苦行

安物、には違いないのだけれどもほつれし糸。自宅にて背広のボタン直しを頼むに。嫌な顔一つ見せず器用に直すは妻ならず。ほつれたるボタン直すや愛娘、と一句。季語がなかった。

日中ならぬ朝イチとあらば、つまりはそういうことにて。朝七時前の着信の主や銭湯の番頭、昨夜とて湯に浸かり疲れ癒したばかり。はて、酔紛に粗相、よもや支払いでも忘れたか。受話器を上げるに「ハッピーバースデー」と。そう、当日や私の誕生日であり。番頭の通話に知るや誕生日。またも季語なし。

そんな日は重なるもので、同じく朝の着信や支援者のOさんなれど、こちらやどう転んでも祝福には見えず。姿勢にリズムにステップに、と健康に一役買うばかりか異性が相手とあらば。一部の間に社交ダンスが人気とか。そんな社交ダンスの指導者Oさん、いつぞやにスポーツセンターの借用を求めるに難色示され。

拒まれし理由や靴による床の損傷。が、昨今なんぞは靴底シートが広く浸透、着用を条件に使用を認めるところも少なからず。談判に及ぶに使用可となった「はず」なれど。訪ねし窓口にて若い職員の手ほどき受けて手続き進めるに割って入るは管理職と思しき人物。ダメだ、認めぬ、とすごまれて。こちとら役所の承諾も、と告げれど、聞いていない、とにべもなく。

冷静な再考を促すも沸いた熱湯はその場では冷めず。オレこそがルール、と言われてしまえば。温厚なOさん、よほど腹に据えかねたに違いなく。転んでもただでは起きぬ。持ち帰るは当人の正体。元教師とか。直営時の委託先や市の外郭団体にて彼らの再就職先になっていたはずも、今や民間の指定管理者にあって、今以て彼らが在籍するは何かしらの、と他に飛び火しそうな勢い。

彼らとて生活のある身、私なんぞは咎めはせぬ。が、そこに職を得るに、自らの実力などとゆめゆめ思うことなかれ。古巣に感謝し、利用者たる市民の皆様に喜ばれる対応を心がければセンターの評判、ひいては本人の雇用継続にも有利に働きそうなものなれど。逆に、所詮、学校の先生なんてのは、と悪評広がるは何とも惜しく。

そう、本年最後のレースを終えた。舞台や信仰の聖地。開会式では読経による安全祈願。僧侶たちが修行に励みしその山道を歩く、いや、「走る」ことで身を清め、悟りを得ん、とか概ねそんな趣旨だったかと。とすると、年の最後を飾るに最高の舞台。一年を振り返らんとするも余裕なく。

水平距離40kmはさほど苦にならぬも、上りの足し算、累積標高2,700m。スタートとゴールが同一とあらば。それだけの下りもあり。下りこそ楽に見えるも肝心なのはその角度。スキーとてなだらかならば周囲の景色を愉しむ余裕も生まれようが、急斜面とあらば足下しか。こぶの急斜面をボーゲン、いわゆる初心者のハの字型で下るようなもの。

もはや若からず。あれだけの急坂を重力に任せて軽やかに駆け抜ける芸当なんぞ。ましてや落葉下の見えぬ石ころに転ぶに軽傷では済まぬ。下り坂ほどそろりそろりと。上りこそ抜かれはせぬも、下りでは何名の後続に抜かれたのだろう。仕事を終えて会場までの夜の移動や片道100kmを超え。第10回身延山七面山修行僧レース。安からぬ参加料を払い、修行ならぬ苦行を終えた。

(令和6年12月5日/2893回)