意気
「病床の上は退屈でかなわぬ、相手をせい」と身内に内緒で命令、というか懇願あり、秘書の目を盗んで数時間を御一緒することとなった。あと一牌でテンパイだったと悔しがる本人に「役が役だけに上がらぬに限る、まだ命運は尽きぬはず」と慰めにもならん慰めを向けてみたもののあれこそが虫の知らせ、いや、よもや意図的に上がりを見逃していた訳ではあるまいな、とH君と顔を見合わせた。
戦後の焼け野原を舞台に繰り広げられる壮絶な死闘。生きるに必死な時代、命がけの勝負、大逆転のその役満を上がった直後に気絶して帰らぬ人に。鹿賀丈史氏扮するドサ健が「死んだ奴は負けだ。負けたら裸になるんだ」と身包み剥がされるは名場面。死して鞭打つは薄情、いや、それこそが彼らなりの追悼であって、その道に生きた本人とて...。阿佐田哲也氏の「麻雀放浪記」。
優れぬ体調を理由に休暇続くも真実を伝えておかねばと年末に議長室を訪ねていただいた。本人が口にした医師の診断結果に部屋を覆い尽くす閉塞感。去り際に求められし握手に応じた際に浮かんだ涙の意味。越年して迎えた今年、来賓ならぬ主役な上に客が支援者の皆様とあらば欠席は失礼、本人たっての願いと許可されし外出。病魔に蝕まれた介添え付きの悲壮な姿に回復見込めぬは誰の目にも明らか。御地元にて慣例となりし後援会の賀詞交歓会にて回ってきた挨拶の鉢。祝うに祝えぬ、されど...。大御所ゆえ心配は無用と知りつつも一応放っておけない性分にて御節介ながらそちらの話題にて水を向けた。披露せしは言わずと知れた...。
通用口を通過する際に守衛室から漏れ聞きし曲。選曲の主はバイトに明け暮れる当人にて「ブラームスとは生意気ね」と浴びせられた一言に亡き奥様との交際が始まったとか。そう、本人の口癖は「生意気」だったのだけれどもその端緒がこちらではないかというのが私の勝手な憶測。蛇足ながら当人の座右の銘は「人生意気に感ず」だそうで、何とも「意気」好きな御仁。
作曲家とあらば耳こそ命、絶望の淵に開眼したベートーヴェンが如く、また、その第九の壁を打ち破ったブラームスの第一番が如く困難を克服されんことを、と申し上げれば、続く挨拶に「議長が生意気なことを申していたが、ベートーヴェンってのは...」と以降に続く解説。図らずも私のソレが遺言というか最後の挨拶前の露払いとなった。場を和ませつつ述べられた支援者への御礼。機微に聡い本人の有終美に相応しい最高の挨拶、謝辞ではなかったか。
病床にて御令嬢の選曲を聴く日々にベートーヴェンの晩年の作品が秀逸、改めてその偉大さに気づかされたと本人。確かに演奏者にせよ作曲家にせよ人生の年輪を重ねるごとに増す円熟味。それが天才の辿り着いた境地とあらば不思議な魔力を秘めていても。ディアベリ変奏曲なるピアノ曲があって、これぞ他の追随を許さぬ最高傑作と信じて疑わぬも当人の紹介せし一曲はピアノならぬ弦楽。いやいや、ベートーヴェンってのはピアノの演奏家を目指した位だからやはりそちらの作品こそ、と論戦挑もうにも既に他界され。
故人偲びつつ追悼の一曲「弦楽四重奏第十五番」を聴いた。合掌。
(令和2年2月20日/2554回)
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