連帯

受験に同じ、知らされるは可否のみとあって。市からの通知に落胆を隠せぬ申請主。理由を添えるが親切と知れど、さすがにそれだけの件数を処理せんとするに。「否」の理由を聞くに「物理的に困難」と告げられたそうで。そう、防犯灯の話。

黒を白にするのが市議の役割とばかり。覆らねばこちらの立場が危うく、覆すに相手の立場が。一事不再理、つまりは全く同じ申請は結論も全く同じ、が役所の掟。再度の申請に当該個所の「周囲」と二文字を、との入れ知恵に「可」なりそうな気配にて。

相手は格上の政令市、といえども一点突破ならば。担い手の獲得に金銭の糸目はつけぬ、彼らに後れをとるは断じて許さぬ、と執念燃やす対抗心が全国的な注目を集め。いや、それこそが当人の狙いだったりもして。いや、それをいうなら本市とて。

公務員に準じた給与体系を保証すべく上乗せされる市費。団体側とてそれに見合うだけの高い採用基準を設け、一括採用後は育成に力を注ぐとともに、不足の園には融通を図るなど、この間、業界の為に寄与してきたことは否めぬ事実。

されど、そこに押し寄せる時代の波。園庭こそが同士の証、雑居ビルの一角では園と呼べぬ、そんなところで健全な子が育つか、との価値観の浸透を図りて牙城を死守せんとすれども。「今どき」の保護者からすれば、住めば都、預かってもらうに多くは求めぬ、と。

かたや、別の一翼を担いし幼稚園。幼児期位は親の手で、との価値観の浸透を図らんとすれども。それどころではない、三歳まで待てぬ、との世相に。ならば我々にもゼロ歳児から同じ土俵で、と参入を狙う中にあって、四面楚歌の状況に。

幼稚園は文科省、保育園は厚労省、縦割りの弊害を克服すべく創設されたこども家庭庁が示した新制度に見直される保育士の処遇。国の制度に包含された以上は、と役割を終える市の単独加算。この期に及んで兵糧を断たれるは団体の死活に繋がりかねず。

何と申しても過去に栄華誇るに自社ビル有するばかりか市の退職者を含む、少なからぬ職員を抱えてきた訳で。今にして重くのしかかる運営経費。かつては錦の御旗というか共通の目標があったはずも今やその恩恵は薄く。退会が相次ぐ中にあって先細る上納金。

かつての恩を忘れたか、この不忠義者めが、と叫んでみても、自らの園すらままならぬ中にあって背に腹は代えられず、このままでは両方とも。いや、残留組とて団体の維持に欠かせぬ経費が不足するに誰かが埋め合わせせねばならず。よもや増額なんてことは。

ならばあのビルの売却に糊口をしのぐべきにあるまいか。いや、あの老朽化著しき状況に買い手など。更地返還するにも安からぬ解体費が。仮に解散するにも連帯責任とばかりに負債を背負わされては。早めに逃げるに限る。

以上、勝手な想像なれど、貧すれば何とやらで。いや、本当に笑えぬ話。

(令和6年1月15日/2829回)