疎開

南足柄市と聞いて浮かぶは足柄山の金太郎ならぬ、父の疎開先。奇縁にて知りあいし御当地の市議。少年時代の記憶と申してもあれから既に八十年。通いし小学校の名と近くにありし公民館、そして、ミカン畑が広がる農家、の三つを手がかりに疎開先の家を探し当てて下さったそうで。最後の孝行とばかり高齢の父を連れだって果たす感動の再会。その後、まもなく永遠の眠りにつかれたと。

当時の礼は言い尽くせぬ、とは横浜市の元議長。久々の再会も肝心の相手や既に改選期に辞職されて今や病床の身。今も残る当時の局長が相手をして下さったのだけれども語られし当人の過去。

ああ見えて当時は異端児というか屈指の「不良」にて質疑中にも野次は飛ばすは勝手に席を立って市長との直談判を始めるは、誰も手に負えなかった、と。皆様とともに議長会、その会長を務めた晩年は本当に温厚になられ。三政令市の皆様が支えて下さったおかげです、と。

さて、迫りくる代表質問に用意した私の原稿が「ボツ」になった、とか。折角の原稿を何するものぞ、なんて憤慨はせぬよ。大事なのは過程。その過程こそ成長の糧になるものであって作品など過去のものに過ぎず。いや、何と申してもボツになるとはそれだけ「尖っていた」証。

具体的な内容に今後の対応云々と「平凡」な項目などまさに予定調和の最たるもの。待ってましたとばかり延々と答弁が続き、いつの間にか最質問の時間が足りない、なんて。

むしろ厳しい質問とあらばそれ自体が世の賞賛を浴びるばかりか、その中にあっても頑として妥協を見せぬ答弁は同じ内容といえど一層の価値を有する訳で。これぞ、見てよし、聞いてよし、答えてよし、の。バカだな。

で、肝心の内容は指定管理者制度の是非。制度の施行から二十年。利用者の目線が主であるべきも、こと近年はそれ自体が目的化するあまり。民間ありきで検討が進むこと自体、社会的な風潮に追従する安易な選択であって、公務員としての矜持に欠けると言わざるを得ぬ、と。

確かに当時は役所の特権とばかり他の参入を許さず、民間に、との選択は正解だったと思うけど。それとて、本来ならば、そこに何がどう変わったのか、何故に直営では出来なんだか、と思考を巡らすべきところ、契約後は手が放れたとばかり。

とにかく「つつがなく」と。とすると契約額とてとりあえず予算内におさまっていれさえすれば、なんて。とどのつまり、発注側が握るべき手綱が相手側に握られておるまいか、と警鐘を鳴らしたつもりが。ということで、出かける先は。

雄大な大自然を生かした国内屈指の名門にて遭遇するは野生のキジ。繁殖期にあって警戒心から姿をくらます中にあっても相手に居場所を知らせねばならぬ。草むらに鳴くは結構、されど、フェアウェイの上にいては外敵に。いや、オレのボールが当たっても知らんぞ。

(令和6年6月10日/2858回)