十年

ロングの部90km累積標高5,285mは生きて帰れず。ミドル38km同2,571mならば。

久々のトレイルの舞台は中央アルプス。フルマラソンでは味わえぬ充足感を得るに目指すはウルトラマラソンかトレイルか。いづれにせよ、もはやこの年齢にもなれば順位タイムなど二の次。まずはスタート地点に立てたことへの感謝。次なるはバテずにゴールまで。願わくば制限時間以内に。

距離こそあれども道は平坦にて歩み止まらぬばかりか、エイドあらずとコンビニあり。ゆるく長くのウルトラに対してトレイルに問われるは瞬発力。何せ足場が平坦にあらず、常にバランスをとる為に。前後左右のみならず上下とて。

重力に抗って押し上げる、逆に、身を任せて加速する体重にブレーキをかける動作にどれほどのエネルギーを要するか。オジサンには不向きな種目と知るも自然の中に身を置くに学ぶこと少なからず。深き山中にあって生存に欠かせぬは一枚の毛布であり、一杯の水。一万円札なんぞ紙屑に同じ。

さて、本題。その肩書に抱く印象や人それぞれ。実直かつ温厚な社福の理事長から相談が寄せられ。有する特養にて空調が風前の灯火。居住者が高齢者とあらば死活問題になりかねず、ましてや、規模が規模なだけに修繕に要する費用は億を下らず。

せめて、制度に定められし半額だけでも、と市に伺い立てるに。支給まで最低でも五年、と。理由や予算枠ならず。支給の条件や十年に一度。当該施設や数年前に水回りにて実績あるゆえ満期後に。何せ要綱に「そう書いてある」以上、逸脱は出来ぬ、というのが役所の言い分だそうで。

それはあくまでも特段の措置であり、軽微な修繕ならば勿論自腹。大規模とて数年前と同じ箇所ならば、さもありなん、と諦めつきそうなものなれど、水回りと空調は全くの別物。ばかりか、齢重ねるに故障増えるはヒトの営みに同じ。五十年前の施設と十年前に作った施設を同列に論ずるは。問われる十年一度の意味。

いや、無制限、青天井とあらばここぞとばかりにヘンな力学が働かないとも限らず。公金を投入する以上は当事者の自己負担や上限はあって然るべき。申請の乱発への懸念、予算の都合から制約を課さんとした役所側の事情は分からんでもない。が、十年に一度、と申しても、その一度きりしかないとあらば、「どうせなら」なんて心理が働かぬとも限らず。

逆に、公金を投入いただく以上は必要最低限に、との施設側の善意が裏目に出かねぬ制度設計。それこそが寿命といわれる寸前まで、いや、寿命尽きるに「よくぞそこまで」と過去に遡及して助成するが理想と知るべし。

要綱に照らして可否、待ち年数を告げるだけならば当人にあらずとも。施設側の切実な悩みに寄り添い、運用後、実態に即して見直しを図っていくことこそ役人の本分にあるまいか。

担当との面談を終えし理事長。難色を示されるも多少の「含み」ありそう、と聞いて。

(令和8年7月10日/3006回)