一片

「本能寺」なる歴史の一片のみ見れば主君の寝首を掻いた逆臣の徒。されど、そこに到るまでの過程知らばどうか。相手側に身を置くことにより従来の概念を覆し、新たな解釈を世に問うたことこそ「麒麟」の功績。深渓に臨まざれば地の厚きこと知らず、断崖絶壁の下に立たねば見えぬ世界も。

国のことゆえ仔細は知らぬも入院拒否に懲役刑と見かけた。どこぞの録音機に同じか、あくまでも可能性を示唆したに過ぎぬも刀を抜かれる不安。されど、勧告に従わぬものなど徹底的に、と駆り立てる背後には醸成された「異常」な恐怖心がある訳で。

「強制的」に入院をさせるべきか否か、他方、自宅での死亡例と申しても意に反して入院を拒否された例に限らず。病状以上に自宅を選択せざるを得ない当人側の事情があるやもしれぬ、はたまた、本人の同意の上とあらばそこまで大袈裟に扱わずと。そうなると、むしろそこには隠された陰謀でもあるのではないか、と疑ってみたくもなり。

病床確保は県の責務、客観性を担保する上で年齢や病状など点数化した上で優先度を決める、とされるも県域や広く、僻地は望まぬと斡旋を拒みし患者とているやもしれぬ。故に「自宅での死亡」の一片に勝手な推測を以て世論を誘導するは誤った判断を生みかねず。

他に比べて著しい偏在見えぬ死亡年齢。老化に免疫の低下を免れぬは大自然の摂理であるし、何かしらの疾患を抱える確率とて。それが背中を押した側面はあるやもしれぬが、直接の死亡原因と結び付けるに短絡的とは言い過ぎか。

自宅での急変に役割果たすは救急車。その困難事例や急増という。殺到すれば手が回らぬ、軽症者の自粛を呼びかけるにせよ肝心の出動件数は例年以上に少なく。そこに浮かび上がるは「満床」の二文字。やはり病床の拡大こそ焦眉の急か、されど、入院の患者とて既に峠は脱した、後は療養に徹すべしと退院を促せど「完治」しておらぬ以上は今暫くはそのままで、と相手方。

瀕死の命を救わんと昼夜を問わず懸命に向き合う方々の努力むなしく救えぬ命。世には当人が遭遇した不幸以上に過酷な運命にもがき苦しむ方々もいる訳で。一命をとりとめし幸運に多少の負い目があって然るべし、次に譲らんとする親切心があってもそれを阻害するはやはり「異常」な恐怖心。重症者に特化すべき病床がそうならぬ背景。

搬送時の患者の症状は以前に同じ、かつては積極的に応じてくれた受入に示される難色。症状いかんに関係なく陽性とあらば選択肢は限られ、無関係の急性疾患とて必要以上に抱かれる警戒心。本来であれば状況に応じて峻別されるべき搬送先もそれが一つの障壁となり立ち往生を余儀なくされる救命士の葛藤やいかばかりか。

つまりは増幅された恐怖がかえって事態を深刻化させとるとすればそれこそがむしろ不幸ではないか。そこだけでも改善されれば全体として上手く機能すると知りつつも巷の風潮に抗うに上げるに上げれぬ現場の悲鳴。そんな時こそ問われる使命。開幕迫る定例会に現場の声はどこまで届くか。

と申しても番台の上から眺めとるだけで。スマン。

(令和3年1月30日/2621回)