と嘘を描く｣。(令和8年4月25日／2991回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-24T20:55:33+00:00</published><updated>2026-04-24T23:08:02+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>兼題は｢蝶｣と｢しやぼん玉｣。俳句は旧仮名にて｢や｣は大文字となり。詠みやすきは前者。蝶一羽ナイスショットを祝ひけり、とはいかぬまでも、立ち寄りし神社にて一句、初宮の稚児を迎へて紋白蝶、と詠むに、晴れた日の産土参り紋白蝶、と手直しをいただいて。</p><p>ならば、しやぼん玉はどうか。閑静な住宅地の公園に声聞くは親子のみならず、その親、つまりは祖母まで。三世代そろふ公園しやぼん玉、を推敲して、三世代のそろふ砂場やしやぼん玉。三世代を｢みせだい｣と読まば｢の｣が入り。</p><p>そこに実際はしゃぼん玉などないけれども連想させるは郷愁、昔懐かしき情景であり、子や孫の遊ぶ姿をほのぼのと見守る、そんな様子が今も、しかも近所で。いい地域だナ。そう、せわしなき中にも句を詠む心の余裕を。</p><p>そもそもにゴルフは内緒で行くもの、言わぬもの。自ら公言するは愚者と知るも、それ以上に多忙を演出せんとする欺瞞こそが大罪であり偽善者の証。いや、多忙とて構わぬ、が、無理をして作った仕事など逆に。ならばゴルフの何が悪い、と開き直ったほうがむしろ。な訳ないナ。</p><p>予定に追われし一日を終えて、さて、明日は、と手帳を見るに。ゴルフ、とだけ。６時前に迎えに行く、と有権者Ｋ氏のメールあれども、｢前｣が意味するは５分か３０分か。早朝５時に家出るに空明るく。５時半には車中にて会話に花を咲かせるに着信あり。</p><p>こんな朝早くに、何か急用でも。そう、来月のグランドゴルフ大会の開会式にはぜひ参加願いたい、と会長から。日々寝坊なしといえどもさすがに。その日になくば留守電となるだけに何ともタイミングよく、今日こそは好スコアが。んな甘からず、終わってみれば。あーあ、今日もまた。</p><p>そう、月イチ活動の障害者スポーツ団体にて名ばかりの会長職を。学校の施設を借用するに利用者調整会議なるものあり。各団体から最低一名の出席が必須とされ。ある日の会議にて出席者の一人から問いかけあり。集う意味ありますか、と。発言後にしばしの沈黙。予約は既にネット経由であるし、学校側からの伝達事項とてメールがあれば。</p><p>確かにそれこそが合理的やもしれぬ。が、せめて年に一回位は互いに顔を、というのが大方の内心であって、出席の為に会社を早退せねばならぬとの当人の事情は察するも、それは自らの欠席を認めてもらわばいい話、何も会議そのものの意義まで否定せずとも、とＳさんより。声なき多数よりも一人の大声が勝つ時代。</p><p>８８歳を魅了してやまぬはゴルフなれど、中年を魅了してやまぬはそちら。書店の新刊コーナーに見かけしその一冊を見逃すはずなく。令和の今に通じぬ価値観。通じぬ以上に否定されかねず。発禁扱いになりはせぬか、なんて。あれだけのヒット作が生まれる背景には画のみならず、原作が。</p><p>当時のエピソードが綴られており、あの名セリフの生まれた経緯から作者の人生観まで。当人のペンネームの由来が気にならなかったかといえば。目下、支援者のすすめにて東野圭吾作品を読んでいるのだけれどもそちらは後回しにして。武論尊著｢悪と嘘を描く｣。</p><p>(令和8年4月25日／2991回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[打順]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58755440/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58755440</id><summary><![CDATA[一目で分かるその筆跡や地元の傑物Ｍ平どんのものであって、郵便物の裏面、差出人の横に自筆の一文、｢人生最後は勝者になろうじゃないか！｣と。勝者か。性差、年齢に距離同じでは。優遇と思しき措置か、前方に特設ティーあり。選ぶ選ばぬは個の勝手。あくまでも要件に該当すれば権利を有するだけで。打たんとする視野に徘徊されてはかなわぬ、というか危険。旗から遠い順に打つが決まり。それは打ち始めのティーとて同じ。同じティーから打つのであれば打順は前のホールの打数が少ない人が先。つまりは老齢と女性は｢必然的に｣後となるはずも、前方に人影あり。順番を、と言わせぬ図太さ、厚顔ぶり。そこに立たば身分肩書に上下なく、誰も言わぬ、いや、言えぬのならば私が。制止するは同伴のＴさん。当人のせっかちな性格は誰しもが知るところであり。こちらが先に打つにせよ背後でそわそわされたのではかえって迷惑。好き勝手にさせよ、と。確かにもたもたせずに自らも早く、素振りもせずにそのまま。決して好調とはいいがたき中に迎えし最終１８番ホールのグリーン上。これも遠い順から。残り３ｍのパットがほんのわずかに右にそれて。うなだれてそそくさとグリーンを下りてカートに向かう本人。これから他のメンバーが打つというに。たかが一パットに何をそこまで。キャディが一言、今のが８８打目、つまりはエイジシュートのかかりし一打だったと。いや、確かに自然体に見えるもどことなく慎重、というか目に見えぬ気迫の伝わる一打だった感が。