烙印

贔屓の作家の訃報を「最近」知るに手にした一冊。最愛の妻を失いし失意の中にふてくされる主人公がその人との邂逅を通して日常を取り戻していく。「いねむり先生」と申してもどこぞの市議の話にあらず。そう、坊や哲、その人にてこの御仁の作品もほぼすべからく。

多くの思い出残し学び舎に別れ告げるに快く見送るが在校生。せめてそんな時位は。歴史に残る一戦を交えし局長への餞別。自らの質問中、クラシックの作曲家になぞらえるに今は亡き往年のKセンセイが如くとの評。だってそのままに当時の話の引用に過ぎず。Kセンセイとも浅からぬ因縁。ぴったりの表現を用いるにセンセイとて。何を言ったか、会議録の検索にて「ブルックナー」と。

それは確かに弁明の余地なき役所の過失、もしくは不可抗力なれど、事が浮上するたびに、寄ってたかって叱責するなんぞ。両親から責められてはグレるが子の心理。父が厳格ならば母は包容力を。やはりどこかしらに逃げ道が。

何ら苦労なきおぬしには彼らの心境など、とは妻。いや、悩みなきがゆえに他人に寄り添えるのであって。当人が悩んでいては他人の手助けなど。いや、あくまでもそう「見える」だけの話。どこに悩みなきめでたい御仁など。

ということで、本日の話題。そもそもに、不登校なんぞはゲートに入らぬ競走馬に同じ、尻を叩いてでも。言語を有する人とあらば叩かずと。大人の仕事に同じ、それが本分である以上、いかなる理由があろうとも。それが単に「気が向かぬ」など理由になるか、それを放置する親とて過保護以外の何物でもなく。とは昭和の価値観。

行かぬ自由を貫くは当人の勝手なれど、因果応報、そのツケはいづれ自らが払わねばならぬ、と冷たくあしらう向きもあるやもしれぬ。いや、私とて当事者の復帰に手を貸す労は惜しまねど、少なくとも当事者側とて集団に順応せんとの意欲なくば、なんて他人行儀な視点で眺めていたのだけれども。今回の予算審査特別委員会にて耳にするは同部屋の各務雅彦君(多摩区)の質問。いっそ、不登校なる言葉の使用を廃止すれば、と教育長に詰め寄っておられ。

言葉なくさば確かに「消える」、が、それはあくまでも表面上の話にて根本的な解決には程遠く、と当初は私も。されど、理由を聴くに、その言葉自体が持つ響きが彼らを呪縛しておらぬか、との投げかけ。確かに不登校といわば「わがまま」な生徒であって、どこか人間性に足りぬところがあるかの如く見えたりもし。私ならば一顧だにせぬも、そりゃ苦労なき半生の産物、そもそもにそんな無神経ならば。ぐさりと刺さる妻の一言。

不登校なる烙印を押されし当事者の苦悩。復帰するにも周囲の冷やかな視線に晒されかねぬとの恐怖心。受入側に寛容な姿勢を育むこととて決して損にはならず。虚実皮膜、まさに紙一重のそこにこそ核心があったりするもので。役所の追従的な質問多き中にあって、新たな気づきを与えてくれる質問というのは。

こんな仕事をやっとるとついつい。目線は低く。

(令和6月3月10日/2840回)