年男
御利益は変わらぬ、されど、初詣とあらば。例年に劣らぬ参拝客、拝まれるべきは私ならずも、大願成就、否、陳情の御礼とか。転んでもただでは起きぬ、寄らば手にするはそちら。不良たちが担う縁起だるまが好評。ここ数年は白の合格だるまが人気にて御礼参りも少なからず。当たるも当たらぬも八卦、御利益というよりも信心深い人はそれだけ研鑽を積んでおるだけの話なれど、時に人知及ばぬ不思議な力が左右するやもしれぬ、何よりも神仏の御加護を否定せば肝心のだるまが売れぬ。
この正月に三十三個のミニだるまを購入された若い女性がおられて、子にしては多い、身内に職場にしても釣り合わぬ。職業を聞かば高校の教師だそうで、この三月に卒業を迎える教え子たちにと。そんな先生の教え子とあらば立派な社会人に。縁起物ゆえ売り手側とて福呼ぶ主でなければならぬ、拍子木を担うは議長と紹介されどそりゃ知られた話にて次期市長などと勝手に紹介されて。以後、反響なきは所詮その程度の。
神聖な境内、んなバカ騒ぎをすれば天罰下るは当然、在庫不足に裏の倉庫から調達を命じられ戻りし途中に足裏の激痛。画鋲どころの痛さならず見れば錆びた釘。横着して草履にて底薄く、駆け込みし社務所にて消毒液にヨードチンキの応急手当に群がる関係者。大工のY兄には錆びた釘はほんとにヤバい、一か月後に足首切断と脅されて。とんだ災難の正月は厄年どころか丑年の年男にて。
そう、師走のどさくさに盟友の議長殿が任期満了を待たずして職を辞された。対岸のことゆえ詳細は知らぬ。が、独断専横が過ぎて混乱を招いた責任、事態収拾を図るにおぬしの首を差し出せ、とまぁそんなとこらしく。公の場での尋問など公開処刑に同じ、生き恥を晒すようなもんで曲がりなりにも市の為に奔走した議長殿、いや、一介の議員といえど、んな薄情な行為に及べば全体の品位が問われかねず。
「もう少し」などと声をかけられる機会が増えた。んな賞味期限が迫る食いもんみたいな扱いせずとも。そこに明文化された規定なく、あくまでも過去に従わば二年と。改選期とあらば新たな選出は当然、されど任期途中ならば「辞表」を書く、いや、書かせられるとか。そもそもに辞表ってのは自ら降伏を宣言するようなもんで、絶大な支持を得とる中に何ら恥じなく「一身上の都合」などとウソはつけぬ。
そのウラには四年もやられたのでは鉢が回って来ぬやもしれぬ、との「別な事情」も。故に昨今は一年なんてのも。んな安っぽいことでは車の両輪にならん。やはり相方に対峙するにはその折に心技体に秀で、品行方正、人徳と運気を備えた人物こそ適任であって、んな口あけて順番を待たれているような役職ではイカン。いや、本来はオマエこそ不適任ではないかって、声は聞かぬ、いや、聞こえぬ。
後釜と目される御仁などは一つ下の寅年にて丑年には似合わぬ、最低でも年内、少なくとも年男である以上は退かぬ、などと年頭の訓示にて続投宣言をしてみたものの、物言えば唇寒し、そこに拍手なく。叛旗の狼煙が上がらぬことを願いつつ、まぁ辞表など絶対に。
(令和3年1月10日/2617回)
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