令和

汗はかけども手柄は他人。脚本の労は厭わねど舞台を譲りし最古参。引退の花道といえば粋に見えるもこちとら目立つは好かぬ性分に一計を案じただけなのだけれども当日は手元の原稿に予定されておらぬ謝辞が盛り込まれ、台詞そのままに公開された会議録を見つけた。私が提案者を代表して読み上げた陛下御在位三十年の奉祝決議も全会派の賛同集め、平成最後に相応しい定例会では無かったか。
令和奉祝、正確には天皇陛下御即位慶祝の記帳を終えた。本来ならば正装に身を包み、皇居参内するが臣下の礼なれど、陛下御自身も述べられておられたようにあくまでも「象徴」ですし...。休日といえどちゃんと区役所には記帳所が設けられていて守衛の方が丁寧に対応して下さった。元号改正といえば御崩御後の失意の中に迎えた平成の体験に国全体が喪に服すというか万事自粛の風潮に数ヶ月を過ごした記憶しかないのだけれども先代が御健在とあらばやはり祝福の中で連休を謳歌しなければと思うのは私のみではなさそうで、元旦というか年初はどこぞのセンセイからの誘い受けて何とも贅沢な一日を過ごさせていただいた。
さて、十連休。大型連休とは中々時宜に適ったというか、新年度からひと月。小休憩に適した頃合いな上に新緑の季節とあらば永田町のセンセイ方も外遊となるのも頷けなくもなく。されど、旅行とて単身ならまだ「多少は」一考に値するも平日とは比較にならぬ破格の料金体系に家族全員分の負担とあらば手が届かぬ上に何を好んでかあの渋滞はかなわぬ。やはり良心的な料金体系を堅守する鉄道にて近郊の日帰りあたりが適当かと子供に付き合うことになった。
で、向かった先は...市川市東山魁夷記念館。横浜市に生まれ、北欧の大自然に魅せられ、晩年は自然残る長野県の所縁深いは知り得ていたものの市川市とはこれいかに。上野の美術館など混雑でかなわぬ、都心から離れた郊外に建てられた西欧風の瀟洒な建物と作品の数々は春の散歩に最適か。展示された歩みの中に唐招提寺の襖絵が巨匠の作と初めて知った。
唐招提寺といえば開基は唐の高僧、鑑真和尚。当時を描いた井上靖氏の「天平の甍」の描写は秀逸と思うのだけれども遣唐使に託された招聘の要請に立ちはだかる荒海の壁。まさに命がけの決死の渡海を躊躇する弟子たちを前に「誰か行くものはおらぬか」と鑑真が問うこと三度。固唾を呑んで見守る静寂の中に声が響く、「ならば私が行こう」。数度の失敗に視力失うも六度目の挑戦にようやく辿り着いた鑑真の功績は小さくなく。
「文明の衝突」を著したサミュエル・ハンティントン教授の考察に従えば隣国とは文明を異にするわが国において漢籍ならぬ自国の古典からの出典を歓迎しつつも編纂はちょうどその頃だそうで。出典のみに留めおけばいいものを人の口に戸は立てられぬ。知らず聞こえてくるこぼれ話は耳障りのいいものではなく。皇室の弥栄と新たな御代の天下泰平を祈りつつ、大型連休を...それにしても長いナ。
(令和元年5月5日/2497回)