表彰前の講評に立ちて述べるは敗戦の弁。今日の一戦に備えて昨夜は早く床に就いたはずも寝れなんだ、と。８８歳にして前夜の興奮を抑えきれぬはゴルフの魔力か本人の若さか。８８歳にして高揚感を味わえるは何とも贅沢。今夜はよく眠れますよ、と。久々の同組にておらがセンセイとのラウンド終え。爺様連中の相手にて所作、言動に教わること少なからず。どこぞの退屈な会議よりもよほど教訓多く、人生を豊かに。閑話休題。京の中心地からさほど遠からぬ実家の客殿から眺める広大な庭に見る四季折々の顔。裏庭と思しきは他人様の敷地、というか有名な神社の境内であり。境界に垣根などとセコいこと言わず。まさに借景とはそのこと。社会人時代の仲間の一人がそちらの生まれ。一人暮らしの母君も寄る年波には勝てず施設に。長男である以上、毎週末は京都との往復とか。進む認知症に、あんたええ人そうやけどこれまで何か御世話になったかしら、と言われた時はさすがに、と。ふとした縁で入会するは、たま･あさお市民劇場。月イチの例会に合わせて催される演劇。年間の予定表を見るに年末の｢等伯｣は必ず、と伝えてあるはずも、今月の演目はおすすめと世話人から連絡あり。劇団俳優座による演劇｢猫、獅子になる｣を。５０歳のひきこもりと母の介護を巡る家族の苦悩と愛を描いた作品。脚本も然ることながら舞台上の役者陣の演技が最高に。やはりクラシック然り、｢生｣に限る。(令和8年4月20日／2990回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-19T20:55:28+00:00</published><updated>2026-04-19T22:45:36+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>一目で分かるその筆跡や地元の傑物Ｍ平どんのものであって、郵便物の裏面、差出人の横に自筆の一文、｢人生最後は勝者になろうじゃないか！｣と。勝者か。</p><p>性差、年齢に距離同じでは。優遇と思しき措置か、前方に特設ティーあり。選ぶ選ばぬは個の勝手。あくまでも要件に該当すれば権利を有するだけで。打たんとする視野に徘徊されてはかなわぬ、というか危険。旗から遠い順に打つが決まり。</p><p>それは打ち始めのティーとて同じ。同じティーから打つのであれば打順は前のホールの打数が少ない人が先。つまりは老齢と女性は｢必然的に｣後となるはずも、前方に人影あり。順番を、と言わせぬ図太さ、厚顔ぶり。</p><p>そこに立たば身分肩書に上下なく、誰も言わぬ、いや、言えぬのならば私が。制止するは同伴のＴさん。当人のせっかちな性格は誰しもが知るところであり。こちらが先に打つにせよ背後でそわそわされたのではかえって迷惑。好き勝手にさせよ、と。確かにもたもたせずに自らも早く、素振りもせずにそのまま。</p><p>決して好調とはいいがたき中に迎えし最終１８番ホールのグリーン上。これも遠い順から。残り３ｍのパットがほんのわずかに右にそれて。うなだれてそそくさとグリーンを下りてカートに向かう本人。これから他のメンバーが打つというに。</p><p>たかが一パットに何をそこまで。キャディが一言、今のが８８打目、つまりはエイジシュートのかかりし一打だったと。いや、確かに自然体に見えるもどことなく慎重、というか目に見えぬ気迫の伝わる一打だった感が。</p><p>表彰前の講評に立ちて述べるは敗戦の弁。今日の一戦に備えて昨夜は早く床に就いたはずも寝れなんだ、と。８８歳にして前夜の興奮を抑えきれぬはゴルフの魔力か本人の若さか。８８歳にして高揚感を味わえるは何とも贅沢。今夜はよく眠れますよ、と。</p><p>久々の同組にておらがセンセイとのラウンド終え。爺様連中の相手にて所作、言動に教わること少なからず。どこぞの退屈な会議よりもよほど教訓多く、人生を豊かに。</p><p>閑話休題。京の中心地からさほど遠からぬ実家の客殿から眺める広大な庭に見る四季折々の顔。裏庭と思しきは他人様の敷地、というか有名な神社の境内であり。境界に垣根などとセコいこと言わず。まさに借景とはそのこと。</p><p>社会人時代の仲間の一人がそちらの生まれ。一人暮らしの母君も寄る年波には勝てず施設に。長男である以上、毎週末は京都との往復とか。進む認知症に、あんたええ人そうやけどこれまで何か御世話になったかしら、と言われた時はさすがに、と。</p><p>ふとした縁で入会するは、たま･あさお市民劇場。月イチの例会に合わせて催される演劇。年間の予定表を見るに年末の｢等伯｣は必ず、と伝えてあるはずも、今月の演目はおすすめと世話人から連絡あり。劇団俳優座による演劇｢猫、獅子になる｣を。５０歳のひきこもりと母の介護を巡る家族の苦悩と愛を描いた作品。</p><p>脚本も然ることながら舞台上の役者陣の演技が最高に。やはりクラシック然り、｢生｣に限る。</p><p>(令和8年4月20日／2990回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[親権]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58742468/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58742468</id><summary><![CDATA[ある日の午後、遮断機が上がれども渡る気配なく、思い詰めた表情のまま踏切に佇む一人の男性。もしや。それが私だった、とは国会秘書のＹ君の談。