増築

必要に迫られて、というよりも純粋な学問的探求心にて読んだ経済本に温暖化を巡る一話があって、実体なき排出権は投機に付け入る隙を与えかねず、と見かけた。急増に対応するに従事者が足りぬ、と申しても「かもしれぬ」容疑の段階で身柄を拘束することが事態に拍車をかけているとすれば何とも。広がる妄想、人工的に作り上げられた可能性は無限に広がり。容疑者の身辺まで容疑者にされかねぬ勢いか。

止まらぬ拡大。一回に効果薄く、二回でほぼ完璧。と吹聴された接種の効果やいかに。重症化せぬはその効能、などと語られるも、ならば、日に十人の重症者やいづれも非接種かと見れば、んなことはなく。そもそもに「貰わぬ」とのふれこみになかったか。感染率を問われて症状を答えるに詭弁というか、論理のすり替えってもんで。接種や接種証明の義務化が招く他国の騒動を見るに日本って平和だな、と。

さて、こちらは逆に探究心ならず必要性に迫られて、ということらしく。浮上する地元小学校の増築計画に近隣から「待った」の声。昨今なんぞは何でもが権利に結びつく時代だから。が、声の主はそこに居を構えて数十年、御令嬢とてそちらの卒業生であるし、歴代の校長とも親しく、学校のよき理解者だったはずも。

さすがに隣接する敷地に新たな校舎が建設されれば無傷とはいかぬ。が、そこは子供たちの為に。いや、かつては日々の挨拶と会話の中に相互理解が図られたはずも今や互いに顔も知らず。それでいて、何の前触れもなく郵便受けに投函された計画書を見れば。この状況下にあって説明会は困難との事情こそ察すれど内容が内容だけに。ただでさえ疎遠になりつつある関係に追い討ちかけし疫病の余波。

生徒数の急増なる不可抗力であればまだしも然して変わらぬ生徒数に増築する理由やいかに。少人数学級の推進、つまりは一学級あたりの人数を見直すことに伴い、生じる不足教室ということらしく。いや、教師の負担軽減にきめ細かい指導云々との狙いは分からんでもないが、進む少子化に私学への流出が顕著な学区にあって「増築」してまでとなると。仮に今は必要だとしても十年後にはどうか。ちゃんと将来的な生徒数の予測など行われているのか。過渡期だけならば既存教室の暫定的な活用や簡易校舎なる選択肢とて。どこぞの教室なんぞは、と具体的な教室名まで。さすがに詳しいじゃん。

そう、当初は急な変化に情緒が不安定になりがちな低学年向けに少人数学級が推進されてきたはずも徐々に対象学年を拡大しつつあるらしく。教師の確保ばかりか「増築」に生ぜし費用は安からず。生徒数の減少に閉校、いや、空き教室となりはせぬかとの懸念。まぁその時は「超」少人数学級にでも。一学級の適正な人数に正解なく、生まれる拡大解釈。増築の前にまずは教育の本分と向き合ってみてはどうか。

(令和4年1月16日/2688回)