嗅覚

スペインが誇る巨匠の最期。路面電車に轢かれたそのみすぼらしい老人がガウディとは誰も気付かなんだとか。他人様を容姿で判断してはならぬ。が、自らはそう判断「される」と思っておいて損はなく。ということで、今日はそんな外見にまつわる話から。

結果を左右するは生身の人間だけに様々な観察の機会を提供してくれる選挙。社長が応援しとる候補を落選させる訳にはいかぬ、社長の支持を得た以上は従業員とて、なんてのは幻想に過ぎず。むしろ「社長ばかりに媚びやがって」と逆効果にならぬよう。ならば、未だ忠節を重んじるあの世界はどうか。

迫りくる参院選。候補者は選挙区のみならず、全国比例の候補はまさに正念場。政党名とて有効なれど個人名を記してもらわば当選がぐっと近く。地元の行脚を請われて訪ねる師範宅。貴殿の頼みとあらば門下に、と快諾いただいて数日後、「申し訳ない」と。

見知らぬ人物の名を書いてくれとせがむ図々しさにも「わかった」とこちらの顔を立てて下さる支援者の方々、無記名である以上はバレぬはずも律儀な御仁にて。理由を聞かば、政党の支持こそ揺るがぬ、が、何といおうか、候補者の「人相」が。

写真機の台頭に脅威を抱くは画家。職を失いかねぬ危機。写真か肖像画か。女王に問われた宮廷画家カロンの返答や「陛下、写真は人を実物よりもよく見せることはありません」と。

いや、それはまだ見ぬものへの一つの材料を提供するに過ぎず、悪人面に見えて実は善人だった、なんてのはよくある話。ましてや、あの団体の推薦候補とあらば、性格とて悪いはずはなく。全国区とあらば実際に会えぬことも往々にして写真位は、と。

今や着色は自由自在。少しでも若く、寡黙な印象を払拭せん、気さくさを演出しよう、と様々な思惑が交錯した結果か、言われてみれば確かに「作り過ぎ」感がしないでもなく。が、んな話はそこに限らず。区内に貼られた数少ないポスターは前回の写真なれど、更に少ない立て看板の顔写真は初陣時のもの、ってことはあれから二十年。「詐欺」の被害届けが多く寄せられ、夜な夜な更新に追われており。

そう、GW中のアルテリッカも閉幕。どこぞの区長がついでに立ち寄りし会場の裏山にて自然薯を掘り当て、喜び勇んで帰路につかれた、と求めておらぬ報告、というか「タレコミ」が届き。その意図を考えあぐねているのだけれども。

目撃されし背中のリュックサックはどう転んでも「ついで」に見えぬ。んな不格好では上品な区のイメージを汚してはおるまいか。不審者に間違えられて身柄拘束が区長だったなんて等々。信憑性とて疑わしき一通のメールに下手な疑惑は問うだけ野暮ってもんで、自然薯を掘りあてるその「鋭い」嗅覚を仕事にも生かされんことを。

(令和4年5月10日/2710回)