掛軸

迫る火の手に舞われる敦盛は漫画「日本の歴史」のひとコマ。天下布武の志半ばに非業の死を遂げる英雄として描かれし作品は数あれど、歴史は勝者側の都合で作られること往々。突然の降板、代役に抜擢された女優の演技、というよりも天下の逆臣、叛逆の徒を主人公にしたその筋立て、麒麟になぞらえし題、そして、一年ぶりの戦国モノとあらば。
武家の悲運、名門に生まれ一城の主ながら落城後に国追われて流浪の客将。流転の中に見つけし主君に忠節尽くすも数々の屈辱はイジメに近く、さもありなんと憐憫の情が生じるは私のみにあらず。今日まで膝元の人気衰えぬは善政布きし証左か。秀吉の逆襲に敗北したはずの当人が生きて再び天下たる家康に、とは歴史のロマン。ひと足先に予備知識を得るべく年末に早乙女貢氏の一冊を読んだ。
正月といえば書初。そんな時だけ範を示せとの妻の指示に子の宿題の手本にありし行書体にて「温故知新」と記した。筆とらば自ずと姿勢も正されるのだけれども硬筆となると「癖」抜けず、いつぞやに字の上達について尋ねたことがあって、「ゴルフの署名然り、日頃から意識しておれば必然的に上達する」と教わった。確かに時にいただく案内状なども全て自筆であるし、私宛の伝言一つと殴り書き見たことなく。が、何と申してもあの小さな署名欄とて大事なんだナと気付かされた。そう、おらがセンセイ。
そう、例の解説を聞かねば年越せぬ。劉備が孔明の草庵訪ねるは三度、こちとら近所ゆえ然したる手間ではないのだけれども門叩くこと三度にして晴れて面会、判読の結果を拝聴と相成った。雅号は「白洲」、三字対句の片側は「至誠心」。が、一方の最下段の字が読めぬ、いや、それのみならず他にも、と。老境の書家を以てしても読めぬとは恐るべし草書。
解説に今や実用性は薄く一部書道家による芸術的表現と見かけるも草書とて手本というか型はちゃんとある訳で。その手本通りに記して下されば然したる不都合はないのだけれども雅号有する書の大家とあらば我こそが手本とばかり、そうやすやすとは読ませてくれぬ。床の間の掛軸とて楷書とあらば大抵読める。が、そう安易では悲しいかな記憶には残らず。やはり後世も話題に上がる為には慣れぬ草書、それもあえて「捻り」を加えた作品に...との意図が働いたとしても。
そうなるともはや読字というよりも謎解きに近く、解けねば意地でも...と。誰しもそんな時に遭遇する可能性はなきにしもあらず。掛軸に恥かかぬよう。そのへん漢字なるもの上手く作られていて一つの手がかりは部首。が、流麗であるが故に点一つ上の字か下の字か、下に付かば「ウ」冠も上に付かば「ワ」冠。されど判読できねば次なるは前後左右の字。対句である以上は左右や韻に手がかり求め。
結果、「花開孝子家」「相洲▲▲徳」香雲白山起」「花雨憶天来」ではないかと。▲は判読不明。一枚に四句記されれば五言絶句となるのだけれども襖一枚に二句、いづれもその脇に雅号の署名押印付きとあらば五字の対句が二つと解釈すべきではないのか。いや、両端の上の漢字がいづれも「花」は偶然か、起承転結を鑑みれば...と悩み尽きず。先人との知恵比べに日頃使わぬ脳を使っている、かも。
(令和2年1月5日/2545回)