角餅

大半は圧死とされる中にあって。呑まず食わずの五日間、耐え忍びて救出されるは九十歳の女性。それも身動きままならぬ状態とは。運も然ることながら侮れぬ潜在的なヒトの生命力。

未だ寒空の下、一刻も早く現地に、と申しても純粋な動機だけとは限らず。かたや遠く離れた地にあって、折角の慶事に祝意が憚られがちな風潮は何とも。

その労は寸分も惜しまぬまでも、そこに私心はないか、と問われれば。いや、それをいうなら一事が万事、職業が背負いし宿命で。上の指示にて立つ駅頭の募金に多くの善意が寄せられ。遭遇するは昨年の選挙を手伝ってくれた音大生。

この三月の卒業も未だ見つからぬ就職先。被災地の前にまずは自らの生活を、と告げるも。困っている人を助けたいとの善意は貴き価値観なれど、過ぎたるは及ばざるが如し。そんな時は理よりも情が勝りがちなだけに。前のめりにならぬよう。

そう、正月といえば。餅が入るが御当地流。小さな角餅が上に。七草粥がふるまわれ。それに併せて地元の囃子やコーラスによる童謡が花を添え。今年は暦にも恵まれてか、親子連れも目立ち。あさお古風七草粥の会を支えるは有志の皆様にて。

日頃の活動の成果か、賓客が如き厚遇ぶりに通される奥の間にて拝聴する村長の苦悩。寄る年波に抗えず不足する担い手との構図はどこも同じ。新たな人材を探さんとするに、日当は兎も角も、弁当代に交通費すら当人の負担とされるはさすがに。長である以上、目に見えぬ出費とて惜しむものにはないが、そんな事情は「彼ら」に通じとるのだろうか、と。

災害時とて然り。そもそもにこれだけの人口を抱えとるばかりか、転出入の多き本市にあって互助は欠かせず。区民同士の交流を育まんとの狙いから生まれる行事は少なからず。されど、それすらも本当に行政が主体となってやるべきことか云々と。「交流」の成果や目に見えぬものにて劣勢に立たされる行政側。

いっそ余計な仕事は手放すに限る、とばかり。そんな力学も働いてか、昨今なんぞは他との「共」催もしくは実行委員会なるものを別途。主催にあらねば意識とて。拠出の妥当性が問われる中にあって、今やペットボトルの茶の一本すらも無駄な支出とばかり。いや、彼らとて別にそれを目的に来るものになく。まぁどうぞ、と手渡されるに手つかずのままのものとて。そう、つまりは気遣いの話。

肝心なことは、彼らは頼まれて応じたのであって、自ら志願したものにあらず。民生委員然り、あくまでも本来は役所が担うべき役割を彼らが代行しているとの認識に立たねば。茶代を惜しむ代償や小さからず。日当を払わずといかに意欲的に働いて貰うか、に考え巡らせれば、そんな結論にはならないはずで。

(令和6年1月10日/2828回)