下積み

元来、講演を聴くのが好きなんだけど、それは著名人に限った話ではなく...。誰しもがその人なりの経験に人生観がある訳でその中に学ぶことは少なくない。それがリップサービスならぬ偶然の産物とあっては喜びもひとしおにて居合わせた私が聞き役となった。
防犯関係の会合にて講師は上役の警察官。本題の前にまずは自らの経歴というかそれまでの歩み、生まれはどこそこで採用後の配属は云々と続く途中におらが駅前の派出所が登場すれば親近感を覚えるもので余計に耳を立てて聞き入れば、当時、近所のスーパーの従業員がバナナを差し入れてくれて。確か...T山さんなる人物でひとかたならぬ世話になったとか。
そりゃTさんの殊勲賞というか機転に負う面が大なれどそんな当人を育てた社風というか子をほめられる親のようなものらしく。そう、当時の社長が饒舌の主で「やはり他人様には親切にしておくもんだナ」とおらがセンセイ。もう二十年以上も前の話なんだけど、振り返ってみればそんな下積み時代のほうが人の機微に敏感で同じ親切であっても身に沁みるもの。
タイトルが興味を惹いて「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」(文春新書)を読んだ。京都産業大学創立五十年の記念企画の講演及び対談を収録したものだそうで、コーディネーター役は永田和宏さん。当人は京都大学の御卒業で、当時はかの湯川秀樹先生の講義を受けたくて必死に勉強されたそうだけど、今や偏差値で志望校を選ぶ時代だけに若者に一歩踏み出す機会をと考案された企画だとか。今にして思えば「(先生の講義の)内容はほぼ忘れ、それが何かの役に立ったものではなかった」とハッキリ述べておられるが、その事実が自信というか財産になっているのだそうで。
かつて、経営破綻から再生を果たしたハウステンボスを訪ねた際に貴賓室らしき部屋に通されて社長自らが挨拶に。んな立派な御仁が突然来られても話題の用意なく、全くの思いつきで当市自慢の音楽ホールの話をすればなんと社長自らがフランチャイズオケである東京交響楽団の理事長だった訳で一同爆笑のとんだ失態を演じてしまったんだけどそんな話のほうが記憶に残る訳で...。
そうそう、著書の登場人物はiPSの山中伸弥氏、棋士の羽生善治氏、映画監督の是枝裕和氏と続くんだけど、そんな高名な方々の若かりし頃の体験談は興味津々。中でも是枝監督などは「なぜ撮るのか」という根源的な葛藤に悩んだ時代が過去にあって、やがて「全然見ていなかった」ことに気付く。それまでは見えていると思っていたものが、実際は見えていなくて、レンズを通して初めてそれを意識出来るようになったと。
自らの先入観が崩れた時にこそ快感があって、それは短歌や俳句も同じ。日々見慣れたものの中でも時に新たな発見があるもので、それは意識して見ていなければ生まれぬもの。そんな方向に話が向くんだけど、永田和宏さんは京大名誉教授の肩書とともに宮中歌会始選者でもあるのだそうで。皇室は短歌ゆえにそちらが上流階級、俳句は庶民の娯楽との偏見未だ残るもそれは余談として、今月も俳句教室が迫ってきた。兼題は「寒雀」と「冬の蝶」にて新たな発見を探している。
(平成29年2月23日/2328回)