虚栄心

陳情にて世話になった現場の課長が定年後の再雇用でどこぞにいるとかで「隣区の」Oさんから御礼を頼まれた。ものの「ついで」に立ち寄れば当事者はあいにく不在だったものの、見慣れた顔があって「センセイ、久々」とこちらも再雇用組。こんちくしょう!現役時代はよくもイジメてくれたナと退職後に仕返しを受けるようでは情けない。どこで繋がっているか分からんから媚びる必要はないけど他人様にはすべからく親切にすべし。
そんなOBとて退職すれば一市民となる訳でそちらから陳情が寄せられることもあるんだけど、古巣の都合位は分かってくれるはず...との淡い期待とは裏腹に手に負えぬこともあるから十分に御注意を、と当時のN課長が教えてくれた。あっ、ほんとだ。
世の中にそんな思い違いというのは少なくない。知られているのは「名選手は名監督ならず」なんだけど、そんな立派な家庭の御子息に限っての「立派」に意外と含まれるのが...。教師と生徒の関係と親子関係は似て非なるもの。どんなに冴えぬ父親でもせがれがしっかりしているかと思えば、容疑者の父親が社会的な地位が高いとされている方だったりと。そこに教育の意義と教育では担いきれぬ親子関係の重要性がある訳でかくも奥が深さが世の妙味。
コワい父親との思い出が綴られたエッセイ、阿川佐和子さんの「強父論」を読んだ。著者によれば目次の小見出しは全て父の台詞だそうで、その冒頭が「一に妻子を養う為、二に些かの虚栄心の為」と。御存知の通り父君は有名な文筆家なのだが、あんなコワい父親が仕事を続けた理由がソレだったと気づかされる著者。
ここ何年か、といっても今年が2年目なのだが、同部屋のセンセイ数名と家族ぐるみのキャンプを開催していて。ただでさえひとクセもふたクセもある連中なのだから仕事以外は距離を置いていたほうが利口だと思うのだが、どうやら言いだしっぺは私らしく、家族との夏休みを聞かれた私が言葉に詰まったことが事の発端だとか。
と、折角の機会にも関わらず肝心の妻は不参加。本人の名誉の為に申し上げれば決して付き合いが苦手という訳ではなく一挙手一投足どころか箸の上下までアレコレと口を挟むから不在のほうがやりやすかろうという気遣いだとか。ということでウチだけ父子(それも疎遠な)親子での参加にて炊事、その他諸々は他のセンセイの奥様方の世話になるんだけどせめてもの償いにおらがセンセイの御自宅でかすめた、いや、いただいたシャンパンを持参して...。
そんな慣れぬことをするもんだからまいど荒れ模様の天気。数日前には晴れの予報だったんだけど...。さりとて、悪運も備えた連中だから何故か「そのとき」だけは不思議と雨が止むんだよナ。今年の目的地は長瀞、「ながとろ」って読むんだけど埼玉県の秩父の麓。さんずいを含む「瀞」ってのはなだらかな水辺で地名が如く「瀞」が長く続く景勝地。