年女
適齢期を逸す、というよりもその容貌にして相手など、と互いに。そんな二人が。晩婚も晩婚にして子まで授かり。五十二歳にして父親になりし感慨。
が、戦乱の世にあって出陣の命あらば。武士の宿命、と今生の別れを告げる主人公に寄り添う妻の腹には二人目が。子の心中を察してか散歩に連れ出す父。夕日を背に丘の上に並んで座る二人。六十二歳の父親が七歳の息子に語り聞かせる話や。
人には寿命というものがあって、たとえ戦ならずともいつかは必ず迎える死には順番あり、年寄りが先。されど、死ぬに必ず新たな命が、ゆえに死を怖れ悲しむことはない、と。父の名や山本勘助。支援者から借りた軍配者シリーズ三巻を正月に。富樫倫太郎著。
「負け犬の遠吠え」以来、贔屓の作家の最新刊の話題で盛り上がる二人。一人が私ならばもう一人は。共産党のK市議、勿論、異性であり。何も対立だけが政治にあらず。
そう、「六十年に一度の特殊な年がやってくる、ゆえに還暦、ということで興奮を禁じ得ない」との一文にはじまり。必ずや災いを為す、との迷信が浸透してか、当年のみが異例の減少、その幅、四割。産む産まぬの選択権は当人ならぬ親にあり。そこを押し通した親の性格を受け継いでかキャラ立ちし年女少なからず。何も悪女ばかりにあるまいと。
迎えた今年。昨今の少子化に生まれ年を選べるほど云々と働く推理が抱腹。「日本で初めて女性の首相が就任した秋に」との結び、酒井順子著「丙午に生まれて」。
作られし世論はそこのみにあらず。政権の支持率が政党の支持率に結び付かぬはつまりはそういうこと、と。都合よき一事に焦点を当てて針小棒大に。選挙に大衆扇動、いわゆるプロパガンダは欠かせず。追い風吹かずとも吹いているようにさえ見せれば。そんな風潮も選挙終わればどこへやら。気づいた時には既に雌雄を決した後にて。
裏切らぬはこちら。やればやるほどに知的好奇心をそそられるばかりか、どこかしらに必ず生じる「狂い」に自らの非力さを諭され。何せ全てが自己責任にして他人のせいには出来ぬ。まさに政治家が陥りがちな慢心を戒めるにこれほどの有効な手立てがあろうか。
ばかりか、ホールインワン然り、エイジシュート然り、祝福に包まれる中にあって、当事者が自らの身銭を切って周囲に謝意を示すのが常識。それこそが美学と。本来は祝ってもらうはずの本人が逆に相手を称えるなんてゴルフ位でしょうに。
そう、衆院選。政治家ゆえに人前は得意のはず、なんてのは素人の勝手な思い込み。演説どころか紹介すらいらぬ、黒子で結構、と固辞すれども促される登壇。何せ待ちわびる聴衆の前での押し問答はレジ前の勘定に同じ。
他人様の成功を妬む世の中ではならぬ、他人様のつまづきを喜ぶ社会ではならぬ、出る杭を打つ国ではならぬ、と演説を締めくくるに。ウケたか否かは聞く人のみぞ知るところであり。
(令和8年1月30日/2975回)
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