飛脚

母が子に聞かせる偉人伝や信玄公。越後にあって主人公が違うとぐずる幼児。そんな料簡が狭いことでは大成せぬ。越後の房五郎ならぬ日本の房五郎に。旅をせよ、と母に背中押されて郷里を後にする少年、房五郎。

幕末にあって辿り着くは長崎。待てど届かぬ郷里からの荷。これ以上は待てぬ、と出立を決めども放浪の旅ゆえ向こうの住所が定まらぬ。決まり次第、手紙を出すゆえ、そこに荷を送ってくれぬか、と頼まれるおその。それから数年。荷は送ったとは母の証言。江戸の住所とて知らせたはず。何故に荷は届かなんだ、と詰め寄られ。

そこまで疑われるは甚だ心外、受け取りし一朱銀は手つかずのままゆえお返し申す、と。おい、旅籠の下女を相手に難癖つけて騒ぎ立てるは男の風上にも置けぬ。オレが代わりに相手を、と割って入るは若き日の勝海舟。荷は届かぬ、されど、貰い受けし手紙の返信にその旨をしたためた、と語るおそのに「悪いのは飛脚じゃねえか」と海舟。その一言に着想を得てか。

今日の郵便の礎を築きし前島密や郷里の偉人なれど未だその生涯を知り得ず、書店に並ぶ一冊を手に取りて。「ゆうびんの父」(門井慶喜著)。切手一枚、距離を選ばず。全国津々浦々に巡らす配達網。収益生むは規模に負うところ大にして。都市の利益を地方にも。それこそが「広域」の役割にて。広がり見せぬ特別市。所詮は政令市と県との権限を巡る話とばかり。かたや、都構想に道州制と広域化の動きとて。

そう、新たな消防車両の購入に見るはその仕様。県下同一の中、その市だけ明らかに違うとか。特殊車両にあって量産化が図られれば調達コストは下がるは常識、なれど量産化と呼ぶには些か。購入に補助を出してくれるならばまだしも車種を指定される中にあって業者との癒着、腐敗の温床にならぬとも限らず。内政干渉とばかりに県の関与を拒む、「独自」にこだわるも市の判断。規格の統一か選択の自由か。

隣市までの搬送に要する時間。せめて、小児と救急位は自ら、と欲せど、作っても採算が見込めず。そんなところに目を配るが広域の役割にて。そう、区割りされた医療圏の病床数を決める権限を有するは市ならぬ県。南北二つとされる本市の北部圏において病床増が予定されており。急性期ならぬ慢性期、というか回復期の病床。時を同じくして隣接の東京都とて本市側に相当数の病床増を予定されている、と聞くに。

広域と申してもそこに境はある訳で隣りとの調整やいかに、というのが一つ。ましてや、既存の病床に未稼働とて少なからず、新規の病床の前にまずはそちらの活用こそ優先されるべきにあるまいか、というのが二つ目。いやいや、余計なことを言うな、不足ならぬ過剰なのだから利用者からすれば歓迎されこそすれ。

いや、未稼働の理由とて「人手」に負うところ大にして。求人に出せども埋まらぬ人材。過熱する看護師の争奪戦に暗躍するは。手数料や年収の数割が相場と聞かされるに。不安定な経営のツケは、そこを懸念しとる訳で。

(令和6年7月10日/2864回)