十五

睦まじき寝顔並ぶや師走の陽、と一句。久々に地元を歩いた。玄関に通ずる中庭に見えた老夫婦の寝顔が何とも幸せそうだったナ。

かと思えば、卓上に置かれし薄型の画面と向き合うは地元の大御所。伴侶を見送られて以降、介護施設の御世話になられていたはずもそれらしき痕跡なく。聞かば「(施設は)退屈でかなわん、こっちがボケちまう」と退所されてしまったとか。「来年もお互いにがんばりましょう」と励まされて御自宅を後にしたのだけれども当人は昭和二年生まれ。やはりそうでなきゃいかん。いや、もう一人、欠かせぬ御仁が。

行かぬ自由もある訳で、まず咎められるは当人の行為であってそこが槍玉に上がるは世の鬱憤のはけ口にされとるようでどうも好かぬ。勤労こそ国家の原動力であって御上が働かぬことを推奨するに取り戻せぬ傷跡を残しかねぬと案じており。んな同情を寄せれば、「ウチなどは家賃が生じぬゆえまだマシ、店子は相当にキツいのではないか。客が来て下さるだけありがたい」と鮨屋の大将。年の瀬におらがセンセイと御一緒されたそうで。

年齢よりも低いスコアで回ることを「エイジシュート」というのだけれども十五回の達成に同組ならぬ全員の昼飯を負担されたとか。十や二十ならまだしも十五にしてかくの如き状況だからやはりそこには銭では買えぬ喜びがあるんだろうナ。問われる政治とカネ。その地位を利用して私腹を肥やさんとするに批判浴びるはやむなしも、私財を失って尚且つ罪を問われるは不憫過ぎやしまいか。有権者の買収にあたるというけれどもこの御時世に銭で動く善良な有権者など、後援会のイベントに身銭を切るはそこまで悪か。いや、冗談はそのへんにして。

貼られたポスターに家主を値踏みするほど卑しくはないけれども他陣営のソレが貼られし理由は九十にならんとする認知症の御主人の軽返事だそうで。年末の留守電に残された住所と氏名、その後、用件なく通話が途切れて。声に察する相手の事情。早速に訪問して呼鈴を押せど反応なく出直しと振り向き様に物音がして玄関が開いた。乱れた髪に滑舌冴えず、脳梗塞を患って以降はその状態が続くと奥様。

移り住んで五十年、押し寄せる開発の波に道路拡幅を求められて協力をした結果、失いし元の形状。ところが、退いたはずの一部が市の用地上に残っていたと連絡あって。市の用地上に残りし擁壁を修復した上で更地返還、もしくは残地買取以外に選択肢はないと告げられるも今や老夫婦二人、日々の生活もままならず。まさに青天の霹靂、突然の連絡に有無を言わせぬ担当者の態度、執拗な督促に怯え続ける日々の苦悩を涙ながらに吐露されて。よもやその精神的な負担が病の原因ではあるまいか。

私の名こそ浮かべど、こんなことで相談してもいいものか、と迷った結果が途切れし留守電だそうで。何ら変哲なき歩道見ればそれが故意か否かは半ば明白。拡幅時の確認を怠りし自らの怠慢を棚に上げてか弱き老夫婦を脅す姿や年貢取り立て迫る悪代官に同じ。んな薄情な役人のさばるは目が行き届いておらぬ証拠。仕事始め、市長の年頭辞に「声を上げられない人に目を向けるべし」と聞いた。

(令和3年1月5日/2616回)