青下

深夜のバス移動に降り立つ早朝のターミナル。名物のカレー食すことなくスタート地点まで移動してそのまま炎天下の中を。与えられし制限時間240時間、つまりは10日間。

青東「あおとう」が青森-東京759kmの駅伝ならば、こちらは青下「あおしも」、青森-下関1,559kmの一部に過ぎず。本州縦断フットレース、第二ステージ新潟-舞鶴535kmのゴールに到達した挑戦者の年齢や八十歳。さすが長寿のまち。負けじと月末のレースに向けて調整中の矢先。

それも顔ならぬ足。ほぼ全体重が親指一本に加わらば軽症で済むはずなく。医者に見せるが正しい処置と知れど、包帯巻かれて杖を渡されるなんぞ。湿布よりも氷水、冷やして伸ばさば三日で治る、とばかり。

所詮は指一本、と侮るなかれ。均衡保つに五本欠かせず。その箇所を庇わんとするに他への皺寄せ避けられず。O脚が典型例。放置すれば膝のみならず腰や上半身にも。歪みの原因や様々。古傷や微妙なクセ、筋力の衰え等々。左右対称が理想と知れどそもそもに内なる臓器が非対称なのだから。

そう、まもなく二ヶ月。肌シミとして残るとされたあのキズも今や。それもそのはず、地元のマダムから貰いし膏薬はその人ゆかりの秘伝の漢方と聞いて手にする一冊や。有吉佐和子著「華岡青洲の妻」。描かれるは名医本人ならぬ妻の生涯なれど、医者の妻たるものかくあるべしと嫁入りを説得する姑の考察。

医術を志す者と生涯を伴にするは武家の女に勝るはなし、商工農のいづれも不適格。その理由や、病は貧富の別なく襲いかかり、そこに計算高いものがいては仁術に従うものの心に影を落とす、ゆえに商家の女は不向き。一方、ものつくる家業には人を動かす才覚が家中にみちれど、門弟が増えるにこれを動かして利をとるにあらず。つまりは医に算盤無し、と。

身を粉にして働くに収入減らす宿命はそちらも同じ。全ては患者の為などと申しても治癒回復の代償が副作用であったり、時にそういう算盤、力学が働かぬとも限らず。製薬会社とて慈善団体ならぬれっきとした営利企業ゆえ。

また、処方する医者側とて選択肢は一つにあらず、そこに算盤が「全く」ないかと問われれば。昨今なんぞ患者側とて知る権利とばかりむやみやたらに説明求めて仔細を知り過ぎては不都合もありはせぬか。

日に日に増える錠剤の数。日に何錠、いや、食前、食後に就寝前に各何錠などと言われても。皮肉にも忘れた時のほうがかえって体調が良好だった、などと聞かば。確かに転倒を避けれぬは老化の証拠かもしれぬ。が、肌の代謝機能とて失われたものにあらず、あの膏薬とて実際は。あとわずか、が消えるまで、と信ずるに。

(令和5年8月6日/2797回)