不良

取得しにくい風潮に為政者自ら範を示す、との心意気やよしなれど。世の為に身を粉にして働かんとする姿勢こそ共感を呼ぶ訳で。取得は勝手、わざわざ宣言せずとも。それが当人の売名にしか。そう、育休の話。仕事を優先、というよりも、内に口を挟むなと妻に固辞され続け、迎えた高三の夏。志望校の選定が大詰め、とか。

その「一日」に全てを賭すにリスク大きく、学校の推薦枠が獲得できれば。推薦か一般入試か。こちらの関心や偏差値ならぬ学費にあり。再考を促さんとするに、両親ともに私大卒にあって子に公立以外の選択肢を与えぬとは親としていかがなものか、と娘。この親不孝もの。迫る総裁選にあって大学の無償化こそ。この四月から何とか、無理だな。

秋リーグの開幕にあって宣誓ひきあてるは小さな主将。坊主こそ球児の証なれど、刈り込んだ髪型に浮かび上がるは模様柄。これが立派に。人は風貌によらず。

高層ビル群の中の遊歩道に「禁止」の文字。歩行者に迷惑になる行為はやめましょう、とか、もそっと婉曲な言い回しはないものか、といぶかしげに眺めてみるもどこ吹く風と彼らたち。おい、字が読めんのか、とは言わなんだ、いや、言えなんだ、けど。「スケボー」禁止と名指しの看板。治安を維持するに欠かせぬ彼らの権限。今や知らぬ、当時はただその身なりをしているというだけで警察官から職質を受ける機会が少なくなかったとか。

さも昔からその種目を市として応援していたかの如き豹変ぶりも真実を知るは彼ら。行き場がないから「路上」なのであって、それがまた彼らの評判を落とす悪循環。遡ること十五年前、見かねたM君が彼らに場所を、と。舞台は路上ならぬ市議会。当時などは不良の溜まり場になりかねぬ、と役人ばかりか市議会、それも自らの会派内さえ味方なく、四面楚歌の中に。ダンス、3on3にスケボーが御三家とされ。

M君がこだわりしは二つ。彼らは真剣、御情け程度の完成品ならば要らぬ。私が求めているのは世界に通用するホンモノ、と本場のプロの助言をもとに。事実、立地こそサッカー場に隣接した公園の片隅なれど設備や一級品。そして、もう一つは「スケボーパーク」なる名称。とにかく「特化」が大事と。こればかりは相手も譲らず、呼称は勝手としつつも、あくまでも従来の公園の一角、との扱いで。

晴れて迎えし除幕式、本来ならばそこでめでたしのはずが。それは実現の功績というよりもあくまでも市議なる役職にあてがわれた来賓席にて式典を見入るM君。野球の始球式ならばまだしもスケボーバンクのこけらおとしとあっては挑戦者なく。彼らからボードを借りて自らバンクに挑戦。悪からぬ演技も着地に失敗して派手に転倒。スーツ一着を台無しにして。

熱狂ならぬ笑いの渦にあって生まれる共感。こんどの選挙でオレたちに手伝えることあれば、との申出に、「いや、いらん」と。あの頃に遊んだ少女が立派に育って金メダリスト。公園の周辺に横断幕が垂れ下がる景観は当時とは隔世の感とか。

(令和6年8月30日/2874回)