仏滅

同時、といかぬまでも十分後には当確、とはバカも休み休み。んな前評判に苦戦を強いられつつも人の和に恵まれて。

まずは告示日を万全の体調で迎えること、そして神仏に祈るは必勝にあらず、期間中の無事故。そもそもに当選などは自ら掴むべきものにて御利益なんぞ。つつがなく投票日を迎えられれば当落など二の次、な訳ないか。万全の体調どころか降りかかる厄難は前回の投稿の通り。

肝心の選挙カーの土台はレンタカーにて少しでも借料を安くすべく納車は告示の前日、返却は最終日というのが恒例にて納車そのままに無事故の祈願に出かけるはずも、前日や仏滅。そこはケチらずに前「々」日に前倒ししての納車に現地を訪ねれど休館とは何ともな不運。無駄足となるばかりか祈祷は仏滅日となり。どことなく漂う暗雲。

事故は起こさぬ、起こされぬ、だけにあらず。遊説中、信号待ちの最中に聞こえるは衝突音。目を向ければ路上に人が。状況から察するに横断歩道を渡ろうとした自転車に右折車両が衝突。対向車線側の話にて見て見ぬフリというか、そのまま何食わぬ顔で通過することも出来たはずも。すぐ隣に倒れとるケガ人を放置して過ぎ去ったとあらば。

そんな私を横目にすぐさま駆け寄るはわが運転手。指示されるままに救急車を呼ぶ私。警察への通報はウグイス。一刻も早い到着を願って待つは数分のはずが数十分が如く。途中、気づくは反対車線に止め置きされた選挙カー。左折の専用レーン上にて後続はそのまま抜けていくのだけど、追い越しざまに注がれる視線にはたと気づくは助手席そのままのタスキ。

んな善意とて決して好意的に受け止められぬが世の常。これでは何やら私が加害者のように見える一方、事故側は路上に人ありて追い越し叶わず、渋滞の後続から見えるは対向車線に停車中のわが車両にて選挙カーが渋滞の元凶に見えかねず。

いや、単なる善意の通報者にて逃走図れども何ら咎められるものにないはずも良心の呵責に苛まれ。同乗者が全員残るは無意味。されど誰かが残らねばならぬ、いや、残ったほうが誤解は生まぬ。車を動かすに運転手、宣伝にはウグイスは欠かせぬ、とされるも私とてその位は。いや、君が、と主役を置き去りにして。

しばし後、パトカーの到着に始まる現場検証。青の点滅に横断すれど車が突然、かたや、自転車が赤信号を横断した、と食い違う証言はよくある話にてこちとて第三者を演じていたつもりが。「選挙の車が見ていたはず」と向けられる水。いやいや、そりゃたまたま居合わせただけで。

そのままじっと沿道に立つこと三十分。立たされるのは慣れているも、んな時に限って他陣営の支援者が通りかかり。何故にこんなところに候補が、と訝しげに。

そう、ハレの日が大安とは限らず。仏滅の祈願とて無事故ばかりかトップ当選。仏滅の挙式に離婚なし、って。そりゃ私が勝手に。

(令和5年4月10日/2774回)