人財

正月にはベートーヴェンの交響曲よりも軽妙なワルツが。ニューイヤーコンサートの舞台、楽友協会と双璧なす国立歌劇場の階段上にその人の肖像画があって。演奏会にてマーラーの交響曲第1番を聴いた。

過去に本市が誇る音楽ホールのこけら落としを巡る論争あり。物言い付けるは今は亡きKセンセイ。それも本会議の場で。8番とて名作には違いないが、こけら落としには似つかわぬ、再考の上、別な作品を、と。当時のイチオシがこちらであり。演奏後に隣の女性が一言、「Kセンセイに納得」と。

女子ロッカーとゴルフ理論は覗かぬに限る、とはよく言ったもので、やればやるほどに。迷える子羊が如く。相手が熟練とあらば上達に大いなる時間の節約が図られ。持つべきはよき友と。それとて彼のようにはいかぬ。理屈は分かっても動かぬ身体。それこそが運動神経というかセンス、などと言われるは屈辱なれど、彼とてまたその域において同様の悩みを。

同じ家庭に生まれ、歴が長い自分よりも何故に弟のほうが。かつて御父君に、と邂逅を得し一人の人物。知る人ぞ知るレジェンドだそうで。おぬしもぜひ一度と、というあたりさすが親友、相棒であり。委員会の終了後、夜のレッスンに車を走らせ。幼少から英才教育のプロが多数占める中、キャディ上がりの苦労人であるがゆえに。なぜ、こんな簡単なことすら。天才には分からぬ相手の悩みも。閑話休題。

役所にあって漢字を間違えるなんぞ、とこぼすに、「よく読め」と隣の団長。人は石垣、人は城。組織に欠かせぬは人材。が、その名称には人「財」とあり。委員会にて報告を受けるは育成計画。むろん、主は人事部であり。どこの企業おいても必ず目の敵にされるは宿命にて本市もまた。現場が見えておらぬ、具体性に欠ける云々との苦言は予想されたことなれど、人の育成に解一つならず、ならばおぬしが、とは内心。

そう、文章とてソツなくまとめてあって、そこに目新しさなど求めぬまでも字数が多き理由や。「やってる感」を演出する為にあるまいか、なんて。A4用紙一枚で十分、字数よりも内容だ、と私なら。若手の離職が絶えぬは魅力なき職場の証、それで人が育つか、現場のヒアリングが足りぬ、との叱責を受けて聴取に血眼上げれども、それこそがまさに疲弊の原因だったりも。

サボっているに違いない、と営業の動向をGPSで監視した企業の業績が伸びぬに同じ。管理職が部下の監視に心血を注ぐならば他にもっとやるべきことが。そう、万事において介入し過ぎ。介入するは相手を信用していないってことで。「ほう・れん・そう」が重要、などといちいち報告を求められるも、それは当人が自らの立場を擁護する為、上司に媚び売る材料であったり。そんな組織の業績が上向くはずなく。ゆえに必要なことは。

計画の字数然り、見てて無駄多く。悲しいかな、それも自ら勝手に作り出して。いや、市議からの注文こそが助長しとるという現実に気づかねば。

法三章なる言葉の意味をいま一度。

(令和8年2月10日/2977回)