部活

そう、昨年、実家の貸家を一つ処分したのだけど、その額を知るに。んな話を大学時代の友人に話さば、悩みは同じ、売れるだけマシ、当方の実家なんぞは無償とて買い手がつかぬ。何せ隣家まで三キロの農道に灯りなく、土地の人にあらねば夜など車の片輪を田んぼに、と。

風強き日は沿岸に雪降らず、というか、大雪にはならぬ、というのが通説とされ。冬は北風、海面から蒸発した水分が作る雨雲がシベリア寒気団に晒されて。重量が増すに山越えられず。降雪なる荷を下ろした後は上州名物からっ風となり。距離にしてほんの数十キロのはずが山一つ隔てただけで分かれる明暗。国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった、との有名なあの一文こそまさに。

防寒具はマフラー一つ、外は雪景色の土日にあってスーツ姿に革靴の乗客など。降り立つは北陸新幹線の上越妙高駅。そう、郷里のスポーツ協会が催す表彰式の来賓として。いや、来賓と申してもあくまでも「代理」。会場を埋めるは全国大会にて活躍を見せた地元の子供たちと保護者を含む関係者。数にして三百は下らず。たかが一枚といえど、やはり壇上にて称えられるというのは励みに繋がり。

式典後に催されるは講演会。当初に予定された講師は元全日本監督なれど、相手方の都合により、と急遽の代役に抜擢されるは地元の大学教授。知名度こそ遠く及ばぬまでもそんな方の話こそまた気づきもあったりするもので。「ジュニアスポーツの現状と新しい学習論~部活動地域移行の問題解決に向けて~」と題した内容。

我らが世代などは加入が常識とされた部活動の全盛期。打倒どこぞの中学などと練習に明け暮れる日々。私など補欠といえどそれが当然の如く。当時の所属はバレー部。顧問をつとめるは社会科の先生。年齢とて定年迫る中にあって、よく自ら我らが相手を。土日の練習に対外試合の遠征とて教え子らと過ごす時間こそ宝とばかりに。

いや、今とてその教育的意義こそ否定されぬまでも働き方改革が叫ばれる中にあって部活動を積極的に推進する理由に乏しく。指導者も含めて地域にて。いや、地域と申してもそれだけの指導者を探さんとするに。ましてや、学校側の関与がなくなるに肝心の施設利用とて保証されぬばかりか、団体種目の全国大会などは依然と学校対抗となる訳で複数の学校による混成チームなど。

そうそう、今年の目標レースを定めるにかねて耳にしたあのレース。ウルトラランナーならば一度は挑むべしとされ。徹夜で挑む体力の限界にゴール寸前の山頂で拝む朝日は格別とか。サロマ湖に並ぶ人気を誇るレースに出場の資格制限こそなくも限られる出走枠に群がるランナー。正攻法ではまず不可能とされる中にあって春の予選会にて上位に入らば本戦への出場権を獲得できると聞いて。

(令和6年1月31日/2832回)