料理
人知及ばぬ大自然。不運にも被害に遭われた自治体への見舞金目的に報酬から基金化を図っているのだけれども昨今は原資が枯渇しかねぬ状況。それだけ多いんだよナ。
市の総合防災訓練を前に議場における避難訓練を終えた。所詮は訓練に過ぎぬとの認識からか緊張感の欠如甚だしいとの副議長の激に改善いかほどか。本会議中における大規模地震の発生を想定した訓練にて意義こそ否定せぬも腑に落ちぬのは...その順番。何を隠そう私の退出が「最後」だそうで。災害時における市の対策会議の本部長が市長ならば私も市議会を包含する別働隊の責任者にて最優先に逃すが理にかなわぬか。まぁ議場席の最前列位は将来の有望株にて大目に見るにせよ、二列目以降などは...。
俊敏性に欠ける連中の退出を待っていたのでは埋もれかねず。別経路にて避難せし理事者側の順番は危機管理監に先導された市長が先頭だったような。災害時の退出順に見る「長」の格差。いや、「長」たるもの最後の一人まで見届けてこそ...んな訳ないナ。議長が欠けては折角の災害本部も機能せんではないかと問えば職務代理者がその職務を代行すると要綱にあるとか。その手順とて議事を一時中断、経路の確認後に職員の誘導に従い避難するというのだけれども指示待つは長く、普段とらぬ姿勢にせっかちな連中とあらば果たしてそこまで冷静に対処出来るか。
訓練後の講評に立つは消防局長。北極圏に生息するセイウチは群れの行動、ホッキョクグマは天敵なれど陸はクマに分があり。追わずともそこに居ることを示すだけで相手が勝手に錯乱状態に陥り、我先に逃げまどう群れの下敷きになりし子供が餌食なる悲劇。理性あるホモサピエンスゆえ「殺到」することないはずだが...とこちらの胸中見透かしたかの如く、厄介な連中を諭すに十分な内容。
閑話休題。来賓として招かれし市の老人福祉大会。町内会の単位ごとに編成される老人会の永年活動の受賞は団体に付与されるものなれど賞状受くるは代表者。団体名を呼ばれるに気付かぬ受賞者少なからず、いぶかしく見ていたのだけれども年齢資格は十分と思しき隣の来賓に個人名を呼ぶべしと言われてはたと気付く。それが老化ってもんで。
こちらの常識通じぬ相手に募る鬱憤、叱責されて贖罪の念に悩むは症状の進行を早まらせかねず。彼らとて故意に間違えるものでなく、不作為の結果なのだからそこは寛容であっても。いつぞやに聞きし料理店の話。働くは認知症の方々ばかり。そこには金銭に換えがたい充実感、生き甲斐がある訳で予め心の用意あらばそんな粗相とて笑って許せるもの。ハンバーグが餃子に、注文をまちがえる料理店は私行かずと大盛況だそうで。
餃子食えずともそんな善意が広く知れ渡る意義小さくなく。立案者曰く、譲れぬ条件二つ。料理店のクオリティ、つまりはオシャレで旨い料理にはこだわった、間違えるに「わざと」はやらぬと。ってことは厨房のシェフにおらぬはず...なんてのも偏見か。手料理は意にあらずと旨いと食うべしと古老に教わった。
(令和元年9月5日/2521回)
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