燈火

どこぞの観桜会然り、当人に意図あらずと自慢めいた投稿が相手の嫉妬心を呼び覚ます。証拠隠滅、まではせずとも余計な痕跡は残さぬに限る。ページ開くたびに更新される最新の投稿。その頻度というか件数に驚きを禁じ得ず、敵に塩を送るというか足元を救われぬよう。議長の随行に「副」議長の秘書ありて、その理由を聞かば御大将の精力的な活動についてゆけぬ。今や根性論など通じぬ働き方改革の時代。意欲あっても止められるが公務員の宿命。超過勤務、いわゆる「超勤」ってやつだそうで。本人の心中や知らぬ。勿論、隣市の話にて本市もまだまだ足りんナ。
兼題は「燈火親し」。「とうかしたし」又は「とかしたし」と読む。秋の夜長は読書に限る、その脇の灯かり。そんな意味らしく「馬刺屋に燈火親しむ残り客」亀田虎童子の句を見かけた。なるほどナ。ツリーといえば聖夜。半ば季重ねと知りつつも「Kirara@アートしんゆり」の点灯式に居残る客を「恋人の見上げしツリー燈火親し」と詠んだ。そうそう、花より団子、鈍感にて露ほども気付かなんだが、御当地のイルミは他と違うとか。ふ~む、もう一度よく見てみよう。
貧乏ヒマなし休みなし、なれど誘い拒まず。たまにはどうかと示されし三つの選択肢は銀座の餃子屋に神田の安居酒屋、バックパッカー御用達の蔵前のカフェ。脱サラの上に人生二度目の世界一周から帰国したデザイナーから誘いがあった。「地球の歩き方」片手に歩いた二十年前とは旅のスタイルが全然違う。移動距離こそ同じなれど情報量と利便性は格段に向上。スマホあれば現地の道案内から旨い店、それに次の滞在先の宿の手配もボタン一つ。ばかりか旅先で私のチラシも仕上げて下さるのだから。そんな文明の利器を使いこなしつつ各地を渡り歩かば目は肥える訳で彼ら選ぶは旬なスポット。
プロレス中継の国技館位しか思い浮かばんのだけれども近年は古いビルや倉庫をリノベーション、再利用することで賑わいみせる蔵前エリア。高い吹き抜けは鉄工所の名残、ごくフツーの商業ビルを改装したカフェは外国人観光客の屯場所。店員も親切な上にメシも安旨。対岸にスカイツリー、隅田川を見下ろしつつ、久々の談義に興じた。私と同い年で数ヶ月も放浪しとる位だからいわゆる「前衛」の部類に属する訳であの話題が通じないはずはなく、逆に「今日の芸術」こそ名著にて必ず読むべしと御指南をいただいた。
その後は古典絵画のみならず近代、いわゆるモダンアートにも話が及ぶ。椅子の上の車輪に田んぼのモニュメント、これこそがアートだなどと言われてもピンとこぬ。誤解なきよう申し上げれば、それとて否定するもんでもなく、純粋にその価値に気付けぬだけの話。更に申し上げれば、それらと不変の価値観というか万人が認めるあの巨匠の絵画を同列に論ずるは何とも。ならば、かの有名な年齢不詳、身元不明の匿名アーティストの作品群はどうか。反体制の風刺にストリートアートとあらば社会的な評価割れる一方で生まれる金銭的な価値。そこには投機的な要素も含まれる上にこちとら落書き消し隊の応援団とあらば...。
時代の寵児か芸術の冒涜か。音楽に贋作なしとはKセンセイの談。やはりその手の話題は音楽に限る、か。
(令和元年11月20日/2536回)