二兎

イップス、などと高校生に笑われるは心外、今に見ておれ、目にものを、と意気込めどもこればかりはランと違って「いつでも」「どこでも」とはいかず。照明まぶしき練習場に、夜の八時以降にスーツ姿で現れて、格好そのままにワイシャツの袖をまくり上げ、眉間に皺寄せて振っているバカがいたら、私。

それでいて刻一刻と迫る予選会にランの練習量とて減らす訳にいかず。寝る間も惜しんで。そんな日々を続けるに生じる違和感、というか「肘痛」。生来、備わりし回復力に一夜寝れば、いや、今やそこまで若からず、二夜、三夜、と費やさば「元に戻る」というのが、この間に学んだ経験。

一日の長ありしランにおいて膝の故障は致命傷になりかねず、ただただ静養あるのみ、と知るに肘と膝の類似性や。痛み生ぜし原因は何か、いかに治すか、限界を知り、あれこれと煩悶するもスポーツの魅力。ランとゴルフの二刀流。そう、あの当時も。

政令市にあって地下鉄を有せぬは恥、なんて意味不明な理屈がまかり通りし時代。当時は本市単独の地下鉄計画、縦貫鉄道なんて構想があったから。一兎といわず二兎を、と質問ぶつけるに、二兎の結末は格言の通り、表現を変えたほうが、って。いや、酒だってちゃんと「二兎」なる銘柄が、旨いんだよナ、これが。

話を整理するに、JR南武線の武蔵小杉駅以南の高架化を画策する本市には隣市の、かたや、自営地下鉄の延伸を目論む向こうには本市の協力が不可欠、と新たな二兎が合意され。かねて地元の悲願にて一歩踏み出したことに大きな期待が寄せられ。「開業いつぞな」と聞かれるに、「およそ十年、生きてその目で」と高齢者を鼓舞してきた訳で。

既にあれから五年、情報が途絶えるに駆られる不安。様々な憶測を呼ぶ中に飛び交うは「三年」の延期。折しも来年度予算の審査が迫る中にあって、何をまごついておるのか。根拠なき三年の信憑性を確かめるべく担当に迫らば、国の認可が下りぬ。何を今さら。

資材の高騰にコロナ以降の需要の低下等、収支が見込めぬ。まずは赤字を何とか、というけれども、それを解消する為に延伸を図るのであって、順序が逆。が、悲しいかな、んな発想は役人に通じず。ならば、国の認可基準と現行の計画にいかほどの乖離があるのか、それが百億単位なのか、一千億単位なのか、工事費なのか開業後の収支なのか、と詰め寄れど。

あくまでも事業主体は横浜市。国との交渉はそちらにて本市が口挟むも憚られるとか。金を出す以上は口も当然とばかりに、様々な想定の下、計画の再考を促され。将来の需要などと申しても誰が今回のコロナなど予測できたか。この手の話は「えいやっ」と決断を下す中にこそ道が拓ける訳で。一年で埋まらぬ溝は三年待とうが。

この期に及んで、計画に示されし年次の開業はもはや不可能、「延期」と知らされるに寿命縮まり、日本一の返上、なんて。

(令和6月3月5日/2839回)