日にち分かれば当日の予定から状況の察しがつくやもしれぬ。が、漠然と二月頃だったような、と言われても。そもそもに｢思い詰める｣理由なき私がそんな不自然な行動などとるはずが。いや、間違いなく、とＹ秘書が断言するに聞く耳立つ周囲。たまたま車で通りすがった際に見かけた、とのことなれど、んなコソ見で観察するとは卑怯なり、仮にどれほどの仏頂面であろうとも気にせず声をかけよ、と。そうそう、私も見ました、と横から県議が。あの時は帰りの電車でへべれけで窓に顔が、と真似てみせ。いや、確かにいつぞやに帰りの電車で会ったことは事実。泥酔とて否定はせぬ、が、｢窓に顔｣はさすがに。公衆の場において、んな醜態を晒すことなど、往々か。真偽いづれにせよ、んな話は広まるに早いばかりか、伝言ゲームが如く尾ひれ付き。議員間ならいざ知らず、純粋な支援者の前でネタにせずとも。が、これでツカミは果たしたと語り始めし話題がそちら。｢旬な話題｣とは不謹慎ながら親権を巡る課題に鋭く切り込まんとするに立ちはだかるはそちら。本部長に答弁を求めんとするに難色を示されるは民事不介入なる風潮が根底にあって。児童虐待も然り。立ち入り権限が付与されども親子の関係に他人が介入するは越権、と。子はかすがい、夜逃げは借金とは過去の話。今や突然の失踪は夫婦間のこじれ、それも子の親権が絡み。事の善悪、世の道義以上に逃げたもの勝ち、養育費を負担すれども子に会えぬ現実、そこに暗躍する弁護士。そんな現実を知るに｢ぜひ見るべし｣と一本の映画が紹介され。名探偵コナンならぬギョーム･セネズ監督作｢A Missing Part また君にあえるまで｣。言われた翌日の仕事帰りにちゃんと。そう、ファミレスでアルバイトをする娘から酔客は迷惑、と聞けど、そもそもに酔った当人にはそんな意識など。家のリビングを改装したかの開放的な空間、提供されるは趣向を凝らした手料理の数々、普段は見かけぬ隠し酒も吞み放題、客層極めてよく、良心的な価格とあらば。酒に飢えずとも家庭に飢えた私には格好の。そんな店が市内某所に。店の繁盛を左右するは店員であり。料理の運び役に注文係に奔走する当人の接遇が丁寧で好感度は抜群。大学生と思しきその姿が子に重なり。初対面の若者に大学名を聞くは私の実家の母位なものなれど、聞くは好意の裏返し。大学のみならず、学部、学年まで娘に同じ。帰宅後に伝えるにせめて苗字位は、と聞くにどこぞで聞いた苗字。つかぬことを伺うが、父の職業や市議なんてことは。更に申さばその母君、つまり祖母の名はＴ美ではないか、と問うに、｢そうです｣と。彼の御子息か、父に似て立派。世間は狭きものなり。(令和8年4月15日／2989回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-14T20:55:03+00:00</published><updated>2026-04-14T21:33:00+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>ある日の午後、遮断機が上がれども渡る気配なく、思い詰めた表情のまま踏切に佇む一人の男性。もしや。</p><p>それが私だった、とは国会秘書のＹ君の談。日にち分かれば当日の予定から状況の察しがつくやもしれぬ。が、漠然と二月頃だったような、と言われても。そもそもに｢思い詰める｣理由なき私がそんな不自然な行動などとるはずが。</p><p>いや、間違いなく、とＹ秘書が断言するに聞く耳立つ周囲。たまたま車で通りすがった際に見かけた、とのことなれど、んなコソ見で観察するとは卑怯なり、仮にどれほどの仏頂面であろうとも気にせず声をかけよ、と。</p><p>そうそう、私も見ました、と横から県議が。あの時は帰りの電車でへべれけで窓に顔が、と真似てみせ。いや、確かにいつぞやに帰りの電車で会ったことは事実。泥酔とて否定はせぬ、が、｢窓に顔｣はさすがに。公衆の場において、んな醜態を晒すことなど、往々か。</p><p>真偽いづれにせよ、んな話は広まるに早いばかりか、伝言ゲームが如く尾ひれ付き。議員間ならいざ知らず、純粋な支援者の前でネタにせずとも。が、これでツカミは果たしたと語り始めし話題がそちら。</p><p>｢旬な話題｣とは不謹慎ながら親権を巡る課題に鋭く切り込まんとするに立ちはだかるはそちら。本部長に答弁を求めんとするに難色を示されるは民事不介入なる風潮が根底にあって。児童虐待も然り。立ち入り権限が付与されども親子の関係に他人が介入するは越権、と。</p><p>子はかすがい、夜逃げは借金とは過去の話。今や突然の失踪は夫婦間のこじれ、それも子の親権が絡み。事の善悪、世の道義以上に逃げたもの勝ち、養育費を負担すれども子に会えぬ現実、そこに暗躍する弁護士。そんな現実を知るに｢ぜひ見るべし｣と一本の映画が紹介され。名探偵コナンならぬギョーム･セネズ監督作｢A Missing Part また君にあえるまで｣。言われた翌日の仕事帰りにちゃんと。</p><p>そう、ファミレスでアルバイトをする娘から酔客は迷惑、と聞けど、そもそもに酔った当人にはそんな意識など。家のリビングを改装したかの開放的な空間、提供されるは趣向を凝らした手料理の数々、普段は見かけぬ隠し酒も吞み放題、客層極めてよく、良心的な価格とあらば。酒に飢えずとも家庭に飢えた私には格好の。そんな店が市内某所に。</p><p>店の繁盛を左右するは店員であり。料理の運び役に注文係に奔走する当人の接遇が丁寧で好感度は抜群。大学生と思しきその姿が子に重なり。