行燈

雪上の反物、小千谷縮の「雪晒し」。そのへんに着想を得てはおるまいか、というのは勝手な憶測ながら過疎に悩む沿線のまちおこしに一役買っているとか。広大な里山を舞台にした「大地の芸術祭」越後妻有アートトリエンナーレ。

以前は「チベット」などと揶揄されて、と重鎮。が、んな昔の話はどこ吹く風、今や本市でも屈指のエリアに変貌を遂げ。多摩丘陵の樹林の遊歩道を利用した黒川里山アートプロジェクト「緑と道の美術展」。

洗練されたイメージを損ねぬ格好にて全作品を鑑賞させていただいた。ランのコースにおすすめで。美術展ばかりか御当地の竹を利用した行燈作りが新旧の交流を生んでいる、と知って訪ねる展示即売会に選びし一品は若手女性の作。一年早ければ議長室だったのだけれども。

そう、世に律儀な御仁がおられて一度交わした約束は守らねばならぬ、と慰労会を催していただいた。久々の再会に開口一番「退任の挨拶を見た」と。消されずに今も記録上に残る映像なれどそれを見るとは相当な「追っかけ」に違いなく。

このブログとて市職員に愛読者が少なくない、と聞くも、んな隣の部署の不幸を喜んでおらんで他に目を向けるべし。ということで、ようやく本題。

本市が国に先んじてとの施策は少なからず。類似とあらば無駄な支出を抑制すべし、とは当然の視点ながら似て非なるものに存続求める声も少なからず。イチかゼロかは短絡的、市の財政負担を軽減するには移行が促されるべきも事業者の損得も絡むだけに。

そういうことならば移行を視野に、との事業者から相談を受けた。日中一時支援と「放デイ」こと放課後等デイサービス。いづれも障害者の居場所に関するサービスにて前者は本市なれど後者は国の枠組み。

大きな違いは年齢要件。「放課後」が意味するは就学児、対する本市に制限なく、つまりはゆりかごから墓場まで。利用者の年齢幅が広いほうが職員としての経験を積めそうなものなれど、逆にそれだけの器量も問われるばかりか、本市「独自」とあってはその経験をキャリア形成に生かせぬ、と「放デイ」が人気とか。

その手の国の枠組みに参入するに欠かせぬはサービス管理者、いわゆる「サビ管」の資格。その資格取得に欠かせぬ実務経験に本市のソレは含まれぬ、というのが既定路線。「当時」は確かにそうだったやもしれぬ。許認可を有しておらぬ以上は本市の一存では決めかねぬしそこに見えぬ行政の壁があったのかもしれぬ。

が、国に負けぬとの自負があるならばその経験こそ同等なものとして認めるよう国と直談判に臨むべきではあるまいか、と改善求めれば、既に現行は「可能」とか。結果が結果だけに覆りし経緯は問わぬ。

衣食足りて知るは礼節。自らの生活もままならぬのに他人の世話など。独自の加算手当を創設すべしとは言えぬまでも、福祉の担い手にならんとする彼らのキャリア形成に資するべく手を貸す知恵と労は惜しんではなるまい。

(令和3年11月15日/2677回)