再審

聖域を侵すべからず。神格化される権威も今や全てが映像に残るばかりか世に知らしめられる時代。ならば可視化してみよ、なんて。それでも大相撲などはあくまでも試合後の判定なれど、種目によっては途中のプレーを巡り再審を仰ぐことも許されたりもする訳で。途切れる集中力に試合の流れとて。ということで、判断を巡る話題から。

長引く咳に下されし診断は気管支炎。安静こそ最高の薬と知れど仕事は待ってはくれず、回復せぬままに臨むレースに天も味方せず。窓外の雨音に起こされる朝、横たわるは人里離れた山荘の広々とした部屋。そのまま再び目をつむりさえすれば。いや、それとて、チェックアウトまでの数時間、その後の予定を鑑みるに。やはりそこに一日を費やすが賢い選択に見え。雨の日の完走などいい思い出に。そう、物事は万事前向きに。

ランよりも登山が如き格好、上下のレインウェアに身を包み、車で移動すること一時間。テンション高きまま受付を訪ねて告げられるは「中止」の報。天候上の理由とされど釈然とせぬ選手ら。ロングの部50kmなどは既にスタートしており、当時のほうが雨足は強かった、はず。えっ、そちらも中止?しかも途中とはこちら以上に残酷な。

悪天候の中に決行して万一事故でも生じた際に問われかねぬ主催者の責任。それとて、当日の出場はあくまでも任意。欠場とて何ら咎められるものでもなく、あくまでも自らの意思で出場を決めた以上は自己責任、と大半が認識すれども。ほんの一部、いや、わずか一人が騒ぐことで主催者側の非を問われかねず。必ずしも騒ぐとは限らぬ、が、そんな見えぬ不安も判断に微妙に影響していたりせぬか、と。

そう、巷にて耳目集めるはその話題。いわゆる客の迷惑行為への対応ということらしく、おらが市議会でも。何かあるたびに法制化が叫ばれて、正義感に駆られるあまり。制定後はさも自らの手柄とばかり宣伝されども喉元すぎるに。律令国家といえどもこんな法律が多い国は他に。ということで、条例化の是非はさておき、事態を深刻化させる背景や日常にありはせぬか、というのが今日の。

典型例があの末尾に付きし漢字一文字。客を客と見なさぬ提供側の傲慢な姿勢を窘める意図や分からなくもなく、いや、事実、そんな態度に辟易とさせられた苦い経験を有する人も少なくないはず。が、逆にへりくだり過ぎるがゆえに相手を増長させておらぬか。

そして、もう一つは発車間際の駆け込み。激突するに自らの非を棚に上げて駅員に因縁をつけるなど始末に負えぬ。ドアの開閉に見るアナウンス。ドアが主語にならば述語は「しまります」。目的語とならば「しめさせていただきます」と、低姿勢な言い回しもあれば。どこぞの私鉄など、ドアを「しめます」と有無を言わせぬ言いっぷり。

が、この期に及んで、そのくらい毅然とした言い方のほうが世の秩序を維持するに一役買っておらぬか。前段の再審とて然り、我こそが正義、断じて口は挟ませぬ、なんて傲慢さが相手の引金になっていたりもして。

それにしても、中止といえども返還されぬ出走料、いや、それ以上にレースを逸したことで生じる調整の狂い。何せ次は三年ぶりの。

(令和6年6月15日/2859回)