初対面の若者に大学名を聞くは私の実家の母位なものなれど、聞くは好意の裏返し。大学のみならず、学部、学年まで娘に同じ。帰宅後に伝えるにせめて苗字位は、と聞くにどこぞで聞いた苗字。</p><p>つかぬことを伺うが、父の職業や市議なんてことは。更に申さばその母君、つまり祖母の名はＴ美ではないか、と問うに、｢そうです｣と。彼の御子息か、父に似て立派。世間は狭きものなり。</p><p>(令和8年4月15日／2989回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[新顔]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58729429/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58729429</id><summary><![CDATA[銀婚を越えて悟るは。相手に口を挟まぬ挟ませぬ。されど、子となれば話や別。大学のサークル選びに逡巡する息子にスポーツ系を推さば、妻が一言、ケガをするゆえやめよ、と。逆だよ、逆。ケガをせぬ為にやるのであって、むしろやらぬほうが。その後に一言、ヨガ｢も｣やめよ、との忠告にうつむく私。勿論、通う事実など妻知る由もなく。ヨガは胡散臭きものなる偏見は未だ。新入生は学生や社会人のみならず、ヨガ教室とて。どことなく不安げな新顔の面々に説きしヨガの魅力。そのヘンな格好が意味するは。普段使わぬ部位を動かすに得られる快感、というか身体のキレ。やるに快感だったはずも、やがては、やらねば不快に、自ずと身体が｢欲する｣というか、当初、食指が伸びなかった青汁がいつしか日課となるかの如き。依存症に注意、と教えるに頷くインストラクター。依存症や世に少なからず。百薬の長とは呑助の勝手な口実。寝る前の酒なんぞ鼻孔が弛緩するに気道の確保ままならず、それこそがいびきであり、睡眠も浅く。やはり中毒になるならばそれが健康に結びつかねば。となるとヨガかランか。いえいえ、やはり。何せ脳裏から離れぬあの一打。成功の余韻に浸るは初心者。上達を望むならば過去の栄光は捨て去るに限る。いかにミスを減らすか、こそが。身体のみならず、そそられる知的好奇心に頭脳まで。もしや原因はどこぞに、と閃くに論より証拠、一刻も早く実証せねば。明日、いや、明日とは言わずこのまま、なんて。そう、ゆえにプレー後の十九番ホールは居酒屋ならぬ夜の練習場こそ。閑話休題。足しげく通うはヨガのみならず。道路公園センターにて向き合う相手は、所長か課長か。より高い権限を有するは前者なれど現場を統率するは後者であり。いや、いづれにせよ、職場内の風通しや悪からず、｢たまたま｣そちらの方が在席率が高い、というただそれだけの理由にて、畏れ多くも所長がドブ板陳情の窓口となり。が、避けられぬはそちら。あれは三月半ば。地元の陳情を持ち込まんとするに気にせし人事異動。もし、交代とあらば四月以降に改めて、と伝えるに。いや、どうせあと一年ゆえ、四月以降も多分このまま、とは所長。が、まさに青天の霹靂とはそのこと。それも本庁の上級職に迎えられ。いやいや、気心知れた相手が昇進を遂げるはこちらにとっても願ったり叶ったり。とするに今回の相手は自ずから。留任の課長を訪ねるに同席を見せるは新任の所長。それぞれが手にするは仕事に欠かせぬ住宅地図。新規の｢ついで｣と聞くはいつぞやの事案のその後の進捗。課長が住宅地図の当該ページを開くに見当たらぬ痕跡。はて、確かに依頼したはず。ならばこちらを、と前任の所長が使い古した地図を開くに。ほら、ちゃんと手書きで。よもや所長どまりで手つかずだったのでは。やはり相手は現場の課長に限る、か。(令和8年4月10日／2988回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-09T20:55:04+00:00</published><updated>2026-04-10T05:55:05+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>銀婚を越えて悟るは。相手に口を挟まぬ挟ませぬ。されど、子となれば話や別。大学のサークル選びに逡巡する息子にスポーツ系を推さば、妻が一言、ケガをするゆえやめよ、と。</p><p>逆だよ、逆。ケガをせぬ為にやるのであって、むしろやらぬほうが。その後に一言、ヨガ｢も｣やめよ、との忠告にうつむく私。勿論、通う事実など妻知る由もなく。ヨガは胡散臭きものなる偏見は未だ。</p><p>新入生は学生や社会人のみならず、ヨガ教室とて。どことなく不安げな新顔の面々に説きしヨガの魅力。そのヘンな格好が意味するは。普段使わぬ部位を動かすに得られる快感、というか身体のキレ。</p><p>やるに快感だったはずも、やがては、やらねば不快に、自ずと身体が｢欲する｣というか、当初、食指が伸びなかった青汁がいつしか日課となるかの如き。依存症に注意、と教えるに頷くインストラクター。</p><p>依存症や世に少なからず。百薬の長とは呑助の勝手な口実。寝る前の酒なんぞ鼻孔が弛緩するに気道の確保ままならず、それこそがいびきであり、睡眠も浅く。やはり中毒になるならばそれが健康に結びつかねば。となるとヨガかランか。いえいえ、やはり。何せ脳裏から離れぬあの一打。</p><p>成功の余韻に浸るは初心者。上達を望むならば過去の栄光は捨て去るに限る。いかにミスを減らすか、こそが。身体のみならず、そそられる知的好奇心に頭脳まで。もしや原因はどこぞに、と閃くに論より証拠、一刻も早く実証せねば。