三福

名は選べれど苗字となるとそうはいかぬ。当人の御利益にあやからん、などとは露ほどにも思わぬにせよ、七福神ならぬ三福めぐりを御存じか。その名を冠した名所旧跡、神社に美術館、最後の一つはこちらかも。

日進町といえばそちらの代名詞のようなもので。かつて、夜となれば一人で歩けぬエリアだったとか。そんなエリアに駆け込み寺を作らんと思ったか否か、押し寄せる時代の波に生まれ変わりし施設の名は「ふくふく」。

手元の原稿に複合の「複」に福祉の「福」と由来らしき記述を見かけるも、市長自らの名を冠した訳ではあるまい、とは隣の来賓。福祉に招福、何とも縁起よき一字と知るも、まぁどこにでもある苗字にて。百聞は一見に如かず、現状を改善せんと数年前に訪ねたあの施設も確かそんな名前だった。

高齢者や障害児者の在宅生活支援の推進を目標に様々な施設が同居。特別養護老人ホームに障害者支援施設、保育園に研修センター、各種の相談窓口、前身時代に一世を風靡したとされる舞踏場こそ見当たらぬまでもまさに「複」合。が、中でもひときわ目を惹いたのがこちら。

終の棲家としての役割担う福祉の要、特養の需要は依然と高く。以前は全ての施設に独自に申込んだ上に待ち時間なども個々に確認せねばならず。少なくとも申請の負担位は軽減が図れぬか、と申込の一元化が図られて。

利用サービスには介護度に応じた限度あり、同じ上限一杯ならば手間の少なき御仁を優先せん。とすると、胃ろうなど医療的処置が付随する予定者などは敬遠されがち。が、それ以上に難色示されるは聴覚障害者。

肝心の意思疎通に手話を伴わば迅速性を欠くばかりか通訳者を抱える施設側の負担や重荷にて一向に進まぬ受入。川崎市ろう者協会からの要望に報いんと一人訪ねし施設は「ななふく苑」。やはり、「ふく」だ。また、くだらん駄洒落を申してしまった。もう数年前の話なれど、ここの施設長にはアポなしにも関らず、本当に親切に対応いただいた。

老化は自然の摂理、身体的な衰えは年齢とともに重度化していくものにて手厚くなって然るべきも、変わらぬ、いや、むしろ使い勝手が悪くなるは不条理ではあるまいか。せめて、従前に利用してきたサービスをそのまま継続できぬものか、と。

一般に障害者は障害者総合支援法の枠組みの中でサービスを受けることが出来るものの、年齢が六十五歳以上とならば一般の高齢者に同じ介護保険への編入され、そこに逆転が生じるに「六十五歳の壁」とされるらしく。介護か障害か、制度の狭間に置き去りにされた方々をいかに救済するか。

縦割りの弊害と申してしまえばそれまでもそれが福祉とあらば尚更にその溝を埋めんとする視点は欠かせぬはず。いや、当の役人たちとてそれでいいとは思っておらぬはずもそれを阻むは違い過ぎる制度の根幹。

一部の例外規定こそあるものの、年齢に明確な根拠を求める介護に対して度合いに応じた支援がされる障害。リスクと捉える保険の上に利用料の一定割合、つまりは応益負担を求める介護に対して、扶助の立場から税を財源とし、利用者には応能の負担を求める障害。

あくまでも国の制度を巡る話なれど市とて対岸の火事などと涼しい顔をしていられるものではないはず。

(令和3年4月5日/2633回)