会見

ツイートとの因果や知らぬも参与が去ったとニュースに見かけた。定例の記者会見における私の発言が生みし波紋。「さすがは議長」との称賛の声に、その程度の直言が出来ねば役職が泣いている、などと大それたことは言わぬ、いや、言えぬまでも「直電」が来ぬとはつまり「そういうこと」で。当人以上に騒ぐは周囲。要請の有無こそ知らぬも事務方が相手方の聴取に応じる羽目になったとか。

聞かれし市長選への意欲こそ本命のはずも紙面に見るは「庁内の風通し悪い」の見出し。そもそもに役所の守護神を公言して憚らぬ私に限ってそんな身内を売るような真似はするはずもない、と気付きそうなもんだけど。市長の評価を聞かれて、「判断力は疑わぬ、が、正しい判断を下すに欠かせぬは情報。そのへんがどうか」と。

「ならば、正しい情報が届く為には何が必要か」と更に聞かれて、「自ら現場主義を掲げておるのだから現場に足を運ぶ、これが第一。そして、風通しを良くするに限る」と私。「相手や五分の面会すらままならぬ多忙の身にて(そのへんまで手が回らぬのかも)」と合いの手を挟む副議長に、よもや貴殿こそが真の守護神ではあるまいか、とは余計な推測。ということで、第一章が完結したのだけれども、そこに連想されるは「はだかの王様」。

歪曲などと野暮は申さぬ。失言は沈黙に勝る、いや、失言など「ない」のだけれども話題に上がってなんぼの世界。それでまた悪評が立たば本望ではあるまいか。

朝の車では飽き足らず、饒舌が過ぎてか、その様子を「囲まれてとる」と述べたらしく。確かに議長室など護衛は無きに等しく、千客万来、来る者拒まずも、あちらの天守閣はそうはいかぬ。厳重な警戒体制が敷かれとるから迂闊に近寄れぬ。受付にて用件を告げて、番頭の許可が下りれば開閉される仕組み。

動物園が如くまる見えの部屋に清廉さを誇る面々に比べればはるかにましも、ドアの開閉時の総員起立に抱く違和感。いや、もしや私だけであって、他の客人は知らぬ。が、議場の採決ではあるまいに。悪しき慣例、と割り切って廃止するにせよ、客人に背を向けて無視するもまた批判を生みかねず。が、何よりも開閉が気になって本来の仕事に没頭できんのではないか、と老婆心ながら。一度、実際に体験するに限る。門前払いの方には私の紹介状でも。それは無意味どころか逆効果です。

ということで、ようやく本題。大規模会場の確保に全てが解決するもんでもなく。かかりつけ医による個別接種が進まねば目標への到達が危うく。いや、それ以上に現行の集団接種はあくまでも「暫定」にて非日常の世界。個別接種が浸透するが日常に近く。当初のファーストペンギンは市内に二百、それを六百に上げんとするに立ちはだかるは接種の対価。

国が定めた額では採算が合わぬ、との声に伸びぬ協力者の数。独自に上乗せを図ることで何とか説得を試みたい市。彼らとて背負うものがある以上は無償とは言わぬ。が、危機に乗じて足元を見られるは不本意にて問われる交渉力。それも税金、負担は少ないに限るも倹約が過ぎて相手の意欲を削ぐも得策ならず。まぁそれをいうならワクチンの確保とてどれだけの銭が国外に流れたか。命が弄ばれぬことを願っており。

(令和3年5月30日/2644回)