明日、いや、明日とは言わずこのまま、なんて。そう、ゆえにプレー後の十九番ホールは居酒屋ならぬ夜の練習場こそ。</p><p>閑話休題。足しげく通うはヨガのみならず。道路公園センターにて向き合う相手は、所長か課長か。より高い権限を有するは前者なれど現場を統率するは後者であり。いや、いづれにせよ、職場内の風通しや悪からず、｢たまたま｣そちらの方が在席率が高い、というただそれだけの理由にて、畏れ多くも所長がドブ板陳情の窓口となり。が、避けられぬはそちら。</p><p>あれは三月半ば。地元の陳情を持ち込まんとするに気にせし人事異動。もし、交代とあらば四月以降に改めて、と伝えるに。いや、どうせあと一年ゆえ、四月以降も多分このまま、とは所長。が、まさに青天の霹靂とはそのこと。それも本庁の上級職に迎えられ。いやいや、気心知れた相手が昇進を遂げるはこちらにとっても願ったり叶ったり。</p><p>とするに今回の相手は自ずから。留任の課長を訪ねるに同席を見せるは新任の所長。それぞれが手にするは仕事に欠かせぬ住宅地図。新規の｢ついで｣と聞くはいつぞやの事案のその後の進捗。課長が住宅地図の当該ページを開くに見当たらぬ痕跡。はて、確かに依頼したはず。ならばこちらを、と前任の所長が使い古した地図を開くに。ほら、ちゃんと手書きで。</p><p>よもや所長どまりで手つかずだったのでは。やはり相手は現場の課長に限る、か。</p><p>(令和8年4月10日／2988回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[赤飯]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58714804/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58714804</id><summary><![CDATA[集団は不得手、何せ自由が利かぬばかりか見知らぬ相手に会話とて。旅行に行くなら個人に限る。されど、一人では不安、そして、何よりも｢みんなでわいわい｣を好む連中とて未だ。誘われるうちが花、と地元の御婦人方が企画する日帰りバス旅行に春の一日を御一緒させていただいた。主催者になくば余計な気遣いなく、道中はバスに揺られてのんびり昼寝、と目論むにＫさんが前方に並び席を確保して下さったものの、おぬしの席はここ、と案内されるは後方サロン席の中央。これでは寝るどころか。案の定、取り出されし一升瓶に、どうぞ、と注がれるコップ酒。対面となりしは地元でも知られた踊りの師匠、年齢や八八にしてその武勇伝や数知れず。照明に音楽さえあれば舞台選ばずバスの通路とて。世にすさまじきもの、師走の月に年増の化粧と言い放つは清少納言なれど。人の世の酸いも甘いも知り尽くした御仁を前に、酔うに酔えぬ、というか、酔わねばまともに相手など。と注がれるままに。後日に聞くは一升瓶をほぼ一人で、と。途中に立ち寄りしフラワーパーク、花なんぞあったかね、いや、そもそもにそんなところに寄ったのか、記憶なき酩酊ぶりもそこだけは忘れぬ。昔は全員分の赤飯を焚いて持参された豪傑がおられたそうなれど、持ち寄られし手料理の数々はいづれも抜群に旨く。そちらとて事情は同じ。かつては課の総出、いや、局挙げて催されし送別会も今や。かつて還暦が意味するは定年、つまりは退職。その年齢を迎えるに必ず｢去った｣のであり。明日以降は会えぬと思うから興奮も高まるのであって、翌日以降も変わらず出勤とあらば。送る方も送られる方もどことなくわかぬ実感。本来ならば本当の退職、つまりは｢去る｣直前こそ理想と知れど、一年後か二年後か。ましてや還暦以降、役職が外れるにそこまで目が届かず。日々寄せられる相談や様々。公に出来ぬ内緒話とて少なからず。我らには支援者こそが上位であり、そちら側に非あれども｢そこを何とか｣と役人に譲歩を迫ることしばしば、というか毎回。惜別に際し、せめて御礼にメシでも、と不摂生が続くある夜に届きし一通のメール、｢呑み過ぎに注意せよ｣と娘から。そう、金銭と寿命こそ惜しむものにあらねども、こちらの身や一つ。日に一件では追いつかぬ。ましてや相手によっては立場が逆転。還暦に届かぬこちらを相手によくもあの時は、なんて惨事を招かぬとも限らず。事実、庁内にも。早き昇進に年齢の逆転が生ずることも。そのへんは組織ゆえ順応するはずも時に。入庁年次や我が先、新人の頃などオレが面倒を、と若き局長を｢おい｣呼ばわりの猛者もいるとかいないとか。んな時に備えて用意するはワイン。ちゃんと行きつけの店にて選んで貰うのだけれども。Ｈ部長にも、一句添えて贈るに大そう喜んでいただいて。律儀な御仁とはかねて知れども、後日御礼に参る、と。いや、これで縁切りのほうが。(令和8年4月5日／2987回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-04-04T20:55:47+00:00</published><updated>2026-04-05T11:07:30+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>集団は不得手、何せ自由が利かぬばかりか見知らぬ相手に会話とて。旅行に行くなら個人に限る。されど、一人では不安、そして、何よりも｢みんなでわいわい｣を好む連中とて未だ。誘われるうちが花、と地元の御婦人方が企画する日帰りバス旅行に春の一日を御一緒させていただいた。