写譜
気になりし若者の動向。キャンパス内の御三家や「免許」「ジム」「麻雀」だそうで。青春の謳歌こそ学生の特権と知るも卒業に欠かせぬは単位の取得であり。話聞かずともせめてノート位は。書かずと借りる、いや、借りるどころか、今やスマホでパチリ、と。
「写譜して各自練習せよ」と楽譜を投げ置き、教室を去るはままならぬ体調ゆえ。生まれながらの難病は与えられし試練、生きながらえるならば神に仕えよ、との親の言に従いて孤児院の音楽教師として四十年。「極貧のまま生涯を終えた」と最後の字幕に。
何故にそれだけの人物が生涯を「極貧」であらねばならなかったのか。副題はプリマヴェーラ。そう、それこそが彼の代名詞でもあり。映画「ヴィヴァルディと私」。
足りぬ人手、と聞いてかけつける、そこには純粋な善意以外の打算とて。いや、確かに原稿は犠牲になったやもしれぬが、恩着せるほどのものでもなく。ただ、手を貸す程度の軽い気分で。つまりは非正規、いや、無償ボランティア、のはずが、要求される水準や正社員並み。
隣の木と枝重なるに別な品種を摘んで叱られ、枝にとりこぼして叱られ、脚立から落ちそうになる市議よりも一粒の梅を心配され。かくも不条理なのが世の中というもの。されど、不条理を抱えるはそちらも同じ。
収穫を待ってくれぬ梅。散乱する惨状に、ならば拾えばいいではないか、と思うは未熟。実は繊細にしてヒビあらば商品にならず。転がるに品種入り交りて判別に手間を要すはかえって。風雨を恨むはゴルフに限らず。スコアは取り返せるも落ちた梅は枝に戻らず。大自然とて非情にて。
そう、職場の歓迎会にて緊張の新人に酌に歩くもグラスに手でふた、と聞くに。酒席とあらば議員に一日の長。
目上に酌こそが礼儀と教われども通夜振る舞いとあらば回るに回れぬ。いかんせん、御遺族が提供する酒であり、他人様の酒で酌して回るは無神経、などと評価を落としかねず。さりとて、行かねば行かぬで、彼は酌にも来なんだ、なんて吹聴されたりもして。つまるところ、とっとと帰るが賢明か。
んな誰それが酌に来て誰が来なかったなどと、んなことに神経を尖らせて旨い酒が呑めるか。そもそもに酌は相手に近づく手段となり得るはずも、酌こそ礼儀、が優先されるあまり。
そう、今や下が上を評価する時代。上には服従、下は奴隷、なんて管理職がいないとも限らず。んなヤツに出世されてはかなわぬ。正当な人事評価を、なんて声に押されて。下からの評価といえば聞こえはいいやもしれぬ。が、下が上を評価するにヘンな力学が働きはせぬか。
部下に媚びる上司なんぞ組織としてどうか。やはり、不条理の中に身を置いてこそ育まれるが真の親切心ではないか、なんて。
(令和8年6月5日/2999回)
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