裸足
共通の、趣味ならぬ「母校」を有するに誘いあり。当日に重なるは区民祭なれど、んな事情は向こうも同じ。昼飯後はともに脱走を、とKさん。
六大学野球など何年ぶりか。球場に待ち受けるはそちらのOBであり。それこそが醍醐味と応援席の最前列にて。学ラン姿に違和感なくもその自由な髪型とチアの多さは当時と隔世の感あり。太き腕秋空に釣る応援旗、と一句。何せ重い旗ゆえ「振る」ならぬ「釣る」と。祝、優勝。
そう、最近のアイドルの顔がみな同じに見え。少し前のあの話題作とて主役二人の区別がつかぬ。化粧しとるゆえ私のみならず誰の目にも、ともらすに、「明らかに違いますよ。そう見えるは老いの証拠」と役所の若手にからかわれ。
世は空前の美容ブームとか。こちとら今さら手を加えてまで「見てくれ」に固執せぬ。が、せめて身体能力位は年相応、いや、それ以上は。「年をとったから走るのをやめるのではない。走るのをやめたから年をとるのだ」と最近読んだ一冊に。語るは94歳のトレイルランナーであり。「走る民族」から学ぶ究極のトレーニングガイド、と副題付いた「BORN TO RUN 2」。
今は平気やもしれぬ、が、いつかは代償を。ひざや腰の痛みとはかくも恐ろしきもの、外出の機会は著しく減り、人との接触を絶たれることで一気に老け込むこと必定。手術を施せど完治にはいたらず云々と。されど、そこに挑み続けるバカがいる一方、酷使せずとも痛みに悩む方とて。
厚底は衝撃の吸収性に優れ、より健康的とされるも。著者に言わせれば「ふにゃふにゃ」のシューズではかえって。メーカーによる度を越した機能性の追及は害悪にしか、と手厳しく。そこに説かれるは原点回帰、ヒトが備える本来の走りを取り戻す為に。裸足とはいかぬまでも薄底、いわゆるベアフットを推奨しており。そう、高齢者や障害者とて甘やかすにリハビリにならぬ時とて。
私なんぞも練習はベアフットなれど本番となれば話は別。さすがにそれだけの距離を走るとなると「温存」なるセコい発想に選ぶは厚底。が、本では本番こそ薄底とされ。いや、確かに「ふにゃふにゃ」では疲れとともにフォームが保たれぬ、というのが実感。ならば本番も薄底か、といわれると。生涯に一度の人体実験にて後悔せぬ為にも貪欲に学び実践する向上心こそ必要と知るも。迫りくる誘惑に抗えるほど「出来た」ランナーにあらず。
そう、「オクム」とは奥武蔵の略。距離こそ70kmなれど上がって下るその高低差。累積標高2,000mを超えるタフなコースはウルトラランナーの間では知られたところ。レース終盤は緩いペースで年頃の女性と並走していたのだけれどもラスト5km。ここで急がば9時間以内、なんてカッコつけてしまい(ちなみに制限時間は11時間)。
上品な言い回しや「ラストスパート」なれど、ランバカは「つっこむ」と。いわゆる「前のめり」ってやつで。下り坂の「つっこみ」や禁断と知れど。厚底でよかった。
(令和7年10月21日/2955回)
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