主菜

コース料理に同じ。まずは前菜、一皿、二皿続いて主菜となるべきも。主菜二つを並べしシェフ、ならぬマエストロの意図。一つは「田園」、そう、誰しもが一度は聴いたあの曲、ベートーヴェンの交響曲第六番。そして、もう一つの主菜。

当時、それが二十世紀屈指の名曲とはにわかに信じがたく、演奏時間が長からぬのがせめてもの救い、不協和音にしか。バレエ音楽を源流とするロシアにあって気鋭の作曲家。初演の舞台やパリのシャンゼリゼ劇場。「頭がイカれてる」「天才だ」「音が聞こえぬゆえ静かに」との批評はサン=サーンス、ラヴェル、ドビュッシーとされ。大御所にしてそんな状況なのだから聴衆が暴徒化するのも。

私をこの世界に誘いしKセンセイとはこの曲を巡り最後まで。前衛と解釈すれば腑には落ち、との私に対して、前衛ならぬ保守だ、と譲らぬ相手。これが保守とは未だ分からぬ境地なれど、古典の王道を相手に劣らぬ、どころか。古典と前衛の対比こそ指揮者の狙いにあるまいか。ハルサイことストラヴィンスキーの「春の祭典」。やはり「屈指」かも。

曲を巡る争いはそれに限らず。あの独裁者の心酔は知られたところにて彼の曲を国内にて演奏するは断じて許さぬ、と政府筋。さりとて、曲に罪なく、聴く機会すら奪われるは何とも惜しい。嫌なら退席とて御自由に。騒然とする会場を静めるに数十分を要したとか。指揮者バレンボイムが選びし一曲はワーグナー。確かに「結婚行進曲」など。

閑話休題。月一回のコンペに「たまたま」出席の返事すれば、あいにくの。朝に中止の連絡が来ぬ以上は。現地に向かわんとするにすれ違うは市の清掃車。選べぬ天気。彼らは雨であっても。キャディの確保とて然り、かつては生じたはずの違約金も今や一番ティーに立たぬ限りは生じぬそうで、そこの心配こそ消えれども。安からぬ対価を払う以上は雨の中なんてのは。

事実、駐車場の車などごくわずか、コース上にプレイヤーの姿なく、内心は「全員」が中止を願っていたはずで。会長に向けられる視線。されど、ここで解散と宣言するに。帰るに帰れぬ、帰れども亭主なんぞは家の御荷物なのだから。とすると一日の居場所なく、予定を入れた以上は。と複雑な胸中を察してか、ならば希望者のみ、と下される結論に帰宅を選択する参加者おらず。雨の中を最終ホールどころか十九番ホール、つまりは反省会まで。

借りたものはきちんと片付け。んな時くらいは協力の姿勢を。年に一回の校庭の側溝掃除、いわゆる「どぶさらい」に伺えども人の気配なく。確か今日だったはず、と相手の携帯を鳴らせども応答なく。帰るに帰れぬは雨のゴルフに同じ。その格好のままにランに興じるに気づく異変。そこにあったはずの街路樹が。ただでさえ幅員狭き歩道にあって街路樹にその樹種を選びし見識の低さ。今や立派な胴回りにて撤去するにも。あの中古車店の心境とて。

緑化フェアの到来に何も増やすばかりが能になく。ちゃんと市民目線で市の仕事ぶりを見ておりますゆえ。いや、帰るに帰れぬ。いつも居場所がないだけで。

(令和6月2月25日/2837回)