武器

久々のラウンドを御一緒するはKセンセイ。いや、センセイと申しても向こうはホンモノ。祖父の代から続く開業医にて年齢は私と変わらず。

何せ日々の御相手が御相手であるし、受験生の娘を抱えるばかりか、両親ともにそちらの出身とあらば進路、学部は自ずから。殺気立つ母娘を前に「不在」こそが最適解、と抜け出して。仕事帰りは近所の練習場、休業日とあらばコースにて打ち込む日々。そんなある日に閃くは。クラブ選手権への出場。

いよいよ明日が本番。前夜ともなれば高揚感に包まれて。んな気配が相手に伝わってか、愛妻から普段は聞かれぬ翌日の予定を聞かれ。正直に告白するに憤慨の相手から離婚届を投げつけられた、とか。閑話休題。

住居侵入、数日間の立てこもり、犯行時の残忍な手口等々、さながら凶悪犯が如き「彼ら」。ドングリこそが主食とされた「彼ら」がなぜ。愛護などと称して狩猟を怠りしツケが云々と聞くも事はそれほど単純には見えず。それとて遠きみちのくの話だったはずも善光寺に出没との報道を目にした妻、以後は参拝には行かぬ、と。

いや、それとて、夜の防犯カメラにたまたまその姿が。人を襲う可能性とて排除せぬも元々は臆病、というか警戒心の強い動物、日中にそれだけの人の往来あらば。報道を目にするたびに煽られる恐怖心。それとて遭うはかなりの確率なはずも入山の閉鎖やレースの中止などへも波及しかねず。

危険を放置するに責任を問われかねぬ、というのがおよそ向こうの言い分なれど、そもそもに山やレースに挑むはケガや遭難含めて全て自己責任のはず、と反駁してみたくもなり。いや、確かにこちとて無関心ではいられぬ。完走の前に立ちはだかるは足の心配以上にそちらだったりする訳で。あれこれと対策を当人なりに。

推奨される撃退スプレーなども、そりゃ相手が寝とるとか止まっていてくれれば、の話であって予期せぬ遭遇や急襲とあってはまごつくこと必至。とするにやはり「持たぬよりはマシ」なれど果たしてどれほどの役に立つだろうか、なんて。

そう、不思議と聞かぬレース中の遭遇。やはり単独ならぬ集団であるばかりか、ウルトラランナーともなれば彼らとて。とは楽観し過ぎ。が、それ以上に話を聞かぬはこちら。

山に潜みし狙撃手ならば、あの広き芝生の上を悠然と闊歩する面々こそ格好の獲物。ましてや遠目に見える旗と足下の球にしか関心はなさそうであり。が、それでも狙われぬ理由やいかに。やはり、あのキラリと光るクラブこそが相手には猟銃以上に。また、仮に現れたとしてもあれを振り回さば。

そこに神聖な道具を目的外、それも動物の殺傷に流用するとは言語道断、なんてお叱りもあるやもしれぬ。が、人の命には代えられぬ。杖やトレイル用のザックでは細い、かといって野球のバットでは。やはり護身用に備えるべきはスプレーならぬ中古クラブ、というのが私の結論であり。

秋の行楽シーズン、山への誘いをいただくにクマこそ脅威に違いない。が、それ以上に。妻から予定を聞かれぬことこそ。

(令和7年10月25日/2956回)