遍路

御紋入りにあの大判の角印は子供心に忘れもせぬ。下賜されし一枚が実家の仏壇の上に。祖父が戦没者にて。本来ならば皇居にて厳かに行われるべきも。モノがモノだけに宅配とはいかず。春の叙勲の栄に浴された二人への伝達式にお招きをいただいた。

およそ一年前。受章後の祝賀会は盛大に、発起人の労は厭わぬ、と告げて以来、一年ぶりの着信に間柄が窺い知れ。「おい、今朝の新聞を見たか」との相手に「貴殿ほどヒマではない」と押し返せるほど地盤は盤石ならず。何か区の話題でも、と水を向ければ、「町会長のTさんが叙勲を受章されとる、電話を入れれば喜ぶだろう」との御助言に一報を入れただけなのだけれどもこれが大変に喜ばれて。

後日、「先生には一番に御電話いただき」との御礼。そこまではよくある話なれど、それが伝達式の当日、他の町会長が居並ぶ中にあって、ちゃんと周囲に聞こえるように。そこまでが当人の狙いだとすればその深謀や恐るべし、次回は私の選挙参謀に。巷にて賞賛される気配りもそんな好意に助けられており。

会員の高齢化が進む母校の同窓会。互いの近況を知るに欠かせぬ年一回の会報。校正は「若手」とされる私の担当。寄せられる返信はがきに見る会員の声。ここ一年に多き退会希望。施設への入居を理由に次回以降は送付無用、と。何よりも読めぬ字、それが達筆なのか乱雑なのか、入力よりも判読に時間を要し。ちゃんと相手のことを考えて筆をもっとるのかね。

それに加え、その内容が政権の批判だったりすると新聞の投稿欄じゃあるまいに何も同窓会の近況欄にんな話題を持ちこまずと。ちゃんとそのままを掲載するも、読者の共感を呼ぶどころか自身の評価を自ら下げとるようなもの。その年齢にもなってそこに気付かぬとは。それではろくな友達も出来んでしょうに。

年一回にしてそんな状況なのだから月刊とあらばその手間や相当なもの。長年の歴史に幕。俳句の同人誌がまもなくの七百号を以て休刊となるそうで。自選十五句に文章を添えて提出せよとの難題。時に親バカにて子の成長を詠んだ「制服の板につきたり若葉風」を入れた。

ともに私と100kmレースを完走された二人。傘寿を迎えんとする鉄人が川の道512kmならば年齢不詳の女傑が選びし距離は1300km。四国八十八カ所の巡礼を一回で制覇することを一気通貫ならぬ「通し打ち」と呼ぶらしく。全40日の宿泊先の確保に四苦八苦。ある日など店なき山道35km、出発前に宿坊にて手渡された2個の塩おにぎりがこの世で一番美味かった、と、その手記に目を通しており。

方や、悪行三昧の日々に煩悩のカタマリである私などは俗世から抜けきれず。未踏のトレイルレースに向けて山に挑んどるのだけれども、途中に「伸び競ふ若葉減りたり八合目」と一句詠んだ。

(令和4年5月20日/2712回)