</p><p>主催者になくば余計な気遣いなく、道中はバスに揺られてのんびり昼寝、と目論むにＫさんが前方に並び席を確保して下さったものの、おぬしの席はここ、と案内されるは後方サロン席の中央。これでは寝るどころか。</p><p>案の定、取り出されし一升瓶に、どうぞ、と注がれるコップ酒。対面となりしは地元でも知られた踊りの師匠、年齢や八八にしてその武勇伝や数知れず。照明に音楽さえあれば舞台選ばずバスの通路とて。</p><p>世にすさまじきもの、師走の月に年増の化粧と言い放つは清少納言なれど。人の世の酸いも甘いも知り尽くした御仁を前に、酔うに酔えぬ、というか、酔わねばまともに相手など。と注がれるままに。後日に聞くは一升瓶をほぼ一人で、と。</p><p>途中に立ち寄りしフラワーパーク、花なんぞあったかね、いや、そもそもにそんなところに寄ったのか、記憶なき酩酊ぶりもそこだけは忘れぬ。昔は全員分の赤飯を焚いて持参された豪傑がおられたそうなれど、持ち寄られし手料理の数々はいづれも抜群に旨く。</p><p>そちらとて事情は同じ。かつては課の総出、いや、局挙げて催されし送別会も今や。</p><p>かつて還暦が意味するは定年、つまりは退職。その年齢を迎えるに必ず｢去った｣のであり。明日以降は会えぬと思うから興奮も高まるのであって、翌日以降も変わらず出勤とあらば。送る方も送られる方もどことなくわかぬ実感。本来ならば本当の退職、つまりは｢去る｣直前こそ理想と知れど、一年後か二年後か。ましてや還暦以降、役職が外れるにそこまで目が届かず。</p><p>日々寄せられる相談や様々。公に出来ぬ内緒話とて少なからず。我らには支援者こそが上位であり、そちら側に非あれども｢そこを何とか｣と役人に譲歩を迫ることしばしば、というか毎回。惜別に際し、せめて御礼にメシでも、と不摂生が続くある夜に届きし一通のメール、｢呑み過ぎに注意せよ｣と娘から。</p><p>そう、金銭と寿命こそ惜しむものにあらねども、こちらの身や一つ。日に一件では追いつかぬ。ましてや相手によっては立場が逆転。還暦に届かぬこちらを相手によくもあの時は、なんて惨事を招かぬとも限らず。事実、庁内にも。早き昇進に年齢の逆転が生ずることも。そのへんは組織ゆえ順応するはずも時に。入庁年次や我が先、新人の頃などオレが面倒を、と若き局長を｢おい｣呼ばわりの猛者もいるとかいないとか。</p><p>んな時に備えて用意するはワイン。ちゃんと行きつけの店にて選んで貰うのだけれども。Ｈ部長にも、一句添えて贈るに大そう喜んでいただいて。律儀な御仁とはかねて知れども、後日御礼に参る、と。いや、これで縁切りのほうが。</p><p>(令和8年4月5日／2987回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[市名]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58698251/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58698251</id><summary><![CDATA[さすがに上五から下の句を、とはいかなんだけれども。｢世の中に絶えて桜のなかりせば｣と聞いて、｢春の心はのどけからまし、業平｣と返さば、｢おぬしやるな｣と相手。いえいえ、それはこちらの台詞。御齢八八歳の当人の専門や美術にて和歌を諳んじるなど。定説となりし現代訳は、世の中に桜というものがなければどれほどのどかであることか、いっそ桜なんぞ世になければ、とされるも当人の新解釈によれば。桜が意味するは女性、つまりは、世の中に女性いなければ恋の悩みなど、というのが。平安屈指の美男、在原業平に迫らんとするに一冊。高樹のぶ子著｢小説伊勢物語 業平｣にも確か。が、そもそもに私なんぞは本で得た知識ながらも当人にあっては自らの直感がそう告げている、つまりは、自らも彼に通ずるところあり、とでも言いたげな。んな世紀の発見を奥様に告げるに一笑に付された、と憤慨する本人。ちなみに奥様は御主人とは違って芸術ならぬ文学。俳句を嗜む、どころかその道の専門家であり、自慢する相手が。何も大してモテもせぬのに、んな発想の飛躍なんぞはおこがましい、というのが奥様の内心に違いなく。閑話休題。ふとした縁で知り合いしＭさんは本市の元教師であり、話題に上がるはそちら。どこの自治体であろうとも市名の看板を背負うは進学校の証であり、本市とて。それが今や他に大きく水をあけられ。何も東大合格者数だけが評価にあらずと知るも凋落著しい原因やどこに。そして、こたびの市長選の公約の目玉とされる高専とて今さら感。冷ややかな見方が大半を占める中に｢今こそ高専｣とは某ビジネス誌の最新号の見出しであり。その明暗や。かたや岐路に立たされるは夜学こと定時制。夜学に通わざるを得ぬ境遇を不憫と思わぬか、なんて感情論が勝らば道を失いかねず、現実を直視せよ、とＭさん。目下、定時制を担し教師陣は再任用が大半を占めるばかりか生徒数など教師の数よりも。これだけ時代が進歩する中にあって学べる手段は何も夜学に限らず。一般校すら教師を確保するにままならぬばかりか、押し寄せる少子化の波に生徒数とて。危急存亡の秋にして定時制の存続に高専などと悠長にあるまいか。いや、それとて、そこに何かしらの深謀あらば話は別なれど、勝算やどこに、と手厳しく。そんな危機感は現場こそよく知るはずなれど、そこが酌めているようには見えぬ、と。そう、公立校にて実施される現行の体力テストの結果に見るは生徒の能力のみにあらず。運動の苦手意識というかスポーツ嫌いが少なくないとか。