顕微鏡

壇上にズラりと並ぶ来賓席。約二千人の保護者が出席するとあって大人数で押し寄せるもんだから紹介が大変。さすがに市長、議長は別格なれどいつもの順序で名を呼ばれるもんだから国会のセンセイなどはエラく見える訳でその優越感が勘違いの元凶だったりも。
が、その後に続く市議会とて60名もいる訳で全員は出席せぬにせよ半数は下らず。川崎区から始まって徐々に北上して最後に辺境の麻生区に到達する上にこちとら五十音順の「や」行ゆえ冷やかな視線の中...。川崎市幼稚園父母の会連合会の総会を終えた。
子は親の鏡。この夏に郷里に帰省した際に「孫より息子だ」と言葉を浴びせられたと帰りの車内で妻に聞いた。世渡り下手の子煩悩な母親ゆえ、親の心、子知らず、いや、逆なんだけど嫁とてそんな言動にいちいち目くじらを立てては寿命が縮むと慣れたもので...。
うちなんかはマスコミどころかマス「ゴミ」なんて呼ばれていましてね、ゴミ扱いですよと語る記者に「大変ですね」と同情を見せれば不意をつかれて「この報告書はコピペでしょ?」と。「い、いや...」と言葉が詰まる隙を見逃さず、「先生のような議員には活躍してもらいたいので」なんて手口に籠絡されて悪名が全国に知れ渡ったのは去年の話。
O記者といえばそちらの専門なんだけど、あれから一年、久々に昇降機の前で目が合って、「おっ、どうも」と声をかけたんだけれども足早に向こうのほうに姿を消した。「そういえば...」なんてこちらに来られても決して気分のいいものではないけれども叱られた教師ほど懐かしく思われるのと同様に不思議と親近感を抱いてしまうもので、「おい、たまには...」。いや、やめておこう。
ということで、ゴミの集積所にまつわる話を一つ。田畑の残る牧歌的なおらが村も昨今の都市化の波には勝てず。開発区域内に占有地を設ける責務があって、それを近隣に知らせた上で調整を図らねば許可は下りぬ仕組みもそんな汚れ役は誰かが負わねば世の中は回らぬ。
当該区域の中心から円を描けば蔵しかかからぬと大御所。そりゃ門から玄関まで遠い立派な御屋敷ってことで身勝手な御時世を憂慮しつつも甘んじて背負ってくれるものと思いきや。母屋は円外にて図面が届いていないことを期待したらしいんだけど、相手方にはちゃんと履歴が残っていて。
再び向き合った図面には場所が指定されているものの、その小さな文字は顕微鏡で見ねば分からんよナと同意を求められて...。それだけであればまだしも併せて進む裏の開発、それは自らの土地なんだけど集積所が勝手口の前になってしまった、というかならざるを得ない状況に悩みあぐねる大御所。
それにしても大御所の悩みとしては些か小さすぎやしまいかと情報網を巡らせれば知らぬ間に事が進んだ事情が身内にバレてしまったことが言葉少なめの理由らしく。ねずみはねこが怖く、ねこは犬が怖い。その犬は飼い主が怖いが、飼い主は家の壁をかじるネズミが怖かったなんて話があったけれども大御所も意外なところに...。
が、そんな時こそ日頃の恩に報いねばと秘策を講じて。
(平成29年9月11日/2377回)