熱燗

謹賀新年。山陰と山陽が典型例。まさに読んで字の如く山を隔てて明暗が分かれ。特に冬は顕著。吹雪にあらずとしんしんと降る雪、止めど足下悪く、外出に重い腰。そんな雪国に比べれば寒波くらいで。快晴に恵まれし元旦に初詣を終えた。

三が日。昨年は中止とされた正月の祈願が再開したとの案内に恒例のだるま売りを抜け出して。受付順は六番目。右手に根を持ち、時計回りにぐるっと返して置かんとするに止まる動き。奉納する以上は根元が神前、のはずも何故か逆向きに並ぶ玉串。

常識に勝る同調圧力、ぎこちない所作に向きを直して一件落着のはずが。埋もれし一本は神前を向いており。そもそもハナから同調など。後ろから迫りくる気配に手早く済ませて立ち去るも、その後の軍配や知らず。さも当然とばかりの油断が生んだ動揺。心の隙を戒めんとの天啓に違いない、と勝手に解釈して参拝を終えた。

んな時くらいしか顔出さぬ粗相を詫びるも大変喜んで下さって、御礼にと野菜を下さることが少なくなく。この正月も地元野菜をふんだんに盛り込んだ雑煮を食した。師走の白昼堂々、両手に野菜を携えて歩くスーツ姿は私以外になく。これがほんと目立つんだよナ。

軽トラの荷台には山積みの野菜、収穫を終えた帰り道と思しきMさんが車を止めて声をかけて下さり。自宅に戻ると聞いて、しばし後に訪ねれど、「まだ帰っておらぬ」と留守役。「はて、すぐそこでお会いしたはずも。ならば御近所の挨拶を先に済ませて」、と再び寄らばこんどはちゃんと。

聞かば折角の客に品不足では申し訳なく、別な畑で大根五本ほどを収穫して、と。もう結構な年齢のはずも御元気だよな。そう、人通り多き御自宅前の直売には客多く。長居は無用、野菜を購入するが何よりもの挨拶。小松菜三束と財布を取りださんとするに代金は要らぬと相手。それでは何しに来たのか分からぬ。物乞いじゃあるまいに。

「払う」「要らぬ」の寸劇はそこに限らず。こちとて、その収穫までの手間に苦労を鑑みれば百円すら格安な訳で、採れたて新鮮、尚且つ、地元産とくればタダなどあり得ぬ、と押せど退かぬ相手。ならばこちらが、と退くに退けぬは他客の目。

おらが有権者とあらば万が一にも「ズルい」などとの陳腐な嫉妬心は抱かぬはずもこちとて善意に甘えてばかりでは示しが付かぬ。「ならば仕事で返すゆえ」と御礼述べれば周囲にウケて。隣近所が疎遠になりがちなこの御時世において一服の清涼というか、単なる売買に留まらずそこに生まれる交流こそ地元の宝にあるまいかと。寸劇でよければいつでも。

よもや寸劇の波及効果にあるまいはずも年末の陳情多く、目下、その処理に追われており。

久々、と申しても既に一年以上、前回など思い出せぬ。「フル」を走る予定にて元旦から多摩川沿いに市役所まで。最大の難敵は練習不足ならぬ食の誘惑。年末にS君が誘ってくれて訪ねた地元の店「土と青」が旨かった。日本酒の品ぞろえが充実しており。〆に選んだ熱燗なんぞはまた格別で。

(令和4年1月6日/2686回)