好きこそものの上手なれ。彼らの意識を｢嫌い｣から｢好き｣へと転換させる方策を市に求めたはずも噛み合わぬ答弁。犬とて逃げるから追ってくるのであって。大事なのは相手と向き合う姿勢であり、まずははぐらかさぬこと。それは市議であれ子供たちであれ。市議とすらもまともに向き合えぬに生徒や保護者らと話が出来るか。ばかりか、現場の本音と建前など見抜けるはずもなく。机上の前にまずは。(令和8年3月31日／2986回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-03-30T20:55:31+00:00</published><updated>2026-03-30T21:49:14+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>さすがに上五から下の句を、とはいかなんだけれども。｢世の中に絶えて桜のなかりせば｣と聞いて、｢春の心はのどけからまし、業平｣と返さば、｢おぬしやるな｣と相手。</p><p>いえいえ、それはこちらの台詞。御齢八八歳の当人の専門や美術にて和歌を諳んじるなど。定説となりし現代訳は、世の中に桜というものがなければどれほどのどかであることか、いっそ桜なんぞ世になければ、とされるも当人の新解釈によれば。</p><p>桜が意味するは女性、つまりは、世の中に女性いなければ恋の悩みなど、というのが。平安屈指の美男、在原業平に迫らんとするに一冊。高樹のぶ子著｢小説伊勢物語 業平｣にも確か。が、そもそもに私なんぞは本で得た知識ながらも当人にあっては自らの直感がそう告げている、つまりは、自らも彼に通ずるところあり、とでも言いたげな。</p><p>んな世紀の発見を奥様に告げるに一笑に付された、と憤慨する本人。ちなみに奥様は御主人とは違って芸術ならぬ文学。俳句を嗜む、どころかその道の専門家であり、自慢する相手が。何も大してモテもせぬのに、んな発想の飛躍なんぞはおこがましい、というのが奥様の内心に違いなく。</p><p>閑話休題。ふとした縁で知り合いしＭさんは本市の元教師であり、話題に上がるはそちら。どこの自治体であろうとも市名の看板を背負うは進学校の証であり、本市とて。それが今や他に大きく水をあけられ。</p><p>何も東大合格者数だけが評価にあらずと知るも凋落著しい原因やどこに。そして、こたびの市長選の公約の目玉とされる高専とて今さら感。冷ややかな見方が大半を占める中に｢今こそ高専｣とは某ビジネス誌の最新号の見出しであり。その明暗や。</p><p>かたや岐路に立たされるは夜学こと定時制。夜学に通わざるを得ぬ境遇を不憫と思わぬか、なんて感情論が勝らば道を失いかねず、現実を直視せよ、とＭさん。目下、定時制を担し教師陣は再任用が大半を占めるばかりか生徒数など教師の数よりも。これだけ時代が進歩する中にあって学べる手段は何も夜学に限らず。</p><p>一般校すら教師を確保するにままならぬばかりか、押し寄せる少子化の波に生徒数とて。危急存亡の秋にして定時制の存続に高専などと悠長にあるまいか。いや、それとて、そこに何かしらの深謀あらば話は別なれど、勝算やどこに、と手厳しく。そんな危機感は現場こそよく知るはずなれど、そこが酌めているようには見えぬ、と。</p><p>そう、公立校にて実施される現行の体力テストの結果に見るは生徒の能力のみにあらず。運動の苦手意識というかスポーツ嫌いが少なくないとか。好きこそものの上手なれ。彼らの意識を｢嫌い｣から｢好き｣へと転換させる方策を市に求めたはずも噛み合わぬ答弁。</p><p>犬とて逃げるから追ってくるのであって。大事なのは相手と向き合う姿勢であり、まずははぐらかさぬこと。それは市議であれ子供たちであれ。市議とすらもまともに向き合えぬに生徒や保護者らと話が出来るか。ばかりか、現場の本音と建前など見抜けるはずもなく。</p><p>机上の前にまずは。</p><p>(令和8年3月31日／2986回)</p>
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	]]></content><rights>Copyright (C) Naofumi Yamazaki All Rights Reserved.</rights></entry><entry><title><![CDATA[欠伸]]></title><link rel="alternate" href="https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58672587/"></link><id>https://yamazaki-naofumi.themedia.jp/posts/58672587</id><summary><![CDATA[家族葬なれどぜひ、と御遺族より。いや、請われずと。通夜に居合わせしＫさんや某市にて市議十期の大物。故人の親族、従弟とは昔から知るところ。市役所を訪ねるに職員と談笑をしている姿しか、とは故人がよく。市長は言わずもがな、職員からも慕われる存在であり。市内八箇所の居酒屋に置かれた当人のボトルは職員が勝手に。つまりはメシ代のみ彼らの負担となり。買収などとは嫉妬心。それだけでは掴めぬ人心。当人の人柄に負うところ大。ほんと気さくな御仁であり。今は御子息に道を譲り隠居の身なれど老いて益々盛ん。未だ現職以上に古巣に心配を寄せ。｢今どきの事情は知らぬが｣と前置きをした上で、｢こと最近は職員が現場に姿を見せなくなった。そう思わぬか｣と求められる感想。