寝袋

どこまでも果てしなく続く青とランナーたちの爽やかな笑顔。そんな表紙に魅せられた人は少なくなく。十回の完走に与えられる称号の名や「サロマンブルー」。以後、出場の際は別色のゼッケンが付与されるばかりか、湖畔のスポーツセンターに記念の足形が飾られるとか。

そこに名を残そうとは思わぬまでも、肉体の限界が近づく中に見る湖面の夕日や得がたい体験、まさにウルトラの聖地などと。が、そんなレースとあらば、どこぞの来日公演に勝るとも劣らぬ人気。落選すること三度にして縁あらず、と放り投げて数年。役所のN部長に一緒にどうか、と誘われて。百年の節目に聖地巡礼百キロなんて。

朝五時のスタートはこの種目の常識なれど、ワンウェイ、つまりは片道に伴う移動。ゴールからスタートまでの送迎バスの出発は午前三時。が、その前に宿からゴールまで更に二百キロを移動せねばならず。仮眠三時間にて車を運転すること三時間。まずはアクシデントなくスタートラインに立てるか。立てねば完走の権利すらなく。

移動時間に待ち時間、体力を回復するは寝るに限る、と知れども退屈しのぐに欠かせぬは。フィナンシャルタイムスの記者がそそのかされて挑むレースの舞台や砂漠。降り立つ空港にて出迎える主催者に告げられるバス時間。これから百マイル(160km)に挑まんとするに八時間も空港で過ごすなどあり得ぬ、と抗議せんとするに周囲を見渡せどおらぬ援軍。助け求めんとすれども既に寝袋を取り出して。何をバカな。

ウルトラマラソンへの挑戦とその道のスペシャリストへの取材を通じて広がる世界に覆される価値観。日々の快適さが必ずしも幸福を意味するとは限らず。バカなレースに出ているとそれすらもフツーのことに思える不思議。たったそれっぽっちのことで。「ウルトラランナー-限界に挑む挑戦者たち-」(アダーナン・フィン著)。

サロマ湖100kmウルトラマラソン。湖畔にて起伏少なきコースと知れども、それを追認するほど甘くなく。その代償たるや制限時間。たった一時間と侮ることなかれ。中間層、いや、下位三割のランナーにはその一時間が。こちとてその道の経験や三十年。およそそこに誤差があっても気力と根性で克服できるはずが、出来ぬは年齢、いや、練習を怠りしツケ以外の何物でもなく。91.5kmの門限に。

DNFとはdid not finishの略、継続不能。「失格」とは何とも冷酷な表現にあるまいか。若かりし頃ならば人には言えぬ屈辱も今やそれすらも許容というか楽観的に。レースだけ見ればどう転んでも健康的には見えぬ。が、そこに向けて心身を整える、日々の意識を向けるに。月額ウン万円を投じて通う下手なスポーツジムよりもよほど。

完走の達成感や否定はせぬ。が、不思議と断念したレースのほうが記憶には残るもので、何よりもそこに見出す新たな目標が。来年こそは、なんて。負け惜しみか。

それにしても沿道の応援に運営スタッフの皆様のもてなしは見事なもので。

(令和6年7月5日/2863回)