用買

用賀じゃなくて用「買」、用地買収の略。庁内では「ようばい」などと呼ばれており。

二部構成と聞いて休憩後の退散を目論むも前方の指定席とあらば目立つ空席。機を逸して、とは不遜な物言いなれど、聞くは「次なる十年を担う若手トークリレー」。演題に立つは前半の演奏を終えた音大生。駅に流れるクラシックに占う当日の運勢。知らぬ曲とあらば今日は挑戦的な一日になりそうだ云々。クラシックといえばしんゆり、と騒いでみても外には知られておらず、これではイカンとトークも冴えて。

そんな音大自慢のホールを借りて行われるサマーミューザの出張公演。演目はブラームスの交響曲「偶数」、つまりは二番と四番にて。イチオシの公演。夏の音楽祭は本市に限らず。今年で四十二回目を迎える草津音楽祭、正式には草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティバルというそうで今年の主題はロッシーニとか。

山は富士、海は瀬戸内、湯は草津、ならぬ別府。今日の地位を不動のものにした立役者を描いた一冊。定期航路の開設後、桟橋に押し寄せる観光客にバスの運行を企画すれど立ちはだかるは。仕事を失いかねぬとのタクシー業界と運行に欠かせぬ道路の拡幅。んな難題に挑みし本人の功績を称えてか今も駅前には銅像が残るとか。

拡幅といえば。多摩川の沿線道路は片側一車線も信号少なく、便利なれど時折見かける渋滞は右折待ち。たった一台、対向車とて一台譲れど次の信号には元に追い付くのだから、と募る鬱憤。こちらは堤防を抱える以上、物理的に困難なれど、右折レーン等の部分的な拡幅に渋滞が緩和されること往々。

現行の用買は五十年前に決定された都市計画道路に限る、というか厳密に申さば「その一部」とされ、それ以外は頑として譲らぬ役所。そもそもに本来の目的は不便の解消、渋滞の緩和なのだからその範囲にあらずとも。先の定例会においても一向に改善されぬ渋滞に関するものも目立ち。

用買は何も都計道に限った話になく、一般道とて「あと少し」「ほんのわずか」と思しき箇所は少なからず。市に打診すれども、「名目」がない、生活上の支障と申しても該当するか否か、客観的な判断指標なく、その隙間が不正取引の温床になりかねぬ、ということなんだろうけど、過去に土地を巡る話題は事欠かず。通学路の安全などを名目に若干の予算を有すれど全く足りぬ。そもそもに用買の為の予算にあらず。

まいど似たようなことを申し上げている気がしないでもないが、彼らの視点は与えられた仕事を忠実にこなすことに主眼が置かれ、それ以上の余計なことはやらぬに限る、となっておるまいか。用買などまさに相手があってのことだけに条件整うは五十年に一度。少なくとも地権者の意向位は把握しておくに損はないと思うのだけれども。現行の組織に担うべき課が見当たらぬ。

しいて申さば区役所となるのだろうけど、用買なんてのは無縁であるし。土木部門とて都計道しか眼中になく。土地の提供も「無償」が前提、とあらば相手とて。十年後に向けて、もそっと身近な用買に知恵を絞ってみては、と思うのだけれども。

(令和4年7月5日/2720回)