本市とて同じ、市の違いというよりも時代。私とてそれが｢正しい｣とされた時代を経験してきただけに言わんとすることは十分に。集団よりも個が優先される時代にあって先生が如き御仁は稀有、というかもはや天然記念物、と評するに満足げな様子。読経前の時間。んな話題に興じることが出来るのは当人ならでは。御遺族とて知る所であり、故人もきっとあの世で。合掌。｢年度内｣が焦点と騒ぎ立てるも成立すればしたで｢拙速｣、ならねばならぬで｢違約｣と。いづれにせよ批判の材料でしかなく。間に合わぬに影響はないか、と言われれば皆無とは言えぬ、が。それこそが国民の声とばかりに数頼みに押しに押す方も押す方なれど、野党とて惨敗後に目指すべきはそちらだったはず。予算とは全く無縁の話題に終始するは時間の浪費と言われても。発言なきは不勉強の証、というか。何も私だけが委員にあらず、肝心なことはちゃんと他が。そこにキチンと答弁が返されれば余計な口は挟まぬ。｢異議あり｣などとエラそうなタイトルなれど、現実は｢寝ていても耳は｣が正しく。耳立つも時折。古来、遊軍なるものはその為に存在すると申しても。そう、ついこないだも常任委員会にてそんな一幕あり。質問の主や厳しい追及で有名なＩセンセイ。質問に対して｢手元に資料がないゆえ後ほど｣と役人側。｢その程度のことすら答えられぬとは軽視としか。ましてや報告ならぬ可否を求める議案の審査に後ほどなんぞありえるか。昔であればそこで委員会が中断、採決は見送られたもの。ゆえに事前の準備は怠りなく入念にされていたはず。議案は必ず可決されるもの、との認識や厳に戒められるべき。緊張感が足りぬ｣と一喝。｢今回はそこまでせぬが、以後は｣と譲歩見せるは善人の証。が、悲しいかな緊張感の欠如は何も役所側に限った話にあらず。市議側とて人目憚らぬ欠伸など最たるもので、品位を欠く、礼儀知らずというか出自が知れるというもので。委員長が発言を促すにも｢とりあえず｣なんてのは、所詮、その程度としか。｢ゆるみ｣は開脚のみで。(令和8年3月25日／2985回)]]></summary><author><name>なおふみ</name></author><published>2026-03-24T20:55:13+00:00</published><updated>2026-03-25T11:06:35+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>家族葬なれどぜひ、と御遺族より。いや、請われずと。通夜に居合わせしＫさんや某市にて市議十期の大物。故人の親族、従弟とは昔から知るところ。市役所を訪ねるに職員と談笑をしている姿しか、とは故人がよく。</p><p>市長は言わずもがな、職員からも慕われる存在であり。市内八箇所の居酒屋に置かれた当人のボトルは職員が勝手に。つまりはメシ代のみ彼らの負担となり。買収などとは嫉妬心。それだけでは掴めぬ人心。当人の人柄に負うところ大。ほんと気さくな御仁であり。今は御子息に道を譲り隠居の身なれど老いて益々盛ん。未だ現職以上に古巣に心配を寄せ。</p><p>｢今どきの事情は知らぬが｣と前置きをした上で、｢こと最近は職員が現場に姿を見せなくなった。そう思わぬか｣と求められる感想。本市とて同じ、市の違いというよりも時代。私とてそれが｢正しい｣とされた時代を経験してきただけに言わんとすることは十分に。</p><p>集団よりも個が優先される時代にあって先生が如き御仁は稀有、というかもはや天然記念物、と評するに満足げな様子。読経前の時間。んな話題に興じることが出来るのは当人ならでは。御遺族とて知る所であり、故人もきっとあの世で。合掌。</p><p>｢年度内｣が焦点と騒ぎ立てるも成立すればしたで｢拙速｣、ならねばならぬで｢違約｣と。いづれにせよ批判の材料でしかなく。間に合わぬに影響はないか、と言われれば皆無とは言えぬ、が。それこそが国民の声とばかりに数頼みに押しに押す方も押す方なれど、野党とて惨敗後に目指すべきはそちらだったはず。予算とは全く無縁の話題に終始するは時間の浪費と言われても。</p><p>発言なきは不勉強の証、というか。何も私だけが委員にあらず、肝心なことはちゃんと他が。そこにキチンと答弁が返されれば余計な口は挟まぬ。｢異議あり｣などとエラそうなタイトルなれど、現実は｢寝ていても耳は｣が正しく。耳立つも時折。古来、遊軍なるものはその為に存在すると申しても。</p><p>そう、ついこないだも常任委員会にてそんな一幕あり。質問の主や厳しい追及で有名なＩセンセイ。質問に対して｢手元に資料がないゆえ後ほど｣と役人側。</p><p>｢その程度のことすら答えられぬとは軽視としか。ましてや報告ならぬ可否を求める議案の審査に後ほどなんぞありえるか。昔であればそこで委員会が中断、採決は見送られたもの。ゆえに事前の準備は怠りなく入念にされていたはず。議案は必ず可決されるもの、との認識や厳に戒められるべき。緊張感が足りぬ｣と一喝。｢今回はそこまでせぬが、以後は｣と譲歩見せるは善人の証。</p><p>が、悲しいかな緊張感の欠如は何も役所側に限った話にあらず。市議側とて人目憚らぬ欠伸など最たるもので、品位を欠く、礼儀知らずというか出自が知れるというもので。委員長が発言を促すにも｢とりあえず｣なんてのは、所詮、その程度としか。</p><p>｢ゆるみ｣は開脚のみで。</p><p>(令和8年3月25日／2985回)</p>
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