終電

終章にあって周囲に伝わるは候補者の気迫のみならず。注がれる視線、候補の隣りにて白い歯を見せるなど絶対にあってはならず。求められし応援の弁、脇役ながらもそれこそが気合いの証、演説を終えて手をギュッと握るに関節がポキ。んなヤワなことだから。

都市部において当選に欠かせぬ駅頭。陣取り合戦は戦国の世のみに限らず、相手に先んじねば、が繰り返されて。早朝どころか前夜から、徹夜なんてのは生産性を伴わず。陣営間の調整を図りて和議を結ぶに双方の戦力が温存されたとか。

が、最終日ともなれば話は別。もはや後なく、そこに倒れ尽きても本望とばかり。因縁の三候補が並び立つこと終電まで。そこに選挙の順位を決せん、などと根性試しが如くの意地は即刻捨て去るべし。無意味とは言わぬ。が、んなことに体力を浪費する位ならば昼間の演説に心血を注ぐとか、もそっと他に。

いつぞやの衆院選。当時の県連会長や言わずと知れたその人にて。中盤戦にあって激励とは名ばかり、言い渡されるは終電までの駅頭。そこまでやらねば必死さが伝わらぬ「たとえ話」と解釈してか、終電を待たずして撤収せんとする候補にその人からの着信。よもや尾行、背後見れどもそれらしき気配なく、どこに監視の目が。そりゃ身内しか。

敗軍の将、兵を語らず、も演説の中身とあらば話は別。最後の訴えを聞くに。科学技術立国を目指す、までは結構。少子化にあっても科学の発展が暮らしを豊かに。その先には人が仕事をせずとも暮らせる社会を、との訴え聞くに。

ちょっと待て、そりゃ違うぞ。いかに科学が進歩しようとも人は働かねばならぬ。それは個々の価値観といわれればそうやもしれぬ。が、「働かずとも」なんてのは為政者が口にすべき価値観に非ず。何もせずに収入得られるのであれば仕事など、と見る向きもあろうが、その根底には「労働は悪」との概念がチラつく訳で。

そう、何も相談受けるは「外」に限らず。終身雇用に年功序列が保証された公務員の世界においても近年は中途退職が目立つとか。その理由や、ほぼ例外なく「一身上の都合」とされど、老いし親の介護とかやむにやまれぬ事情もある一方、職場の空気感が、仕事への意欲が、なんてのも。

残るべきか去るべきか、それも定年まであと一年とあらば何ら迷う必要があろうか、と部外者は思えども。悩む判断に一枚絡むは退職金。残り一年にあって既に天井。むしろ早期退職には上乗せが。ならばいっそ、というのが当人の言い分も聞くに聞けぬ上乗せ額。センセイ経由ならば人事課に、と。

そもそもに、この御時世にあってその年齢でそれだけの給与で雇ってくれるところなど。就職先なくば自宅にこもるがオチにて、こもらば老けこむは明白。すべからく定年まで、いや、付与されし延長の権利も最大限に行使すべき。定年なき農家を見てみよ。古希過ぎての若さが違う。日々畑と向き合う中に小松菜と大根を間違えることなど。いや、あるかも。

何も現役並みとは言わぬ。が、仕事があるというのは金銭に代えがたい不変の価値がありはせぬか。

(令和6年10月30日/2886回)