茶器

相続こそ片付けど、捨てるに捨てれぬ祖母の茶道具。質屋にでも値踏みさせればもしや、んな訳ないナ。「茶釜を譲らば命は許す」との通牒も「ヤツには絶対に渡さぬ」と意地貫いて壮絶な最期を遂げしは松永久秀。茶器に宿る怨念が主人公を本能寺に走らせると予告編。収録の頓挫に大幅に割愛された感が否めぬ「麒麟」も異例の越年に迎えし佳境。

知られざる脇役の生涯を学ぶべく漁った一つに火坂雅志著「覇商の門」があって、そこに描かれるは久秀の茶釜と今井宗久。泉州堺の豪商とあらばさぞ立派な御一門かと思いきやヨソモノ、若かりし頃など追剥まがいの行為、と申しても相手は死人にて当人に言わせれば再利用、今どきのリサイクルってことなんだろうけど。

合戦に倒れし武将の鎧兜に刀に甲冑と身包み剥いで拾い集めて修繕を施し転売を図る。用いられることで美が磨かれるなどと美句にかき消される怨念。死人と思いし屍が動く、瀕死の武将に止めを刺さねばならぬ恐怖やいかばかりか。そんな修羅場くぐりし経験と商いにかける執念ぞ天下の豪商に至らしめた原動力ではないかと。

さて、目下、世間賑わす関心事の一つに時短要請の対価、その妥当性やいかにってのがあるそうで。割に合わぬとの言い分もあれば渡りに船とその恩恵に与る店も少なくないとか。いや、そこに限らぬとの不公平感はひとまずも割れる対応。

日夜、夜ランなどと称して界隈の生態系を観察しているのだけれども道中に贔屓の中華屋あり。味に不足なくも混雑にはほど遠く、営むは老夫婦にて明らかに後者の類に属しそうなもんに思われ。既に年金も支給されているであろうし、他店に倣って長期休暇でもバチは当たらぬと思うのだけれどもちゃんとその時間までは店閉めず、昼も同じ。

この期に及んで憐れみを受けるほど落ちぶれてはおらぬと久秀ばりの意地を貫いているものではないにせよ、そう駆り立てる源泉や何か。商いは稼いでなんぼの世界、絶命の難局を打開せんとそこに絞りし知恵こそが宝のはずも施されし協力金に商人としての矜持を失いかねぬか、と。

つい最近、障害児者の施設運営について市の担当から話を聞く機会を得たのだけれども自らの子をきっかけに慈善的に運営に携わる保護者が少なくなく、時にそれが裏目に出ることもあるとか。対価は二の次、それでも手を貸したいとの意欲には頭が下がる。

学級内の半数以上の父親が在宅勤務と聞いた。それこそが時代の趨勢と知るも一夜にしてどれほど雪が積もろうと猛吹雪の中を学校に行くが当然と育った私など来ぬで結構と言われてもその後に困る。まして雇われの身とあらば知らぬ間にクビにされはせぬかと気が気でならぬ。

今や履歴残るゆえ「水増し」は許されぬにせよ運転手が利用せがむは解雇されぬ為の抵抗、いや、仕事への意欲と見れば。喩えが悪いナ。テレワークとの下知に従順に従うよりは出社して誇張してでも自らの価値を上に訴える位のヤツのほうが社として重宝しそうに見えて。

敗戦からここまで成長を遂げた背景には働かなければ食えず、がむしゃらに働いたこと。やはり資源に恵まれぬこの国がそれだけの地位を占めるにあたっては勤勉性に負う面が大にしてそこを失うは致命的ではないか、とそちらが心配でならぬ。

(令和3年1月20日/2619回)