寒鰤
ちょうどこの頃に雨降らずとも沖合で雷鳴というか地鳴りというかゴロゴロと空が鳴る自然現象は幼少の記憶にあって、それを「ぶりおこし」というのだと最近知った。魚ヘンに師で「ぶり」なんだけど、寝ている鰤を起こすとは何とも粋な表現ではないかと。
そう、全て抱え込むから身動きがとれんのであってなるべく身軽で...というか実際はその位しか役に立たぬらしく、夜は退屈させぬから昼の仕事「だけ」は抜かりなく吟味を重ねた上で価値ある内容で頼むと期浅に指示しておいたのだけれども北陸路の行政視察を終えた。
あれから一年、母方の郷里近く、糸魚川の火災復興の現状「も」...と余計な提案をしてみたものの、新幹線の特急券は途中下車無効だそうでそちらは叶わず。金沢市は景観の街並みに新交通システム、福井市は多世代同居世帯への支援にて机上に置かれた報告書にも目を通したんだけど、私「以外の」目的意識高く、稀に見る有意義な機会となった。ほんとの話。
さて、偲ぶ会を催す位だからその関係が窺い知れるんだけど主催者から挨拶を、と依頼されて随分悩んだ。とうに七七日も終えていつまでも悲しみに暮れるのは故人の本意ではなさそうであるし、さりとて逆も過ぎれば却って顰蹙。思い出話を、との妻の助言に従った。で、会費は要らぬと拒まれて、そりゃさすがに申し訳ないと翌日に御自宅を訪ねれば種蒔きに出かけたと聞いて「惜別の区切り付けたる種を蒔き」と一句。
「種蒔き」は春の季語ながら何も種を蒔くのは春だけではないし、他に適切な表現が見当たらず「あえて」そうしたのだけれども「種蒔き」が「冬菜」に訂正されて、「惜別の区切り付けたる冬菜かな」と。う~ん、やはり詠みたいのは「種蒔き」なんだよナと異論を唱えてみたり。そんな赤ペンを含む今月の句会の採点が届いた。
兼題は「暖房」と「時雨」。前者などは寒さから解放された安堵感などが詠まれたりもするんだけど今回の投句の中に「若人のスマホ操作や暖房車」と見かけた。カタカナは使わぬ主義なのだけれども何とも上手く詠み含めたもので。同じY子さんの句に「しぐるるや具をたっぷりの野菜汁」なんてのもあって自ら句を詠むことも大事だけれども他人様の句に触れることで気づかされることも少なくない。
さて、各自に割り振った原稿が出そろい団会議における読み合わせを終えた。独特の言い回しや文章に特徴があるからおよそ誰の原稿かは推測出来てしまうんだけれどもそのへんは蛇の道は蛇にて手抜き度合いは一目瞭然。で、いかに手を入れるかが。「てにをは」位であれば何ら支障はないんだけれども示された計画そのものの回答を求めてはしたやったりの相手。
かくいう私も過去に苦い経験があって、今でもそんな稚拙な文章ではなかったはずと信じて疑わないんだけど、当時の団長Nセンセイ、原稿の具合を心配してやって来たもんだから親切心に原稿を手渡せば暫し後に朱色一面の用紙が戻ってきた。黒朱が交錯した上に解読不能な達筆を自ら必死に打ち直して提出したんだけど、私の聞きたかった項目などは一切含まれておらず、手直しというよりも...。
が、そのほうが不思議と記憶に残るもので。正副団長に一任されたもんだから作成者に気遣い無用と指示してみたものの、「相手の意を汲んだ上」と付けるべきだったか。
(平成29年11月30日/2396回)
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