3回

拙宅には録画機能付きのDVDなる文明の利器がない。というのも買えぬ訳ではなく、テレビを見ない、いや、もっと正確に言えば私自身が家に居ないというのが正しい表現であって必要性が薄い、というか、「ない」。
NHKのロイヤルアカデミー音楽白熱教室が気になって久々に早めの帰宅となった。全4回のシリーズの初回はバッハ、そうあの荘厳なバロック音楽の大家であって、音楽と社会の関わりについての考察が興味深い。かの天才アインシュタイン、死して悔やまれるはモーツァルトの音楽が聴けぬことだと言ったとか。
少し前に東京フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会でグスタフ・マーラーの交響曲第5番を聴いた。ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」に使われたこの名曲は過去に何度か聴いたことがあるんだけど、マーラーの交響曲はどことなく哲学的で難解に思えてならん。その「ラーメンの」味を知るには最低3回食べるべしとはAセンセイの口癖だが、まさに至言で改めて名曲だナと。それにしてもラーメンならぬ予算書は3回読むべし位にならんか。
合唱付きの交響曲で有名なのはベートーヴェンの第九だが、千人の交響曲と呼ばれるマーラーの交響曲第8番。本市が誇るミューザ川崎シンフォニーホールのこけらおとしの曲なんだけど今回はマーラー祝祭オーケストラによる特別演奏会を聴いた。演奏時間1時間40分はさすがに...。それを我慢するからクラシック嫌いになるんであって、うとうととすれば隣のMセンセイの肘がコツンと。
作曲家にとって聴覚は命。ハイリゲンシュタットの遺書によれば難聴に悩むベートーヴェンに自殺を思い留まらせたのはひとえに「芸術」であり、自らに課せられた天命を全うするまでは死ぬ訳にはいかぬと生きる意義が綴られていて、それがあのダダダダーンの交響曲第5番「運命」に繋がる。この齢になるとつくづく受験時に重要視されない科目、いわゆる「音楽」「体育」「美術」ってのが人生を豊かにする上でも大事なんだナと気付かされる。どれだけ偏差値が高くてもそれらと無縁の生活ではもの寂しい。人生を愉しむにはどれか一つで十分なんだけど私などは欲張りな性分だから...。
年末の「フル」に向けての調整、レース後は忘年会に新年会と酒席が続くからこの頃はちょうど腹のでっぱりが目立つ頃なんだけど今年は何故か走る機会が続いて体重は「平時並み」を維持している。この前なんかは今年で31回目を迎える岡上子ども会主催のちびっこマラソン大会にて3・4年生と一緒に走った。たかだか3キロ程度では物足りぬと翌日は片平川沿道のスポーツ・健康ロードを柿生駅から走り始めて栗平駅までの往復5キロ。それでも余力十分にて「まだまだ」と新百合に、「どうせなら」と百合ヶ丘駅まで走破した。