桜餅

当日の夕刻に見かけるは「完売」の二字。機を逸すれども月内は継続と聞いて立ち寄るに。あった、桜餅。卒入学に欠かせぬは紅白饅頭。忙しそうで、と店主に水を向けるに、今や注文なく、その理由やアレルギー有する生徒への配慮とか。当該生徒に罪あらず、何も全体でそう決めずとも。せちがらい世の中で。

新庁舎の見学が絶えぬとか。それだけの税を投じた以上、中の使い勝手とて向上して然るべきのはずが。上席の電話が鳴らば誰かが応ずる、というのがこれまでの常識。職員録に記されし番号を回すに表示されるは不在転送の文字、転送と見れば留守電もしくは他の誰かが、と期待すれども応じる気配なく。いや、たまたま周囲に人が居なかっただけの話。しばし後には、いや、他局ならば、と鳴らせども。

そう、移転後に配布されるは携帯型の通話機にて自席に居らずとも。今までの伝言の煩わしさも解消、というけれども肌身離さず持ち歩くに気が休まらぬ。会議中とて振動あらば注意はそちらに向く訳で。仮に取れずともちゃんと相手の履歴が残るゆえ折り返しが可能というけれど、五分と待てぬが市議。ほんの一分、伝えたいことも伝えられぬ、肝心な情報を提供せんとすれども、もう知らぬ、なんて。

対する向こうとて、市議からの着信とあらば再三再四。それが会派の代表番号ならば受付もしくは部屋内の誰かが応じるのだが、鳴るは机上の直通。とにかくうるさくてかなわぬ。何度かけても繋がらぬ電話に「双方」に募る鬱憤。そればかりか鳴り止まぬ隣りの電話に周囲とて。そんな状況でいい話など出来るかね。

最新鋭の機器を導入した本庁よりもそのへんに無縁な現場のほうが。「所長はいるかね」「あっ、向こうに。今、こちらに向かってます。早足で」なんてほうが、人間味があって。

一向に鳴り止まぬはこちらも同じ。喚問と申しても目的やそこにあらず。応じねば卑怯だ、応じれば対応が遅い、弁明を聞かば回答にならぬ、謝罪すれば責任を、と。何を申しても否定されると知らば、知らぬ存ぜぬ、になるのもむべなるかな。その陰湿さや学校のイジメに劣らぬ。

口を開かば相手の批判しか出来ぬ当人の精神構造を心配してみるも。やはり、卑屈になるには卑屈になるだけの理由がある訳で。とりわけ、幼少の境遇、それも貧富以上に情緒面、つまりは周囲の人物に負うところが大きく。自らの存在を他に認めて欲しい承認欲求の現れ。情の不足か。

いや、政権側とて綱紀粛正、国民の信頼を、と必死に訴えれども通じぬ誠意。対する野党方とて本人たちの狙いとは裏腹に上がらぬ支持率。自ら墓穴、というか周囲に対する嫉妬心、そうとしか物事を見れぬ大人を量産しとるようなもので。いつまでも重箱の隅を突くような議論は聞くに堪えず。

単なる不記載と侮ることなかれ、法に抜け道、逸脱した非は詫びねばならぬ。が、日々それだけの時間を費やす位ならばもそっと他に。国会たる役目とは何ぞや、と問いかけてみたくも。やればやるほどに悪循環に陥る事例とて少なからず。そこが見えないと。

(令和6月3月20日/2842回)