神風

何せオタクなもんだから今日もまずはそちらから。
「蒼天已死」(そうてんすでにしす)と蜂起を呼びかけた黄巾の乱は後漢末期。そこから晋王朝の建国迄がいわゆる三国志の舞台なのだけれども当時を描いた超大作の題名「レッドクリフ」にその戦いの意義が窺い知れる、赤壁の戦い。
「関羽、張飛ら一騎当千の猛将は手中なれど、軍師不在が不遇の元凶、臥龍か鳳雛かいづれかを得れば天下を獲れる」と劉備に説いたのは水鏡先生。三顧の礼を以て迎えた臥龍こと軍師孔明が曹操の野望阻止の為に授けた秘策が天下三分の計。その為にはまずは魏と呉を争わせ、その間隙を縫って蜀を獲る。
呉に迫る脅威に降伏か開戦か、劉備の使者として呉に乗り込んだ孔明の大論陣に開戦を決意する孫権。呉が得意とする水上決戦で挑むにも船団が自由に動かれては効果半減。そんな状況を察して味方を演じて敵陣を訪ねて連環の計を進言したのが鳳雛こと龐統。船同士を鎖で繋げば水上に慣れぬ北国育ちの兵士の船酔いを防げると。
「確かにそれで船酔いは防げるかもしれぬが、敵に火計を用いられてはひとたまりもない」と懸念を示す臣下に曹操が返した言葉は「風向が逆にて心配無用」。対する呉陣営、追い風吹かねば火の粉が自陣に及びかねず、逡巡する呉の将軍たちを前に孔明が口を開いた、「秘伝の術にて風を吹かせてみせましょう」。
祭壇で祈ること数日、突如風向きが変わり、乗じて攻め込んだ呉の大勝利に終わるのだけれども、決戦前夜にあって呉の冷徹な軍師周喩が囁く、「孔明とは神か悪魔か、生かしておく訳には参らぬ」と向けられる追手。種を明かせば、そりゃ秘術でも何でもなく、森羅万象に精通する孔明がその季節においても数日間だけは東南の風が吹くことを知っていただけの話。所詮はまじないや神仏の御加護なんてのは...。
そう、ついこないだ、同い年の数名を誘って酒席を催したのだけれども、その際に年回り上、今年が凶年と聞いた。「厄年は数年前のはずだが...」と聞き返せば厄年後の凶年ってのがあってそれが今年なのだとか。昨年とんだ災難に遭われた当人の誕生月は一月にて節分迄は前年と解釈すれば図星とかで貴殿も御注意あれと教えてくれた。
厄払いなんてのも誠に都合のいいものであって不幸があればあったで(厄払いを)せぬからだと言われ、されど厄払いをしたからとて不幸が無いとは限らず。凶年を知れば知ったで多少なりとも軽率な行動は慎みそうなもんだけど、知らぬが仏なんて格言もある訳で。めでたさこそが自慢の種にて然したる悩みも不安も無いのだけれども相手も「善意で」教えてくれた以上は無視する訳にも参らず。
大安とはいわぬまでも仏滅はよけて参拝に訪れれば平日にも関わらず少なからぬ御祈祷の方々。神官の奏上文に知る他人様の苦悩の数々。私なんぞはそれだけで十分なのだけれども手渡される御神札と御守。粗末に出来ぬゆえ自宅の棚上に祀れば並ぶ御神札に聞こえる妻の小言。
そうそう、かねてより御当地出身の知人に話を聞いていたんだけど、折角の機会とばかりに帰路に寄った稲村ケ崎のイタメシが旨かったナ。
(平成30年4月20日/2424回)