稽古

現役時代は地元でならした二人。大きくなったら二人で売りに行こうと交わした約束。植えた苗木は実を付けど二人は既に他界されて。そんな思い出の蜜柑を奥様から手土産にいただいた。

役所以上に役所的といわれた国鉄の変貌。JR九州の名物会長に「本気になって何が悪い」なる著書があって、仕事に問われる本気度。「今日は本気らしいな」との野次を背後に聞くも今日「は」じゃなくて今日「も」でしょうに。悪しき見本か品位なき一戦、一般質問を終えた。

稽古なら兎も角も本番の舞台に台本なくば演じれぬ。意に添えるか否かは別にして誠意ある答弁の為には手の内を教えて貰わねば、と役所。こちとて相手の出方を知るに損なく、次なる一手を探れる訳で。概して本番の成否を左右するは稽古。質問書を事前に手渡さねばならぬなどどこにも明文化されておらんのだけど、執拗にせがまれる背景には役人として市民の皆様の為にひと肌脱がんというよりも別な事情が垣間見えたりもして。

合戦前の御前会議に問われるは敵との交渉状況、よもや台本になき不意打ちなどあるまいな、そこに証拠として添えられるが質問書。手渡すにやぶさかならずも見合った成果なくば意味為さぬ。そこが分かっておらぬがこじれる元凶。こちとて見るは内容以上に仕事に向き合う相手の姿勢。一事が万事、およそそんな時の答弁ってのは推して知るべし。

告げるは数日前なれど届くは直前。退庁後に答弁の可否について即答願うなどと言われてもそこに十分な猶予はあった訳で、そもそもにそれで納得されると思っとるところが認識の甘さ、そりゃそちらの勝手な都合にあるまいか、とそっけなく見放さば、部下の不始末は上司の責任とばかりに上官からも連絡をいただいて。

非礼詫びつつ、再度、答弁の機会を得んと。そこに付け入る隙ないといえばウソになり、ここぞとばかりに都合よく修正を求めることも出来たはずなれど、慌てる乞食に貰い少なく、翌日に焦燥感があっては本来の業務に支障をきたしかねず。

そう、肝心の内容、何を巡ってそこまで。都市計画道路の早期完成を求める声は少なからず。計画期間の最終年度迄には目途を付ける、ってのはあたりまえの話。それでいいやと思うその無神経ぶりに憤慨してしまったのだけれども。そこに一日でも早くという意識が働かばそんな無機質な答弁にはならんでしょうに。

用地買収の完了を意味するガードレールの野晒しが何年も続く。一部に未買収あらば部分的な開通とて模索されるべきであるし、電柱等の占有物の移設が進まぬならば先を見越して早めに手を打つとか、もそっと知恵を絞るが当然の姿勢であって、子供の使いじゃあるまいに、そんな答弁あるか、と声を荒げてしまった。

迎えた当日。用意された原稿などどこ吹く風。よくもあんな答弁を、との追及に対して、いや、あれば部下が勝手に、とはよくある弁明なれど、局長自ら非を認めたことで語調は下げたつもりもやはり稽古は真剣に限る。

(令和3年12月20日/2683回)