越境

予期せぬ減速にホーム上での立ち往生。「人身」の二文字に復旧の目途立たぬ、との車内放送。動くべきか留まるべきか。開放されし改札の往来は自由。想定外の手際よき対応は連携の賜物。振替輸送に見る企業力。

手つかずとあらば別な用途を含む土地の有効活用を、との声。これほど如実に物語る好例なく、進む規制緩和。賑わい創出の為にキッチンカーの許可やコンビニ誘致、大阪城公園にはランステまで整備されて雰囲気一変。昨今などはパークマネジメントなどと称して一体的な魅力発信や立地する施設間の相乗効果を狙う動きが加速。いかに御当地の魅力を高めるか。本市の生田緑地なども。

さて、来年度の予算編成に向けた県への要望が記された冊子の説明を受けた。県税収入の内、政令市が六割以上を占める一方、県から市への同一事業に対する補助率が一般市に比べて低く設定されるは不合理ではないか、と冒頭から上がる気炎。

本市内の特別支援学校は全七つ。県立三つに対して市立は四つ。尚且つ、市立小中学校の「全」校に用意されし特別支援学級。そう、法的には県が担うとされるも一向に進まぬ状況に本市が救いの手を出した格好なのだけれども「県がやらずとも政令市は独自で」なるヘンな認識が育まれたとすれば非常に不幸なことで。

善意が仇となりしは一例ならず。県に代わってその役割を担うとされた政令市、そこにちゃんと「明確」な境界線が引かれるも越境が過ぎて。そこに振りかざされる大義名分、「県がやらぬ、いや、やれぬ以上...」。政令市における県の意義こそ問われて云々と続くも、無い袖振れぬ県の財政事情に傷つけられし廃藩置県以来の権威、耐えに耐え、忍びに忍んだ恥辱が怨念に代わる時。

生意気な政令市など、虎の威を借る狐、いや、虎の尾を踏みし可能性やいかに。とすればまさに悲劇。そこを見透かされたばかりか、それを端緒に既存勢力の一掃を目論む野望、世の耳目を集める好機に、おもろいやないかの気風も後押ししてか。

「都」に得られる優越感、煽られし対抗心、命名に込められた意図とは。縄張り意識の解消に主眼が置かれるべきであって構想はあくまでも手段に過ぎぬ。故に阻まれたとて目的が叶わぬものでもなく、完治の保証なき荒療治に及ばずと漢方薬にジワリ回復を待つ選択肢とて。それとて効いとるようだが、完治まで長い年月を要する位ならばいっそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で。

後は医師の説明に患者としていかなる判断を下すか。いや、昔であれば府に負けじと要らぬハコモノもあったやもしれぬ。が、この御時世とあらば時代錯誤に気付くが常識。向く方向は同じと信じつつも最近の有権者の皆様は目も肥えて評価も厳しいからナ。

私鉄の振替輸送さながらに公共の奉仕者たらんとする公務員としての矜持、事態を打開せんとする気概あらばここまでこじれんかったのではないか。対岸の火事ならぬ他山の石として。

(令和2年10月25日/2602回)