信者

自ら雇いし楽団員による演奏会。途中に席立つ奏者二人。はて、体調でも。何事もなかったかの如く続けられる演奏に再び聞き入る侯爵の前で、また、二人。続く演奏に、また一人、二人と退席して。残る二人は指揮者とバイオリニスト。ようやく意図を察した侯爵。去らんとする指揮者に「わかった。休暇を認める」と。指揮者の名やヨーゼフ・ハイドン。曲名「告別」。

それが意味するは故人の追悼。未だ健在の身にあって自らの為に作られたレクイエムと聞くに。憤慨するどころか、自らの指揮にて初演を、と諧謔を忘れず。決して恵まれた出自にあらねども「古ぼけたピアノに腰を下ろさば世のいかなる幸福も羨むことはない」と、いかなる境遇においても控えめな性格こそが当人の魅力であり、彼の曲とて然り。

ハイドンのヴァイオリン協奏曲を聴いた。老練な指揮者が自ら弾き振りにて。やり過ぎ感が否めぬカーテンコールは我が国ならでは。さすがにもうそのへんで、と去りしはずが、鳴り止まぬ拍手に。再度登場のマエストロ。最後列の奏者のバイオリンを借りて自ら。いい演出だった。

閑話休題。周囲にバカ五人、いや、当人の為に投獄とて厭わぬ狂信者がそれだけいれば、人物いかんに関わらず、いかなる選挙区であろうとも当選は無理ならず、とか。秘書ならぬ支援者ならば私とて。築二百年、現存する家屋では村内で最古とされる屋敷に秘蔵される書物の数々。中に見つけしは地元が輩出した第24代議長の記した一冊。

温故知新、と拝借すること一か月。返却に伺うに出迎えて下さる主、「そういえば」と広き屋敷奥に消え待つこと数分。手にするは手作りの羽織と思しき一着。素材や複数のバスタオルと見られるもその正面には何やら文章が記され。目を凝らすに「行け行け直史」との題名ありて。察するに私の応援歌らしく。あのアニメソングの替え歌か。

彼のことゆえ代金は受け取らぬに違いない。が、せめて実費分位は負担させてもらわねば顔が立たぬ、と告げるに。いや、これは私の愛用着にて譲れぬ、と相手。タオル地は風呂上りに最適。銭湯の帰りもよくそれを着て闊歩しとるのだそうで。残すはあと四人か。

成功体験が生むジンクス。それこそが勝因とばかり。インソールに、ベアフット、薄底シューズ、そして。久々に顔出すはヨガ教室。そこに新たな気づきがなかったかと言われれば確かに効能と思しき発見あれども。ならば、それがゆえの完走か、と言われれば。あくまでも一因、勝因は複合的なものとなる訳で。練習量に勝るものなど。

レース後の感想を求められるに。それを利用者の声として、ぜひ、ホームページに書き込みを、とインストラクター。宣伝の片棒担いで、ウルトラマラソンにおけるヨガの効能を執筆中も、効能の前に信じることこそ。

(令和7年7月16日/2936回)