歌集

鳴るは「皆無」と知りつつもつきまとう恐怖心。災害時とあらば尚更に。局長級の管理職に渡されし直通の無線機。万一の際に、との意図は分からんでもないが、さすがに寝床の横までは。不安は増幅されるもの、いづれ風呂やトイレまで。むしろ、「する」ほう「される」ほう双方に過度なストレスがかかりはせぬか、他に手段がない訳ではないのだから。双方、身軽に限る、と老婆心ながら。

ごみ収集然り、雨風も仕事は止まらず。朝の区役所を訪ねるに閑散として。部下は現場に駆り出され、と留守を守るは課長。近年はたびに開設が当然とされる避難所も実際の利用者はどうか。指示の発令に早めの避難と急かされど、外は土砂降り、外出そのものがかえって。が、川の水位に田畑の状況、危機迫りくる中に心配尽きず、じっとしていられぬは働き者の証拠でもあり。

予定されし学園祭に迫りくる台風。テントの設営に備品、提供品の買出しも終えて願うは天気の回復。いつもならば一両日にて列島を通過するというに遅々として。中止か開催か、生徒らの心境を察するに決行とされ。やはり、そうでなければならぬ。防災訓練の中止に寝ていられぬは私も同じ、働きものゆえ、違うか。出立に際し、校門内は電子マネーに限る、と聞いて。

当日の客は全て生徒とは限らず、保護者や近隣の高齢者も予想される中に現金が使えぬなどとバカげた話があるかっ。若者を相手に一つ世の道理なるものを、と腰上げど「来ぬで結構」と息子。そう、昨今は科学に頼り過ぎていかん。きじ鳴かば地震、はちの巣が根元にあらば台風、との伝承残るとの記述を見かけ。昔はこのへんにもキジがいたんだナ。

積み上がる市販の本の読み飽きて古本漁る目は輝けり、と慣れぬ一首。五七調は歯切れよく。旧家からその手の本を借り、読む一冊に故人の歌集あり。「川幅をみたし濁流ながれくる夜来の雨や二百ミリ越ゆ」とは平成元年。幼くして父親を亡くされ、小四に詠みし「竹の子ののびゆく初夏やわれもまたまけずのびたく一人書をよむ」の入選がその道の端緒と巻末に。

その後、教職に身を投じて一筋四十年。趣味や天文。何せその日の生まれ、七七七がそろわずと歌集にもある通り、大正七年七月七日ならぬ六日生まれだそうで。老へども失せぬ好奇心。「望遠鏡積みゆかんと七十歳過ぎて四輪駆動車を買ふ」、「三つ星のこのたしかな等間隔神も物指を用ひ給ふか」との一首に星座浮かぶは我も亦。オリオン座にてグルメにあらず。

そんな先生との談議や忘れがたく。いつぞやに芭蕉の句「荒海や佐渡に横たふ天の河」を巡り。天の川は七夕。とすると詠みし場面は夏の海であり、荒海は想像しがたく。いや、仮にそうだったとしても空に雲あり星空は見えぬはず、と理詰めにて。

博学の好々爺なる思い出しか持ち得ぬも当時はビンタ先生と畏怖される存在だったとか。歌集から二首、「一言が子等傷つけし事もあらん悔のみ多し教師四十年」、「先生と呼ばれ自ら省みずわが人生は欺瞞に満つるや」。先生に学びし教育論に天文談義を回想しつつ。

(令和6年9月5日/2875回)